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2006年08月31日

横浜ベイクォーター

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 家の近所に8月24日にオープンした横浜ベイクォーター。
 混んでいて行く気になれなかったのだけれど、さっき散歩の帰りに行ってきた。

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 ショップはまるっきりライフスタイルに合わない。
 本当にいいものではないけど、お洒落ぶってはいて、安くはない。叶姉妹をセレブと思い、川島なお美のマネをして犬を連れて歩いているような人が喜びそうな店ばかり。
(実際、ドッグカフェとかホテルとかもあります)

 けど、レストランは、ウルフガングパック、三間堂、クアアイナ、とわりと好きな店が入っていてうれしい。他に蕎麦を食べさせる店が2軒あるので、そのうち試してみよう。

人間魚雷回天

GYAOで視聴。

曰く 
>>
戦争末期、海軍日本で特攻兵器“回天”の説明をうける予備士官の若者たち。15人いた士官も今や7人となっていた。危険な訓練で命を落とす隊員が出たことで、玉井は自分たちの任務に懐疑的になっている。そんななか、死んだと思われていた村瀬と北村が生還を果たす。わずかな希望を抱く隊員たちだったが、彼らにもやがて出撃命令が下された。それぞれの想いを胸に隊員たちは、潜水艦に搭乗していく…。
>>

監督:松林宗恵
原作:津村敏行
音楽:伊福部昭
出演:岡田英次、木村功、宇津井健、高原駿雄、和田孝
1955年 / 日本

 既視感。どこも予想を裏切ることのない、いかにもありそうな特攻隊の映画だけれど、1955年、終戦後10年、作っておくべきタイミングで作った日本映画だと思う。
 この映画ができる10年前に、まだ日本は戦争をしていたのであり、この映画は現実のことだった。
 同じ長さ、いまから10年前の1996年、僕が会社員を辞めたころだ。10年は短くて長い。

2006年08月30日

淡々とあれやこれや

 午前6時半、妻が起きてきて、いっしょに朝食を摂ってから就寝。
 昼過ぎに起床。
 午後は調べもの。夕方は、妻のリハビリがてらまた公園へ出て運動。
 夕食は、カツオの刺身、ハマグリの清まし汁、生野菜、赤インゲンのカレー、という不思議な(?)献立。

 阿川大樹で検索して公式ページがトップに出ないので、この際、旧サイトや更新していなかったniftyのブログなど合計3ヶ所を削除してみた。

 夜半からやっと小説にてがついて翌朝まで。

 

2006年08月29日

夕方は涼しい

 ドメスティックに暮らす日。
 夕方、妻のリハビリにつきあいつつ公園で運動。

 夜半から原稿の直しをするつもりが、サーバーにPC向けサイトを携帯で見ることができるように変換する php なんかを組み込んだりして遊んでしまう。

【注意】
 試しにお使い頂いてかまいませんが、ID やパスワードの入力の必要なことはしないでください
 僕のサーバーでスクリプトが動いて、読むべきサイトを携帯で読めるように変換して表示しています。
 つまり、僕のサーバーの中を送りも受けもデータが通るので、原理的には、僕がそれらを読める仕掛けを組み込めてしまいます。 (実際はやり方を知らないのでできませんが、あらぬ疑いをもたれたくないのでよろしく)
 つかいかたについては、このphpの開発者のサイトで。

 というわけで、原稿の直しがおわったのは翌朝になった。朝型は続きません。

2006年08月28日

カルメン故郷へ帰る

 午後1時、車で北里大学病院へ。。
 午前中抜糸して、傷口も大丈夫のようなので、3週間の予定がちょうど2週間目にして、妻、無事退院。
 自宅につくまでの帰り道、そごうのポイントアップバーゲンに寄って、靴を3足、ホームセンターへ寄ってサンダルを1足を買う。
 手術でいままでちぐはぐだった足の長さが揃ったので、ふつうの靴が履けるようになり、逆に、いままで踵や靴底を切って、左右の足の長さの差を吸収させていた靴が履けなくなったのだ。
 まだ股関節を90度以上曲げられないので、靴ひもが結べない。床にあるものはオモチャのマジックハンドで拾う。(笑)
 ひとつひとつの小さなことをどこか微妙にうれしそうにする妻。

2006年08月27日

秋の気配

 ヨット。
 さいわい殺人的な夏の暑さは去って、いくらか過ごしやすい。
 ヨットハーバーでの夕方の団欒をはしょって少し早めに帰宅。
 疲れが溜まっているようなので、少し早寝する。

2006年08月26日

ただの一日

 世間は土曜日。
 夕方、妻を見舞う。
 家事をする気力なく、「夢庵」にて夕食を摂るが体調がよくない感じ。
 いまいち集中力がないが、小説も書く。

2006年08月25日

原稿の日

 毎日原稿はかいているわけだが、本日は、小説でなくヨットについての記事。
 なんだかんだで、下調べを入れて丸1日かかってしまった。
(企画段階で調べものをしているので、実際はもっとかかっている)

 深夜0時〆切のものを1時間遅れで送信。
 それから写真のセレクションをして、翌朝4時に写真も送付。
 つぶやき日記を4日分書いてアップしたら現在26日午前5時すぎ。

(日付の都合上、25日23:59にしてるけど)

2006年08月24日

昼、地味、夜、寿司

 昼のうち、比較的原稿が進んだので、ご褒美に夜は寿司を食いに出た。

 やっぱり江戸前寿司はやはり「食べる」ではなく「食う」というべきだろう。
「寿司食いねえ」
 というところを、
「寿司たべなよ」
 なあんていっちゃあいけやせんぜ。

 うまいものたらふく、プリミティブな欲望を満たす幸福よ。

2006年08月23日

今日も地味な日

 家に引きこもり。
 特記事項なし。

2006年08月22日

地味な日

 朝帰りからもどって6時間ほど眠る。
 のち中三日ぶりに病院に妻を見舞う。
 帰り、ロフスト(金属製の片杖)をついてエレベータまで見送りに来てくれた。

 帰宅後は自宅にてじっと机に向かう。

 ひとりなので主夫業はめいっぱい手を抜く。
 亭主元気で留守がいい、という表現があるけど、妻は留守だが病気だ。
 小説を書くには都合がいいけど。

2006年08月21日

タイムカプセルの夜

 8月21日
 午後2時40分、品川駅前マクドナルドで100円マック。
 向かいの ART COFFEE にて、原稿書き。
 3時30分、品川プリンスホテルボウリングセンター。
「日本推理作家協会様受付」の札の前に20人ほど。8月はソフトボールじゃ暑くてかなわっん、ということで、ボウリング大会。

 少なくとも過去10年、ボウリングをした記憶はない。
 それでも1ゲーム目142。まあまあじゃない。スポーツってのはやらなくても年齢を重ねると上達するもんなのね(ほんとか?)
 少なくとも、サッカーは2002年、30年ぶりにやったら中学の時よりずっと巧くなっていた。
 全員のスコアが出たところで、スコアの上位者と下位者とを二人一組にチーム編成。
 僕のペアの相手は身長173センチでスタイル抜群推定年齢26才詳細不詳のミニスカート美人。ラッキー!
(いえ、ボウリングの背の高さの話ししかしなかったので依然詳細は不明のまま)
 
 終了後はちかくの居酒屋で打ち上げ。
 向かいに座ったのは本業は「みこし女」のT社M編、先週は「仕事で」日焼けしてきたのだとかで、いつものとおり絶好調。
 成績発表があり、僕は総合4位で、文藝春秋提供のチーバスリーガルをもらう。(この賞品の選定が文春らしいといえなくもない)

 散会になって外へ出ると、Oさんが、なぜかいつもいっしょのS+Iの美人作家コンビを携えて、麻雀をしようと誘ってくる。前回のパーティでも誘われたけど、断ってしまったので、なんとなくつきあうことに。
 ボウリングが10年ぶりなら麻雀は大学一年くらいにつきあいで少しやったぐらいで30年ぶり。
 いえ、美人作家コンビがいなかったら断ってましたけど。 (笑)
 とりわけこの日のSさんは麦わら帽子をかぶって「高原のお嬢さん」という出で立ちで、(夜なら)年齢を半分くらいに詐称できそうな上に amazon のレビュー欄に「著者写真が美人」などと書かれるような人なので、駅でもすれちがう酔っぱらいが(笑)何人か振り返っていました。

 30年ぶりにいった雀荘は30年前とまったく同じ雰囲気。タイムカプセルみたい。変わっているのは、機械が自動的に牌を並べてくれるということ。便利な時代だ。そういや、機械が自動的にスコアをつけてくれるボウリング、というのも生まれて初めてだった。

 Sさんが親を続けてなかなか終わらないので、当たりそうな牌をむりやり切って振り込んで終了させたのですが、ひとりだけ横浜の僕はビミョウに終電に間に合わず。
 怒濤の執筆期間に入ることだし、この際だから弾けてしまえ、と腹をくくって、ゴールデン街で楽しく3軒ハシゴして朝帰り。
 まあ、予想の範囲内か。

 というわけで、さあ、小説書こうっと。

2006年08月20日

ビアパーティという風物詩

 午前9時、いつものヨットハーバー。
 ヨットレース。女性クルーに舵(家事ではありません)をまかせて、オーナー二人でその他のポジション。
 慣れたメンバーだと手が足らなくてもストレスがないのがいい。人手が足りないヨットは戦闘力に欠けるけれど、大切なことは楽しく走りきること。

 ホームポートにもどると、恒例のビアパーティ。
 ちゃんと生バンドも入って、会費1000円で飲み放題食べ放題の手作りパーティだ。
 今年の夏もこれでいよいよ終わりだ、という夏の風物詩のようなもの。
 阿川大樹超個人歳時記をつくるとしたらこのビアパーティという項目を入れるな。


     ビアパーティ 髪燻らす 焼き手かな


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準備中のボートヤード

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女性に囲まれてゴキゲンの単独無寄港世界一周の世界最高齢の記録保持者・斉藤実さんと

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我が艇の本日のレースクルーメンバーは4人。

2006年08月19日

真夏のフットサル

 午後4時からフットサル。
 4時なんて夕方じゃありませんでした。カンカン照りじゃん。

 Colemanのウォータージャグ(1.8リットル)に氷水を入れて出かけました。途中で氷は溶けちゃったけど、存分に水を飲めました。けっこういいかも。

 シュート、たぶん、右足で3本、左足で1本、打ったけど、全部キーパーにとられました。いかにも打ちそう、という凡庸なタイミングではやっぱりムリですね。
 自分で少し視野が確保できてきた感じがします。進歩してるかな。

 ここのところジョギングではなくストレッチ系の運動を週に3,4日、1回当たり30分ぐらいやっていたのですが、わりにいいようです。
 暑いから休み休みやったということもあるけれど、足の筋肉は今日は大丈夫な感じ。
 水は1.2Lほどとったはずなのに、2時間運動したら1Kg以上体重が減っていました。2L以上汗をかいたんですね。
 アイソトニックにしないと、お腹が膨れてこれ以上の給水はムリです。
 アミノ酸のサプリをとっていったのですが、これだけ汗をかくと、電解質の補給も必要だと思います。何か、いい方法を考えなくては。(といっているうちに夏も終わるだろうけれど)

2006年08月18日

直立歩行

 一日病院通いを休んで、本日(18日)改めて北里病院へ。

 いやあ、歩行器につかまって妻が立ったのですよ。

 15日に手術をして、大腿骨とりだして骨頭を切って代わりに人工骨頭つけて、骨盤削って、骨頭をうけるソケットをネジ止めして、元に戻してキズを縫い合わせ、その晩には、ヘモグロビンが極端に低下して、二度意識不明になり、失血死の可能性があったので緊急輸血をして、それからわずか3日。

 立つだけなら支えを必要とせず、歩行器につかまれば廊下を歩ける!

 すごい。現代医学。

 15年前に右足に同じ手術をしたときには、車椅子から立ち上がるのに2ヶ月くらいかかったと思う。
 妻が立ち上がって得意げにこちらを見たときの「えへん、できたよ」という晴れやかな表情はいまでも忘れない。涙が出そうなくらい感激だった。

 だけど、いまや、わずか3日です。
 それで痛みもないのだと。(まあ、人工関節だから、傷口以外には痛いところはないわけだけれども)
 早く動き出すほど筋力の低下が少ないので、リハビリ期間も短くなる。以前なら3ヶ月かかっていた入院期間も今回はわずか3週間の予定。
 あまりにも短すぎて立って歩くことのできた感動があまりない。(笑)

 人間ていうのはすごいね。
 

2006年08月17日

OFF & ON

 病院通いはお休み。
 夕方から息抜きに少し車で走ってみたり、身体を使ったり。

 原稿は少しだけ。

 ちゃんと書く気でパソコンに向かっている時間はすらすら書けるので、調子は悪くないのですが、机に向かっている時間のうち、小説を書いている時間がまだ全然短いので、日産枚数が少ない。

 余計なことをしないで、机に座ったら、すぐに小説を書いて、他のことをしないようにしていかないと。

ヨン様ファンはどこに

 メディアに登場する回数は減ってきたというものの、ヨン様の人気はまだまだ衰えていないらしい。
 でも、僕は男なのでヨン様の魅力がよくわからない。
 で、知り合いの女性に聞いてみようと思ったのだけれど、これがどうも僕のまわりにはヨン様のファンがまったくいないことがわかった。
 女友達は多い方だと思うのだけれど、24才から60才くらいまでの知り合いの女性に聞いてみて、ヨン様が好き、という人が全然いないのだ。
 これはどういうわけだろう。
 僕のまわりだけ、ちょっと変わった特殊な女性が集まっている?
 その可能性もなきにしもあらずだけど、どうも腑に落ちないのであった。

2006年08月16日

意識不明

 久々に8時間眠って、午前8時半に起床。
 せっかくだから、しばらく朝型にしよう。
 シャワーを浴びてから、洗濯1バッチ。ゴミを地下まで捨てにいったり、など、家事をしているとあっというまに時間が経つ。
 少しだけ原稿を書いたところで、駅前のスカイビルにある「コートダジュール・ミクニズ」へ。ベストセラー「社長を出せ!」の著者である川田茂雄さんとランチ。おっさんふたりでフレンチというのも気恥ずかしいかなとも思ったのだけれど、川田さんが立て板に水といろいろな話を溢れるようにするので、周囲の人を見る間もなかった。(笑)
 さすがに、超売れっ子スピーカーである。
 もちろん「社長を出せ!」にサインをもらう。僕のもっていたのは初版1刷なので、「その帯がついているのはもはや珍しいんですよ」ということ。
 阿川の『覇権の標的』は発売以来、まだ同じ帯のまま。
 いろいろ話をしているうちにあっというまに時間が経つ。

 午後2時半、駐車場を出て、北里病院へ向かう。
 交通量が増えてはいるが、それでも渋滞はほとんどなく、午後3時半前には到着。
 病室へ出向くと、だいぶ血色をとりもどした妻がいた。
 しかし、話を聞くと、深夜、貧血になり二度意識を失ったので、輸血をしたそうだ。新たな心配事が増えたことになるが、失血は差し迫った危機なのでしかたがない。
 ベッドサイドで話をしているうちに妻が寝入ったので、横で原稿書き。

 本日も順調に帰宅。
 病院通いで、せっかく朝型になったんだけど、原稿がはかどらないので、すぐに夜型になっちまったい。
 午後11時半、眠気覚ましに、公園で運動。雨が降ってきたけど、それはそれで気持ちいい。

2006年08月15日

サイボーグな妻

 午前5時起床。
 とりあえずシャワーで目を覚ます。
 日東のティーバッグのダージリン。ケロッグコーンフロスト。
 妻から依頼された持ち物リストを確認しながら、ノートパソコンのバッテリーの予備をもって家を出る。
 ふだん1時間半ぐらいかかる道程が、なんと40分ほどで北里大学病院到着。いつもこのくらいなら楽なんだけど。
 駐車場で7時まで時間をつぶして病棟へ。
 点滴のスタンドにつながれたすっかり病人の風貌の妻は、麻酔を効きやすくするクスリの投薬でだんだんとろんとしてきている。
 Coleman のチェアはやっぱりいい。簡単に畳めるし。家でも使いたいくらいに座り心地がいいのだ。

 そういや新婚の頃はお金がなかったので、キャンバスの折りたたみ式の椅子と、脚をバッテンに折りたたむ生成の木製のテーブルが我が家の中心家具だった。そう相模原のNECに勤めていた頃だ。
 いま思ってもほんとに給料安かったなあ。 (笑)

 午前8時、妻、ストレッチャーで運ばれていく。
「じゃあ、またあとで」

 午前11時30分。
 執刀医から手術結果の説明。
 整形外科的には万事うまくいったもよう。
 両股関節が人工関節になっているレントゲン写真はなかなかサイバーな感じ。

 が、手術室からなかなかでてこない。
 おいおい、もしかして、麻酔が覚めないのではないか、などなど、いろいろ不安がよぎる。手術中は原稿書いていたのだけれど、だんだん気が気ではなくなってくる。
 午後2時、ストレッチャーに載せられてやっと病室に帰ってきた。意識もしっかりしている。
 しかし、スパゲッティ状態なので、配線のツナギ替えやらなんやらで、僕が病室に入って話しができるようになったのは午後3時になってから。

 まあ、まだ出血は続いているので、今後、輸血のリスクが生じたり、持病への負荷がどう反応するか、など不明な点はたくさんあるけれど、いまのところ順調ということで。

2006年08月14日

古巣の病院、古巣の工場、夕立の岩風呂

 眠い。

 が、午前8時起床。睡眠時間4時間に少し足らないか。
 本日より妻入院のため、車で相模原の北里病院へ向かう。
 ガラ空きか、メチャ混みか、どちらかだと思っていたらガラ空きの方だった。
 運よくスイスイと受付時間よりも早く着いたので、病院地下のベーカリーカフェにて朝食。黒糖パンの玉子サンドとカボチャのスープ、そして、少し生野菜、コーヒーで、550円。
 受付が済むと病室へ案内される。
 6人部屋なら健康保険で全額カバーされるが、とりあえず空いていないからと4人部屋。いわゆる差額ベッドというやつ。「とりあえず空いてない」というのは、まあ病院経営上の常套手段だけど、病院の経営というのも楽ではないのはよく知っているので、このあたりは暗黙の了解みたいなものだ。
 こういうことをしなくてもいいようにもっと制度そのものが調整整備されているのが本当だと思うけれど。制度が緩すぎると病院が経営努力をしなくなるから、そのあたりの最適化がむずかしい。

 本人は、昼の間も散発的にいろいろあるようだが、付き添い家族のこちらは、夕方5時か6時に行われる手術医からの説明まで用無し。
 病院のロビーのソファーでは疲れるばかりなので、近くのスーパー銭湯を探す。
 携帯で検索するとさいわい車で15分のところにあるらしい。
 イマイチ場所がよくわからないままに走っていると、予想通り道路脇に案内看板がみつかる。どうやらタオルを借りるなら200円払って会員になったほうが得だったらしいのだが、自動販売機で券を買ったあとにわかっても後の祭り。
 こういうところで客に損をした気分にさせるのは、サービス業としては下手なやりかただと思う。24時間営業ではないので、仮眠をとるにはいまいちのところでもあったけれど、居場所のない身の上故、まあいっか。
 あれこれ、ちょっと情けない気持ちで迷いながら入ったところだったが、露天風呂にいるうちにざぁっと夕立が来て、雨に打たれながら岩風呂に入っていたら徐々に幸せになってきた。人間、単純なものである。
 岩風呂のすぐ脇に4人ほど大の字になって眠れる場所があり、そこで50分ほどうとうとしたら睡眠不足もわずかばかり回復。
 風呂上がりは、腰に手を当ててフルーツ牛乳(120円)を飲む。
 少し原稿を書くが、銭湯ではしゃぎ気味の年配の人たちの声が騒がしくてちょっとムリ。

 というわけで、久しぶりの相模原なので、車で30分ほどのNEC相模原工場まで行ってみた。半導体技術者だった頃、ここには7年くらい通っていた。
 世田谷からここまで、朝6時頃家を出て行って、終電で帰ってくる毎日だった。風呂屋が空いている時間に帰って来られないので、昼休み、会社の運動場の更衣室でシャワーを浴びていた。3食、社員食堂で食べていた。
 あのころの日本企業の技術者はそうやって世界一を保っていたのだ。

 午後5時、明日の手術について、医師からの説明、一時間弱。
 何事もなければルーティンの手術で左股関節が人工のものに置きかえられるわけだけれど、命を落とす可能性も、重大な感染症にかかる可能性も、二度と目を覚まさない可能性も、重大な後遺症が残る可能性も、それぞれに可能性としてはあるわけだ。
 何十億年をかけて地球が、神様が、つくった人間という動物の関節を、この三〇年くらいの人間の技で人工物に置きかえるのだから、神様に味方についてもらうしかない。
 十五年前に同じ病院で人工関節にした右股関節は、目立った痛みもなく非常に経過良好だとレントゲンを見て医師が言う。
 左股関節もうまくいきますように。それよりなにより、いざとなったら足なんて治らなくてもいいから重大なことになりませんように。

 病院のロビーのソファは眠るにも仕事をするにも具合が悪いので、帰り道、Sports Authority へ立ち寄って、Coleman の折りたたみ式チェア(1999円)を買う。これで病院での待ち時間が有効に使える。これ下手な豪華家具よりもよっぽど座り心地がよいのです。

 明日は朝六時半に家を出なくてはならないので、早めに寝る。
 ほとんど原稿進まず。まあ、そういう日もあるさ。

2006年08月13日

深夜の公園

 執筆の合間、ちょっと集中力がなくなったので、深夜1時過ぎ、近所の公園へ。
 ストレッチ、シャドウピッチング、シャドウボクシング、合気道の型、エアロビクス、がぶり寄り、応援団のリーダー、などなど身体と話しをしながら思いつく限りのいろいろな動きを。
 ふだんの公園では人目があって、意外にやりにくい動きもあるんですね。
 だって、おっさんのエアロビなんて気持ち悪いし、学ラン着ないで「ふるぇ~ふるぇ~わぁせぇだぁ」みたいなことやっているのはヘンだし。

 少し離れたところに、自転車で来ているおっさんがひとりいるのはわかっていましたけれど。

 で、そのおっさん、ベンチを立って少し近づいてくるからこっちに来るのかと思って少し構えたら、ウッドデッキから海に向かって用を足し始めました。
 深夜の公園で、なんとも無防備な。
(そこで後ろからナイフでさされると、「太陽に吠えろ」のマカロニ刑事です)

 こんど太極拳を習って、深夜のレパートリーに入れたいと思います。

2006年08月12日

歯医者・牛丼・雨宿り

 3時間睡眠で朝食も摂らず、久方ぶりに狛江の矯正歯科へ。定期的なチェック。
 診療が終わって外へ出ると、空があやしい。遠くで雷も鳴っている。
 離れたところで食事をするとヤバイと思って、改札口の向かいの松屋で牛丼(350円)。
 案の定、食べ終わった頃には豪雨。あわてて駅まで走る。

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 横浜駅に戻ってもあいかわらず。
 しかも土曜日なので飲食店はどこも行列ができるほどの混雑でゆっくり原稿書きなどできない。
 しかたなく、そごう10階のエレベータ前のソファで原稿書き。
 ほんとうは早く帰宅して少し眠りたかったんだけれど。

 写真は、向かいのソファでやはり雨宿りをしているらしいカップル。(おそらく夫婦)

2006年08月11日

"The Cats of Mirikitani"

 友人の紹介により、お茶の水で、トライベッカ映画祭観客賞の "The Cats of Mirikitani"の内輪の試写会にお邪魔する。

 ニューヨークのホームレスで日系アメリカ人の画家 Jimmy Mirikitani を追いかけたドキュメンタリー映画。
 戦争中、敵性外国人収容所 Internment Camp に収容された Jimmy と、この映画の監督である Linda Hattendorf の心の交流と、Jimmy から溢れ出る、歴史と人間性が淡々と伝えられる秀作。

 広島の原爆で身内を失い、収容所でも家族や友人を失った Jimmy は、ニューヨークの街頭で画を描いて売っているホームレスだった。
 9.11のテロをきっかけに、彼は Linda の家に居候する。
 Lindaは彼のパスポートを復活させ、Social Security の援助を受けさせようとするが、ひょうひょうと生きている彼は、はじめのうちそれを拒む。
 しかし、彼女が生き別れになっていた姉を見つけ出して電話口で話しをさせるなど、彼との静かな交流を通じて、社会/国との書類上の接点をも再生させ、福祉アパートに住まわせるようにうながしていく。
 その過程で、Jimmy Mirikitani の魅力がスクリーンのこちらにも伝わってくる。

「10時半には帰ってくると行ったのに帰りが遅いから心配したじゃないか」
 と、Jimmy が娘を心配する父親のように Linda に向かって怒る場面が出色。

 この種のドキュメンタリーをもし日本のテレビ局がつくったなら、感情を押しつけ価値観を押しつけるナレーションがたくさん入ってしまうだろう。だけれど、このフィルムでは、登場する人物の会話だけで語られている。
 たとえば、生き別れの姉と再会したというのに、そのシーンは本編には登場せず、ラストのスタッフロールの背景に出てくるだけなのだ。日本のテレビなら、これぞハイライトシーンという「感動の再会」としてベタベタに語られるにちがいない。

 当然、監督 Linda は彼を撮影し始めたときに、彼女なりの「予感」あるいは「予断」を抱いていたはずだ。
 が、彼と真摯につきあううちに、Jimmy をきちんと自分の目で再発見し、新たに見つけた彼の魅力を忌憚なく映像に捉えていっている。
 彼の背後にある、日米の歴史はあくまでも彼の言葉に留まり、監督によって過度にブーストされることもない。
 つまり、被写体とカメラがきわめてフェアな1対1の関係を築いている。
 Jimmy の言葉をどう受け止めるかは、スクリーンのこちら側にいる我々に委ねられている。

 スそれゆえに、思想や知識ではなく、自然な共感が生まれてくる。
 無駄のない74分だ。
(おそらく、編集で、何をとり、何を捨てるか、大きな選択をたくさんしただろうし、すごく苦しんだのではないかと思う)

 きわめて個人的な収穫についても併せて書いておく。
 すでに書き上げた日系アメリカ人女性ジャーナリストを主人公として、ペルーを舞台にした小説(未刊)で、日系ペルー人の来歴を調べた際、テキサス州にある Crystal City という収容所に行き当たった。その場所は少し特殊なのだが、このフィルムでも少しだけ触れられている。
 また、新宿のホームレス、サンフランシスコのダウンタウンのホームレス、を扱った短編も書いたことがある。
 ホームレスと、日系外国人、というライフワークの予感のある分野をもっている阿川としては、偶然のこととはいえ、資料的にも大きな収穫があった。

 試写終了後、軽いレセプションがあり、この映画の Co-Producer である Masa さんと話しをすることもできた。

 会場を辞去した後は、もうひとつのライフワーク「沖縄」にちなんだわけではないが、御茶ノ水駅近くの沖縄料理店で食事をして帰宅。
 久しぶりに飲んだ「菊の露」(泡盛)がなつかしい味。


              阿川大樹の新刊『D列車でいこう』は こちら

2006年08月10日

インテリアと体操

 午前5時半就寝、午前9時過ぎ起床。
 10時半から13時まで、インテリアコーディネーターに話を聞く。
 そごうの紀伊國屋に立ち寄って『覇権の標的』が並んでいることを確認しつつ、芥川賞全文掲載の「文藝春秋」と、友人が登場している「沖縄スタイル」を購入。
 安倍晋三の新書も目次を見たら面白そうだったけれど、読むヒマがないのでとりあえず買わずにおく。
 徒歩で、新高島までいって、Blenz Coffee で「沖縄スタイル」を読み、原稿を書きはじめたら、まもなく眠くなったので、徒歩にて帰宅。
 暑いなかを歩いたら、すっかり眠気は覚めてしまった。

 夕方、スーパーへ買い物に出る。
 ご飯が炊けるまでの間、公園でストレッチ、シャドウピッチング、シャドウボクシング、そして、サッカーのドリブルの練習。
(リフティングは下手なので、人がいるとところでは練習しないのだ。わはは)

 本日の夕食は、マグロの刺身。閉店間際に780円のサクが370円になっていたので。
 あとは、もやしのXO醤炒め。ちぎりキュウリの生姜漬け(みりん、酢、醤油、キザミ生姜)。ひじきの煮付け。

 夜はもちろん小説。予定よりも遅れ気味。まずい。

2006年08月09日

カーテンと小説

 本日も小説の日。

 妻が突然家中のカーテンを洗濯し始めたので、洗濯が1バッチおわるごとに、ときどきカーテンを外したり付けたりを手伝う。

 夕方、暗くなってから、公園へ出て、ストレッチとシャドウボクシングとシャドウピッチング(81球)。

2006年08月08日

歯医者再び

 近所の歯医者、二回目。
 上の歯の掃除。え? 超音波スケーラーの後、マニュアルで歯石取らないの?
 下北沢の歯科で、すごい歯石取りをするカリスマ衛生士(と僕が勝手に呼んでいる)に出会ってしまったので、目が肥えてしまって、ぜんぜん物足りないぞ。(笑)

 その他は、地味に原稿書き。
 少しペース上がってくる予兆。

マーベラスな夕焼け

 ふと家の窓から外を見たら、すごい景色に出会った。
 あわてて、カメラをとりだした。

 Canon EOS 20D / EF-S 10-22mm

  

 (クリックすると大きいサイズで見ることができます)

2006年08月07日

久々の新宿

 午後遅くから久々に新宿へ。
 なじみの和食屋さんで夕食を摂ろうと思ったらお休み。
 西武新宿ちかくの「中国菜館」(台湾家庭料理)で生ビール飲みながらお腹いっぱいに食べて、ひとりあたり1758円。安い!
 店を出た後は、同行者の発案でコマ劇場前のハーゲンダッツでアイスクリーム。
「ええ? アイスクリームかよ」
 と一瞬思ったんだけど、久々のマカデミアナッツのアイスクリームがすごく美味しかった。
 人とかかわると自分ひとりでは絶対に、しない、できない、ことを、するりと簡単にできてしまうことがあり、そこから意外な成果や喜びがあったりする。人間っていいよね。

 最後は、ゴールデン街のいつもの店で飲み、終電で帰宅。

2006年08月06日

これぞ夏!

 夏らしい晴天。
 ヨットハーバーに着くなり、「暑いね」が挨拶代わり。

 それでも海に出れば、さわやかな風。
 昼は、八景島マリーナにつけて、くつろぐ僚艇にまじって昼食。

 帰りは十分な追い風で快走。

 夏は暑すぎて、長時間野外にいるヨットには厳しいシーズンなのだけれど、まあ、6月7月が日曜というと雨ばかりだったので、1日ぐらいは夏らしい日にヨットに乗るのもいい。

中川陽介監督作品3本

 沖縄取材の代わり、という感じで、沖縄の映画ばかり作っている中川陽介監督の作品を3つ続けてみた。

「青い魚」(1998)
「Departure」(2000)
「Fire!」(2002)

 カメラを固定して長回しをする。タイプとしてはあまり好みじゃない鈴木清順みたいな映画。でも、鈴木清順が「画をつくっている」とすると、中川陽介は「目が貼りついている」感じがする。空気の中で見つけたフレームを「ほら、こんなのを見つけたよ」と切り取って見せようとしている。
 テンポも悪い。ひたすら淡々としている。 映画学校の卒業製作みたいな映画とでもいえばいいか。
 実際、井坂聡監督といっしょに見た日本映画学校の卒業製作作品にも、同じ雰囲気をもつものが結構あった。

 つまんない映画との共通点がこんなにたくさんあるのに、なんだか魅力的な映画たち。
 なんなんだろう、と思ったら、「切ない気持ち」をもつ自分を渇望するための映画のような気がしてきた。

 Fire! は渋谷で見ようと思っていたら先週で終わってしまって悔やんでいたところ、Gyao! で放映が始まったので、昨夜、すかさず見た。
 僕の好きなコザが舞台。
 知っている風景がたくさんあって懐かしかった。
 生まれても育っても住んでもいない町で、瞬間、その景色を見て懐かしいと思うのは、シリコンバレーと沖縄コザ。

 きっとシリコンバレーが第二の故郷で、コザが第三の故郷なんだと思う。
 そして、東京生まれで転勤族の家に育った僕には第一の故郷はない。

2006年08月05日

ただの一日

 土曜日といっても勤め人でない阿川にはとりたててふだんと変わらないのだけれど、みなとみらいで何か野外コンサートが行われているらしく、騒がしい一日だった。

2006年08月04日

歯医者とマンガ

 近所の歯医者へ。
 歯列矯正をしているあいだ、一般歯科も下北沢まで行っていたので、ここは4年ぶりだ。
 下側だけ歯石をとってクリーニング。上は次回。
 下北沢の歯科衛生士の歯石取りが超絶技巧かつ不屈の闘魂的な技だったので、ここのはなんだかあっさりしていて物足りない。それじゃあ、歯周ポケットの内部までスケーラー(歯石を除去する歯科用具)入ってないじゃないの。とまあ。
 半年先には、また下北沢行こうと思った。
 同じ職業でも、そのクオリティにはずいぶんと差がある。(あ、小説家もだ)

 友人からメールが来て、横浜へ来る用事があるから参考文献(マンガだ)わたそうか、という提案。
 6時前、ランドマークタワー1階の「アンナミラーズ」でおちあって「シャンペンシャワー」全6巻(かわみなみ)を受け取る。

 他の時間はもちろん執筆。

2006年08月03日

北里大学病院アゲイン

 先週に引き続いて、妻の付き添いで相模原の北里大学病院へ。

 床についたのが午前4時すぎで、起きたのが7時前。睡眠時間3時間以下なので、行きの運転は妻。僕は食欲もなく顔を洗って荷物をもって助手席で出発。
 午前9時、病院の玄関で妻が降り、僕が乗り継いで駐車場に車を入れ、食堂で「黒糖サンドセット」という朝食。黒砂糖の入ったパンを使った玉子サンドにちょっとした生野菜、それにベーコン風味のカボチャスープ、コーヒー、で550円也。
 あとは午前中を、寝にくい待合室の椅子で座ったまま寝て過ごす。なにしろ、400ml採血したあとの帰りの運転をするために付き添ってきたわけで、それまでに睡眠不足を解消しておかなくてはならない。
 午前11時45分。
 午前中の検査や診療が終わった妻と合流して、8階の展望食堂でカツカレー。トンカツが立派すぎて美味しくない。食べ切れずに残してしまった。お百姓さん、ゴメンナサイ。
 トンカツ定食ではないので、カツカレーのカツは薄っぺらくないとだめ、豚肉の味がしっかりしてはだめなのだ。しかも、カツにしっかりカレールーをかけてしまうと、衣がカレーを吸って、ご飯が残ってしまう。
 ようするに、このカツカレー、つくっている人が自分のつくるカツカレーを食べていない証拠。
 これ、プロの仕事としてだめじゃん。937円。
(あとで1階の職員食堂を調査したらカツカレーは660円でカツも「ちゃんと貧相で」美味しそう)

 午後は採血だが、前の患者さんがずれ込んでいるとかで、始まりが1時間以上遅れると。
 妻を置いて、睡眠の続きをとるために駐車場へ。エンジンをかけ、エアコンをかけて、助手席で眠る。
 読書ネタも、執筆のためのパソコンももってきたが、ひたすら、睡眠時間の帳尻を合わせただけだった。こんなことなら、事前に家で睡眠を取ってでてきたほうが、昼間の間、執筆できて効率が良かったわけだが、すべては後の祭りだ。先に立たないから後悔というのだな。

 売り先が決まった小説に着手。
 いきなり、のっけから、なかなか筆が進む。いい感じ。21枚まで。

2006年08月02日

長編小説 受注

 横浜駅近く、オバサマ系エレガンスを備えたティールームにて、出版社編集長と会う。
『覇権の標的』はどのように面白かったか(笑)という編集者の観点からのヨイショからスタート。
 頃合いを見て、昨日つくった作品リストを見せながら、こちらからああでもない、こうでもない。

 で、プロットができていて売り先が決まっていなかった2本のうち1本、お買い上げ決定!
 まあ、本文はこれから書くので、どうなるかわかりませんが、順調にいけば11月には刊行できるのではないでしょうか。

『覇権の標的』を読んで、気に入ってくれて、プロットのさわりだけ読んで、「これで企画書は通しておきますので執筆にかかってください」ということで。

 できていないこれから書く小説を、阿川を見込んで注文していただいたわけで、初めてプロの小説家になった気がしましたよ。
(分量にして原稿用紙85枚のあらすじはできているけど、見せたのはその最初の25枚分)

 いままでは、誰にも頼まれもしない小説ばかり空振り覚悟で書いて、持ち込みなり、公募文学賞に応募したりしていたわけで、結果としてそれが本になっても、いまひとつプロだという実感はなかったのです。
 注文を受けて初めてプロだという、そういう感じ。

 とりあえず、年内2冊が目標なので、最低でももう1冊受注を決めなくては。

2006年08月01日

花火大会&打合せ準備

 我が家のバルコニーから花火鑑賞。
 直線距離で300m、目の前に打ち上げ船台から上空まで視野いっぱいの花火。
 以前には、ゲストをたくさん招待したりしていたのだけれど、心と時間の余裕がないので、ただ、自分たちで見るだけ。
 日本の誇るエンターテインメント。

 2日午後、某出版社編集長と会うので、改めて自分の作品リスト作り。

 書き上げてある長編が5本、詳細プロットまでできている長編が2本。売り物になりそうな短編4本。
 10年ほどの成果なので、もっと書けていてもいいと思うけど、その間には、特定の出版社ととことんつきあって、新設の文学賞の第一回受賞者になるはず(つまり阿川をデビューさせるために賞をつくろうというはなしもあった)だったのに、プロジェクトのちゃぶ台が一気にひっくり返ってしまったり、などなど、それはもう長い長い紆余曲折があったので、まあ、結果として、こんなもんだったわけだ。
 さっさとダメ出しがあれば、次に着手するんだけど、なにかと年単位で引っ張られることが二回もあったりして、結局、遠回りになったりしている。

 リストアップに、タイトル、枚数、主人公、舞台となる場所、ごく短い内容説明、などをエクセルの表にしてみた。
 われながら多彩なストーリーたちだと思う。
 模索しつづけているからこそ多彩にならざるを得なかったともいえるし、同じ路線で書き続けることを拒否してきたともいえる。

 ただ、これから阿川大樹がどこへいくのか、自分でもまるでわからない。