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2007年09月30日

ヨット、のち、F1

 退院後、初めてヨットに復帰……のつもりで、ヨットハーバーまでいったけれど、寒いし(身体が慣れていない)予想以上の雨降り。
 それでも、11時過ぎまではクラブハウスのテラスでだらだらしてみたけれど、昼前に切り上げて帰ってきた。

 昼食は、スパゲッティを茹でてオリーブオイルを絡め、レトルトカレーの一番安いヤツをかけて、少しパルメザンチーズをふって食べる。これ、けっこう好き。少なくともキューピーやアオハタのスパゲッティソースよりは10倍くらいおいしいと思う。

 F1日本グランプリを1時間遅れの「追っかけ再生」で見る。こうすればCMは全部スキップできるので、時間効率がいい。
 ところが、富士スピードウェイも降雨のためレースのペースが遅く、放送時間が延長になる。
 こうなると、録画しながら遅れて見ていると、録画が途中で終わってしまうとアウト! 一瞬ひやりとしたけど、新兵器のソニー「スゴ録」は、自動的に番組延長に対応していて、問題なし。スゴイ、よくできている。
 レースは予想通り荒天で面白い展開。(富士のコースは抜きどころがいろいろあっていいコースだと思う)
 最後の10周。ライコネンが5位から浮上し、すごい2位争いを演じ(結局3位)、ファイナルラップでの6位争いもものすごい展開。レーサーの勝利への執念はすごいの一言。
(「すごい」なんておおよそ小説家の使う言葉じゃないけど、日記だからゴメン、手を抜く)
 小説家も同じで、最後に仕上げにかかるときの執念が勝負なので、腕一本で勝負するプロとしては身が引き締まる思いがした。(というとカッコイイが、つくづく我が身がプロになりきれていないと思った、ということね)

 夕食に必要な玉葱の在庫が切れていたので、近所のローソンに買いに出たついでに、1本100円の週末キャンペーンをやっていたツタヤでDVDを2本、借りてくる。
 玉葱とピーマンを刻んで、「中華名菜」(日本ハム)の肉団子。もやしのXO醤炒め、ジャガイモの味噌汁。

2007年09月29日

野毛呑み 大崎梢

 物書き仲間の新美健さんと、夕方5時から野毛の「三陽」で飲み始める。
 スタートはここの定番の、瓶ビール、餃子、ネギ鳥、の3点セット。ネギ鳥がうまいんだよね。お通しにニンニクの唐揚げ付き。

 ハモニカ横丁の「華」へ移動したところで、山口芳宏さんが合流。
 話は、小説家の食い扶持、とか、セルフプロモーションとか、そういう生々しい話。
 それとは別に『D列車でいこう』が取り上げられた「NHKBSブックレビュー」の同じ会に逢坂剛さんに紹介されている『サイン会はいかが?―成風堂書店事件メモ』など、一風かわった作風で最近売れている大崎梢さんが、僕の知っている大崎梢さんと同一人物であることがわかる。

 たとえば、かなり前だけどこんなところでもご一緒しています。
(ここにある阿川の「雨が空から降れば」は自分でも好きな作品のひとつ)

 もう一軒、「無頼船」に移動して解散。楽しく呑みました。

2007年09月27日

文明の衝突

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 新婚の頃、残業でほとんど家にいなかったのに、それでも給料が安くて、立派な家具などもちろん買えず、毎週のように東急ハンズへいって、創意工夫で安いけど自分のテイストに合った家具調度品を作ったり買ったりして手に入れたものだった。

 で、最近ではしばらくの間、あまり東急ハンズのお世話にならなかったのだけれど、たまに行ってみると趣味のいいものもあったりして。
 というわけで、先日、取り置きしてもらったパーティションを受け取りに車で東急ハンズへ。

 あとは、こんな机が欲しいな、なんて。
 執筆の姿勢を保つために椅子の高さを調整すると、床との足の着き方が変わってしまう。なので、椅子を身体にピッタリ合わせてから、机の方の高さや天板の傾きを調整して、完璧な姿勢で執筆ができたらいいんじゃないか、という発想。
 腰を痛めたあとだから、これからはできるだけ体にかけるストレスを少なくしてやろうと。
 仕事場のアーロンチェアでも、居間のソファでも、極端な話、トイレに座った状態でも、こんなテーブルが持ち込めて、しかも高さがピッタリ、なんてちょっといい感じ?(語尾アゲ)

 売り場の見本はガタが来ていて、ちょっと使うに耐えないので、新品ならばがたつきがないのかどうか、調査してもらうことにする。

 あとはついでに、回復中の腰では徒歩では買って帰ることのできない重めのものをセキチュウで仕入れる。米酢などのビン物など。
 あと、スノボガールSちゃんおすすめのリハビリアイテムのフィットネス用ゴムボール(直径55センチ)、高級なのは5000円くらいするんだけど、とりあえずセキチュウで安い方から二番目のやつで1480円也。(いちばん安いのは780円だっためど、いまにも破裂しそうだった)

 夕食の支度で、麻婆豆腐をかき混ぜるために木ヘラを取ろうとして、ステンレスの串に指を指してしまって、夫婦ゲンカ。
 僕が使いやすい道具の収納になっていたのに、入院中に、妻が勝手にしまいかたを変えていて、台所が使いにくくてしょうがない。
 長期休暇からもどったら、自分の机がなくなっていた会社員みたいな気分。
 僕は、道具を使う頻度と作業の流れに合わせて仕舞っているのに、妻は、「きれいな収納」に重きを置いて仕舞うので、料理の作業の流れに、引き出しの中が合わないのだ。文明の衝突。イスラエルとパレスチナみたいなものか。
  次に家を建てることがあったら、妻用の台所と、自分用の台所を、それぞれ作らないとだめだ。ふたつの文明が聖地を共有することはできない。
 現在、それだけの財力は、僕にも妻にもないので、いまのところ、せいぜい妻用のマヨネーズ(味の素)と自分用のマヨネーズ(キューピー)とは、それぞれ用意して使い分けている。そういやシャンプーとリンスも別だ。

2007年09月26日

やっぱり「パッチギ」

 夕方から神宮前へ。
 ダイヤモンド社の9階で桂吉坊さんの落語を聴く。上方落語を生で聴くのは初めて。

 午後9時すぎ、原宿駅近くでパーティ。
 こうみえても人見知りなので、必死で知っている顔を探す。
(バイオリズム的に社交的なエネルギーがあまりなかったし)

 運よく「ゴールデン街友だち」のCさんを発見。パーティ主催者のTさんと同じ店に出入りしていることは知っていたのだが。

 そこそこのタイミングで新宿へ移動してゴールデン街へ。
 いやあ、何ヶ月ぶりだろう。
 なじみの店でなじみのメンバーがいて、なんとも懐かしい。

 そこでも「パッチギ」の話になり、プロデューサーがなんとCさんの知り合いだったり、実は僕がこの店にいっしょに来たRちゃんは井筒監督のヨメはんだったんだよ、えー、みたいな話になる。店のオーナーは京都の人だし。

 まだ朝まで飲んでいる体力はないので、終電で帰宅。
 なんだか「パッチギ」の風が吹いているようなので、深夜2時頃からビデオで「パッチギ」を見る。

 京都を舞台にしたロミオとジュリエットの話。
 他の映画でいちばん似ているのは「グリース」かな。

「結局、何も変わらない、それでも人間はみんな生きていく」というような話。
 理念よりも現実を泳いでいく哀しみと自然さとたくましさの物語、とでもいうのか。

 映画と小説の作り方の上での決定的なちがいをつくづく感じる。
 あんなに説明しないで物語を運べる映画というのが羨ましくもある。もちろん小説でなければできないこともある。

 この映画でなんだかふっきれた気がする。
 明日一日は雑用があるけれど、やっと頭と身体が小説家にもどってきているのを感じる。

2007年09月25日

リー・リトナーと映画「パッチギ」

 横浜赤レンガ倉庫まで25分ほど歩く。
 午後8時40分到着。
 Motion Blue Yokohama で、リー・リトナーのライブ。

 ステージ上手(かみて)、ドラマーの後ろの席。目の前2mにドラマーの背中が見える。
 ほとんどすべてインプロビゼーションですごくいい感じの演奏だ。
 ドラマーの後ろにいると、ジャズの演奏の場合、メンバーみんながたびたびドラマーを見る。アドリブの受け渡し、リズムの切り替え、など、アイコンタクトで演奏を続けていくからだ。
 となるとこの位置にいると、まるで自分がステージにいる感じで、演奏者と頻繁に目が合う。

 もともと音楽を聴くとき、クラシックでもジャズでもロックでもいつも自分もいっしょに演奏しているつもりで聴くのだけど、今夜は、特別にそのライブ感が強烈。聞いている音も、ほとんどドラマーが聞いているモニタースピーカーの音だしね。

 しかし、いい演奏を聴くとめちゃんこ疲れる。
 なにしろ、ミュージシャンと同じテンションで、すべてのプレイヤーのすべての音を聞いて、自分がそこに後を重ねるつもりで聴いているわけだから。

 後ろの席には井筒監督の作品『パッチギ』の主演男優・塩谷瞬が座っている。
 ステージのちょうど反対側、下手(しもて)のピアノの後ろには杏里がいる。

 実は、ちょうど日曜日の深夜に『パッチギ』を録画したところだった。井筒作品は見たことがなかったのだけれど、井筒監督の奥さんとは酒の席でいっしょだったことがあって、パッチギ見てねと言われていたのであった。

 ライブでぐったり疲れて、また、徒歩で帰宅。
 歩いていけるところで、リー・リトナーを聴くことができるなんて、ああ、なんてシアワセ。

2007年09月24日

イノシシを喰らう

 昨夜は、ちょっとくだらない調べ物をしているうちに寝そびれてしまい、やっとベッドに入って起きたのは午後2時。
 3週間の入院生活でせっかく身につけた朝型生活だったのに。
 そこに到達するのにたくさんの入院費だって払ったのに。て、入院は夜型生活矯正が目的だったのか(笑)

 午後いっぱいを自動録画したニュースのチェックなどで過ごす。そうなのだ。我が家では、ソニーの「スゴ録」が稼働し始めて、キーワードを入れておくと、該当する番組を自動的に録画してくれる。なので、NHKの定時ニュースの他、CNNとかABCとかアメリカのニュースをチェック。
 これで、ニュースを見るためだけにスカパーを契約する必要性がかなり減った。(現在、基本料金だけ払ってですべてのチャンネル解約中)
 そのほか、予想外に役立つドキュメンタリーなどを見るチャンスに恵まれる。
 結果的にテレビの視聴時間が少し増えた。もともとニュース以外にあまりテレビを見ないから。

 ただし、この2ヶ月ほど、入力過剰で情報収集に興味がいって、その分だけアウトプット、つまり、執筆の調子がひどく悪い。ここらで意識して、入力を遮断する必要がある。

 さて、夕方のテーマは、猪肉の調理。
 ご飯を炊いて、冷凍してあった油揚げで味噌汁をつくり、キャベツとピーマンのオイスターソース炒めをつくったところで、猪肉のロースの部分を刺身用の柳刃包丁で薄くスライスしていく。
 結局、シンプルに粗挽きブラックペッパーをふって焼いて、レモン果汁と塩とで食べることにした。
 食べてみると思ったほどの臭みはなく、味はコクのある豚肉という感じ。なかなか美味しゅうございました。あとモモ肉があるのだが、そっちのほうが匂いがきついかもしれない。とりあえず冷凍して、それはまた後日。
 
 夜半から近くのツタヤへ行き、CDを1枚返して借りて、午前2時までやっている併設のスターバックスでノートパソコンを開いて仕事。
 まだ腰が本調子ではないので、このスタバの椅子でパソコン仕事は1時間くらいが限度みたいだ。

 執筆マシンの Sharp MURAMASA PC-MM2-5NE の標準バッテリーが弱ってきて、1時間半ほどしか使えなくなっている。昨夜の調べ物というのは、実は、このバッテリーの中味のセルだけを取り替えてくれるサービスについてだったのだ。
 ふだんは3倍容量のバッテリーを使っていて、そちらも弱っているのだけれど、まだ4時間ほどは使える状態なので、当座は間に合っている。(以前は7時間ほど使えていたが、さすがに3年使っていると弱ってくる)
 この標準バッテリー、純正品を買うと15000円ほどするところ、業者に中味だけを替えてもらうと8000円ほどで済む上に、純正品発売後の技術進歩が反映され改良されたセルに交換されるので、性能も上がるらしいのだが。

2007年09月23日

イノシシはどうやって食うのか

 まだ、ヨットには復帰できない。

 ヨットは海況によってハードさがちがうので、余裕のないぎりぎりでは乗れないし、まだ身体を捻ることができないのが問題。
(乗船中は、進行方向に対して真横を向いて座り、顔だけ進行方向に向けるので、身体を捻る姿勢を続けることになるので、背骨を捻ることが禁忌の状態ではなかなかむずかしい)

 パシフィコで開催中の「横浜ライフデザインフェア2007」へ、歩行訓練を兼ねて。
 いわゆるシニア世代、団塊の世代の退職後に向けたイベントなのだけれど、狙いが絞り込まれていなくてイベントとしてあまり成立していないように感じた。
 そもそも団塊の世代と従来のシニアはライフスタイルがかなりちがう。

 近くでの買い物も含め、万歩計は3000歩だった。
 たったこれだけで、まだかなり疲れる。

 夜、山で射止めたというイノシシの肉が届く。
 さあて、どうやって食えばいいのやら。

 

2007年09月22日

1回休み

 職人が来て、家の内装のドアを直していった。

 あとは、ほとんど在宅。
 仕事の勘が鈍ってしまっている。まずいな。

 牛乳とパンを買いに近くのコンビニに出かけ、帰りにTSUTAYAでCDを借りてきた。

 双六でいうと「1回休み」みたいな感じのだらけた一日。
 疲れをとるってことも大事だよね。と、自分にいいわけをする。

2007年09月21日

江戸川乱歩賞授賞パーティ

 午後5時半、有楽町ビックカメラ。
 HDMIケーブル1.5m(3780円)。居間のビデオの配線を変えるため。

 午後6時、帝国ホテル。
 江戸川乱歩賞授賞式&パーティ。
 始まった頃はスーツを着た人が多くて、途中から肩を出したドレスの銀座のおねえさま方が増え、さらにはなんだか職業不詳の人が増えてスーツの人が減る。2時間の間に会場にいる人の構成比が何度も変化する不思議な会である。

 昨年は推理作家協会に入会したて、ということもあって、ほとんどのパーティに参加したのだけれど、今年は、体調もよくなかったこともあり、ちょっと休みがち。
 江戸川乱歩賞パーティだけは、推理作家協会の他のパーティとちがって、会費が無料でしかも帝国ホテル、ということもあり、病み上がりの社会復帰訓練がてら参加。
(ちなみに、その他のパーティは会費1万円で、新橋第一ホテルとか、飯田橋ホテルエドモントなど)

 ひさしぶりに(最近学業が忙しくてあまりいっしょに飲んでいない)菅谷充さんを発見。

 知り合いの編集者がいつもより少なかったりしたこともあって、ローストビーフ、寿司、スモークサーモン、蕎麦、デザート、など、お腹一杯食べたりして。(笑)
(ふつうは、挨拶や名刺交換で忙しくて、あまり食べるヒマがない)

 先日ご馳走になったK書店の某氏に会ったら、「すすんでいますか?」
 K書店の仕事ではなくて、その前の別の出版社向け長編のこと。それらが終わったら注文をくれる含みの質問で、たいへんありがたいのだけれど、まだ自分の創作ペースがちゃんと確立していないので、返事がしにくい。(ああ、まだプロになりきれていないなあ)

 コルセットをして2時間立っていたらさすがに疲れて会場の後方のテーブルに座って雑談をしていたら、近くにいたK文社のU氏いわく「サントリーミステリー大賞トリオですね」。

 そうなのだ。高嶋哲夫(サントリーミステリー大賞)、新井政彦(日本ミステリー大賞新人賞)、とわたくし阿川大樹は、第16回サントリーミステリー大賞の最終選考に残ったときの同期(笑)。
 ひとつの賞の候補者3人が全員、のちにデビューして、この種のパーティで顔を揃える、というのはけっこう珍しいのだけど、ときどきこうした同窓会(同期会)のようなことになるわけだ。

 最初に「大賞」になった高嶋さんがもちろんいちばん実績を上げている。
 ちょうど話していたときに、高嶋さんの『M8』の文庫増刷(3刷)のニュースが入る。

 というわけで、「サンミストリオ」は有楽町の街に出て、某洋風居酒屋へ移動。
 午後10時くらいまで、いろいろな話。この3人が揃うとあまり景気のいい話にならないことが多いのだけれど、「3刷決定」というおめでたいことがあったので、ここでの二次会は高嶋哲夫さんの奢りになった。
 ごちそうさまでした。
「これからは、増刷になった人の奢り、というルールにしましょうか」
 などと、けっこう本気に言い合ってわかれる。

 ちなみに、帝国ホテルの会場で、吉田伸子さんが、僕の顔を覚えてくれていたのが、けっこううれしかったな。

2007年09月20日

今日も新記録!

 昼過ぎに家を出て、打合せ、中華の夕食。
 9時間の外出。退院後最長外出時間。本日も進歩。

 思えば子供の頃って、自分の進歩をいつも自覚していて、なんでも楽しかったような気がする。大人になると、停滞した能力とか沈滞した日常とか、そういうのを感じる機会が増えてくる。
 停滞を安定といいかえて、それをガマンするのが人生だったり仕事の中心部分になってしまったり。
 辛い時期がなかったわけじゃないけど、自分は面白い仕事ばっかりやっていたような気がするし、今になって日々進歩する肉体を実感したり、人生って楽しいよね。
 新しいことを始めると、それが未経験だからこそ、進歩のスピードが早くて毎日が楽しいわけだ。
 人生、毎日、伸び盛り!

 楽しくないのなら、楽しく生きるために、今の人生にこだわらずに、いつだって新しい人生に踏み出していけばいいじゃないか、というのが『覇権の標的』『D列車でいこう』にある基本的な考え方。

2007年09月18日

なんでもないことが喜びに変わる

 昼時、家を出て駅に向かう途中、横断歩道を渡っていたらクラクションが鳴る。
 ふと見ると赤い車の中で笑っているのは、病友のSちゃん。運転しているのはお母さんだ。そういえば、今日、彼女は退院のはず。退院の時間から少し経っているが、近くでしばらく過ごしていたらしい。
 入院仲間なので、お互いに寝間着姿しか見たことがなかったわけだけれど、助手席のSちゃんは、すっかり「街の人」になっている。信号が変わるまで、しばし、路上から窓越しに立ち話。退院おめでとう。

 みなとみらいから、退院後初めて、電車に乗る。横浜駅まで。

 高島屋で妻とランチ。肉を食べて元気をつけようと三田屋で「横浜ステーキランチ」1950円。この店は「文明開化」がテーマみたいだ。前菜の自家製ハムがとてもおいしかった。
 昼なのにピアノの生演奏があるんだけど、いわゆるサロンピアニストで音楽を舐めている。どんなポピュラーで易しい曲だって、多くの人に知られているということは「名曲」なのだから、その魅力を引き出す演奏をしようとすればいいのに。
 演奏が終わって、BGMが流れてきたら、ほっとして安らかな気持ちになった。(音楽心のない演奏を聴くのはストレスなのだ)

 高島屋で少しの用事を済ませて、初ヨドバシカメラ(笑)。ベイシェラトン1階のショウルームに立ち寄り、次は東急ハンズに向かったのだが、家を出て3時間経過しているので、外出に慣れない身体はヘロヘロに疲れていて、スターバックスで休憩。
 東急ハンズで眼鏡を新調しようと思っていたのだけれど、あてにしていたフレームが思ったのとちょっとちがったのと、疲れて根気がなくなっていたので、新調は延期。

 他に家庭のものをいろいろ物色しているうちに疲労がピークになったのでベッド売り場で寝心地を試す振りをして(笑)、3分ほど大の字になって休む。
「おお、なかなかいいね、このベッド」
 などと声を出して演技するのをもちろん忘れてはいない。(笑)
 立って身体を支える筋肉全部が弱っているので、横になると一気に疲労が回復する。

 午後6時に近づいていたので、近くの「白木屋」へ。
 1時間ほど、軽くビールとツマミを摂って、タクシーで帰宅。
 ふう~、都合7時間近くの外出をなんとかこなした。

 こういうひとつひとつの冒険(笑)と達成感がまたけっこう楽しいわけだ。
 健康なときは当たり前のことが、病気をするとチャレンジする楽しみを産んでくれる。楽な方が人生楽しいってわけじゃない。昨日よりも今日は進歩している、という喜び。

 さあて、そろそろ仕事したくなってきたぞ。

2007年09月17日

ピッチに立つ

 近隣の「みなとみらいスポーツパーク」で僕が所属している「FC-JIVE」の活動があったので、自主トレがてら歩いて行った。歩いて5分なんだけど、その距離を歩くことができなくて、手術前は自転車で行っていた。もちろん今日は歩いていっても全然平気。

 しかし、遅い午後の日差しが強烈。久しぶりの汗。
 ベンチに座って水を飲んでいたんだけど、芝生へ出て歩いてみる。筋力が落ちているので、アスファルトと芝生(といっても人工芝だけど)の感覚のちがいが大きくわかる。ぜんぜん足に優しいわけ。

 踏みしめて足の裏の感触を楽しみながら、ふと転がっていたボールに足で触れてみる。腰を捻ることは禁忌なので、身体を正面に向けたまま、歩くスピードのままトーキックで目の前50cmか1mへボールを弱く蹴り出してみる。
 つまり、歩く速度でのドリブル。
 たったそれだけでもボールを蹴るインパクトが背骨に伝わるのがわかる。この調子では、まだまだしばらく球は蹴れません。

 アスファルトを歩くよりも身体にいいので、仲間たちの試合を見ながらコートの周りを、ゆっくり歩いたり早足にしてみたり3周ほど。
 まだ当分プレーはできないけど、芝生の感触くらいは楽しもうと。

 終了後、散歩の仕上げに、先週まで入院していた病棟へ。
 看護師長さんに入院レポートを印刷してわたす約束をしていたのと、知り合った病気仲間がまだいるうちにもう一度顔を出したかったのだ。
 退院を控えてみんなけっこう元気そうでよかった。

2007年09月16日

スーパーへ買い物

 近くを散歩して足の筋力を回復させようと思っているのだけれど、目的がないとめげるので、スーパーまで買い物に行ってみた。(好物のトマトもなかったし)
 歩いて行くには途中何度も休憩しなくてはならなかったスーパーまで、いまは、スイスイと行くことができる。
 残念なのは、入院している間にトマトは3割くらい高くなっていたこと。

 入院中に届いていた小さな家具を設置するホームインプルーブメント。
 家の雑事は腰に負担のかかる姿勢が必要になるので、まだまだ要注意だ。

2007年09月15日

娑婆の暮らし

 カミさんが仕事で外泊だったので、ちょうど京都から見舞いに来てくれた友人と退院初日から野毛でワインを飲んでの幕開けとなった娑婆の暮らし。

 二日目は、比較的おとなしく。(笑)
 近くへ出て、まずマクドナルドでフィレオフィッシュ。
 病院食は意外なことにとてもおいしかったけれど、外へ出たときに食べたいものは、フランス料理でも高級中華でもなく、カレーや牛丼やマックや立ち食い蕎麦だった。
 刑務所から出てきて最初に立ち食い蕎麦を食ったら涙が出るほどウマイだろうな、と思う。
 あと、デオデオの店内で電気製品の価格調査(笑)をして、スポーツオーソリティで靴や水泳着をみてまわり、ツタヤのレンタルCD棚を見て回る。

 都合、2時間ほど歩き回った。
 いやあ、ぜんぜん足が痛くならない。当たり前のことがすごいうれしい。
 まあ、たった2時間のウィンドウショッピングで筋肉痛だけど。

2007年09月14日

リハビリ日記(12) 退院!!

DAY16:9月14日(金)

 病院最後の朝は午前5時半、起床。
 デイルームで朝のカプチーノの準備をしていたら看護師さんが来て、診察券を返してくれて、退院後のために処方された薬と、処方されていて使わなかった座薬をくれる。
 座薬は手術直後に1度しか使わなかったけれど、8回分処方されていたらしく、袋には「7個在中」とかいてある。冷所保存。使わなくても処方されてしまうとナースステーションに保管してあっても患者の所有物なので、退院時には引き渡しを受けるんだ。なるほど。
 こういう作業の分担が夜勤の看護師さんというのが不思議な気がする。でもこれもきっと業務フローをみて考え「改善」を重ねた結果決めた合理性のあることなんだろうな。
「食事が終わったら先生が傷のチェックに来ますから、あとは会計をして帰ってください」
 と、早々に引導を渡される。

 退院後の薬、この分だと、まったく使わなくて済む可能性もある。

 病室にもどってカプチーノで最後のダバダ~。
 8時半、I医師が来て傷のチェック。問題なし。
「ではまた外来で……」
 と、ルパン3世にちょっと似ているI医師が病室を去っていく。その後ろ姿にこちらは頭を垂れる。おかげさまで、痛みがほとんんどなくなりました。
 ナースが来て、バーコードが着いている腕の認識票(腕輪)をカット。自由の証(笑)である。記念にもらっておく。

 スノボガールのSちゃん(来週退院予定)がやってきて、廊下で記念撮影。イェイっ!
 
 なんとなく後ろ髪を引かれながら同室の人、すれちがう人、ナースステーションに挨拶をして、病棟を出た。
 ほとんど辛い思いをせず、おかげさまで、とってもたのしい入院生活でした。みんなありがとう。

2007年09月13日

リハビリ日記(11)

DAY15:9月13日
 手術からちょうど2週間。

 昨夜は、安倍晋三辞任の影響で(笑)7時のNHKニュースから特別編成の報道ステーションまでテレビを見たので、就寝が遅かった。

 本日の目覚めは午前5時半。6時を回ったところでカプチーノタイム。本日もダバダ~。
 7時前にはダージリンタイム(笑)。室温23.4度。
 7時15分、採血。
 9時過ぎ、抜糸!

 もうじき退院だと思うと、忽然といろいろ食べたいものが頭に浮かぶ。
 食べたいものとは、カレーとか牛丼とか焼き鳥とか。
 それぞれ味でいうと病院食の方が上かもしれない。決して豪華なフレンチだったりはしない。こういうのは現在の食事に対する満足度とは別のものみたいだ。
 病院食で生活するぞプロジェクトは、「あてがい扶持で選択できない食事」という意味で刑務所生活のシミュレーションでもあった。
 しかし、カレーとか牛丼とか焼き鳥なんていうのは、海外旅行しているときに恋しくなるのと同じ。病院生活は海外旅行と共通点があるというのは面白い発見だ。(面白いけど、あまり役に立つ発見じゃないな)
 
 午後1時、最後のリハビリ。
 これで、病院内のめぼしいイベントは終了。あとは食べて寝て起きて退院である。

 昨日、たぶん救急で入ってきた患者の関係者のインド人がデイルームにずっといて、ほとんどの時間、携帯で電話をしている。
「その会社に51%まで資本を入れることはできるが、**を取締役会のメンバーに入れるのはダメだ」
 なんて英語で生臭い話をしている。さすがにインド人。
 インド人はターバン巻いてカレーを食べているというイメージ(笑)ではなく、昨今はネクタイをした切れ者のビジネスマン、というのが「インド人らしい」イメージ。
 ビジネスの世界で日本はほんとうにいろいろな国に後れを取っている。それなのに、全然、危機感がないのはどうしてなんだろう。まあ、いまのところ、そこそこ幸せだからそれでいいってことなんだろうな。

 ナースやクラークが退院の書類だの会計の書類だのを入れ替わり立ち替わりもってきたりするので、否が応でも僕の周りは退院ムード一色になり、同室の人たちは「いいなあ」を連発する。
 僕の場合、まったくの予定通りに経過が推移したので、精神的なストレスはほとんどなかった。けれど、似たような病気でありながら、最終的な原因を突き止める事ができずに検査を繰り返して手術の日程が決まらなかったり、糖尿病の持病が発覚して手術が延期になっている人もいる。そういう人はいわば「長い待ち時間」を病室で過ごすので、僕ほど楽しい入院生活を送ることができないわけだ。

 自主トレの恩人・スノボガールSちゃんと連絡先の交換。赤外線送信なんて久々に使ってみたので、機能を呼び出すのに時間がかかること。(笑)

CIMG0066.jpg

 最後の晩餐も美味しく戴く。

2007年09月12日

リハビリ日記(10)

DAY14:9月12日

 午前6時20分。今朝もカプチーノでダバダ~。

 室温23.6度。涼しいせいもあって左膝が少し痛い。実はこの膝が自分の肉体の最大の弱点であり、抱えている爆弾だと思っていたんだけど、思いがけず腰椎が先に来ました。次に手術するのは変形性膝関節症かなあ。などと、朝からつねに前向きに(?)次の入院のことを考える阿川である。

 昨夕、「よくなってくると看護婦さんにかまってもらえなくて寂しいなあ」なんて話をしていたものだから、今朝は「阿川さん(じゃなくて実際は本名)、おはよう」なんて、200%増しの笑顔でナースがやってくる。(笑)
 お忙しいところ、気をつかっていただいて、まことにありがとうございます。
 でも、実際、そんなことが楽しいわけで。単純にQOLが上がる。
 ナースというのは職人であり技術者であり、セラピストであり、エンターテイナーだ。職業としてかなり高度な知的労働だよね。
 国民経済の観点からは医療費削減が課題になっていて、診療報酬などもどうやっても医療機関が儲からないような仕組みにしてしまっているのだけれど、医師や看護婦の報酬も仕事の質と量に比較して少ないものになっている。そういう社会の矛盾のようなものをひとつひとつ改善していくことができないのは、どうしてなんだろう。
 世間では絶対額だけを問題にして仕事の質や量に目を向けない「医師=高所得者」というやっかみによる言説もしばしば見られるし。

 イヤフォンから流れてくる、Ciara Adams の "Wild Wood" がカッコイイ。
 ピアノ、ウッドベース、ボーカル。こういう楽器が少なくてひとつひとつがビビッドな音を出す音楽が好き。少し高級なイヤフォンをつないでいる効果がここに効いてくる。

 午後1時からリハビリ。
 元演劇関係者の僕は「リハの予定は」といわれると「リハーサル(ゲネプロともいう)の予定」のことだと思うわけだけれど、ここではリハは「リハビリテーション」なのだ。
 おなじく、「生食」というのは「お刺身用の魚」のことではなく「生理食塩水」のこと。「なましょく」(湯桶読み)じゃなくて「せいしょく」。

 病室にもどると、安部晋三内閣総理大臣辞任の報。たまらず記者会見の生中継のためにテレビを点ける。それにしてもまったく内容のない記者会見。見る(聞く)人が納得できる具体的な答をする気持ちがとことんない人なのだなあ。小泉内閣がなぜ人気があったのか、この人はまったく分析しなかったのだろうか。
 民主主義社会における政治でいちばん大切なのは「国民が納得すること」だというのがわからないのだろうか。国民は自分が納得できさえすれば貧しくても苦しくてもいいのだ。国民のためによかれとどんな素晴らしいことをやっても、それで国民が幸福を感じることができなければ意味がないのだけれど。

 入院後17日にもなると、知り合いも増えるしそれぞれに親しくなってくるので、なかなか静かに読書をしたり執筆したりするのが難しくなってくる。今後、入院中に執筆をするようなときには、個室でもない限りこのあたりのことは計算に入れておかなくてはならない。(メモメモ)
 実質、あと1日で退院となると、とても名残惜しい気持ちになる。
「またここで会おうね」とはいえない刹那の関係なのだ。

 夕食は、追加料金240円(基本料金260円を加えて500円)の特別食。
 退院前の最後のチャンスだったので、向学のために申し込んでみた。たしかに多少楽しい食事になっているけれど、260円のコストパフォーマンスがあまりにもいいので、この500円の価値は霞んでしまう感じがする。600円出せば大戸屋の定食を食べることができるし。
 それにしても病院食が美味しくない、というのは都市伝説だったのか、あるいは過去のことなのか、でなければこの病院がとくべつ美味しいのか。生まれて初めての入院初心者の僕には、そのあたり、とんと見当がつかない深い深い謎である。
 逆にいえば、食事は誰にでも興味がある共通のエンターテインメントだから、美味しい食事を全面に出すことができれば、病院のセールスポイントに十分なりうると思う。
 病院というのはやむを得ず来るところではあるけれど、患者にとっていろいろな制限があるからこそ、滞在期間中はできるだけ楽しく快適に過ごしたいものだから。(個人的には辛い思いを取材する目的であったけれども)

2007年09月11日

リハビリ日記(9)

DAY13:9月11日

 同時多発テロの日。
 この日を境に、アメリカの迷走がひどくなって、いまに至るわけだ。
 アメリカ軍の戦死者はとっくにこの日の犠牲者の数を超えているし、イラク人にいたってはおびただしい人命が失われている。
 このテロについて、当時、日本が情報(インテリジェンス)の中心になっていたらしい。世界で一番アフガニンスタン情報が早く入っていて、「なにがしかの大きなテロ」がアフガニスタンがらみで起きることについて、日本が世界に情報を提供していたという。

 午前5時45分、オシッコがしたくて目が覚める。いわゆる「自然が呼んでいる」というやつ(笑)
 午前6時15分、本日もネスカフェ・カプチーノを淹れる。ダバダ~。
 外はどんより。涼しくていい。(午前中に太陽が出ていると何しろ暑くてつらくなる)
 全体的に筋肉痛の朝。今日もどんどん鍛えましょう。

 予定通りならば13日抜糸、14日朝退院。実質残りの入院期間は3日間だ。
 そろそろ退院社会復帰モードに入ろうと思う。(といっても、朝型で食事時間が規則的である以外には執筆モードの在宅時とそれほどちがわないのだけど)
 いまのところ入院中に予定していただけの仕事は進んでいない。時間がなかったわけではないので、自分の能力が低いってことだと思う。取材成果はたっぷりあったので、ようするに入力過剰。情報がたくさん入ってくる時期には執筆はあまり進まない。これはある程度やむを得ないのだけれども。
 夏休みが終わりそうなのに宿題ができていないような気持ち。

 7時のNHKニュース(FM)を聴き終わったところで、とりあえず朝食前の朝練。
「階段5往復で息が切れる」と嘆いたら「ふつう階段で5階まで一気に上がることもあまりないでしょう」と同室の人にいわれる。いわれてみればそれもそうだ。(公団住宅の基準では5階建てまではエレベータのない住宅がふつうではあるけれど)

 午前中、階段5往復をもう一度。

 デイルームで書き物をしているとI医師がきて、「椎間板遺伝子解析研究への協力について」についての話。ようするに慶応大学での研究のサンプルのひとつとして遺伝子を血液20mlの形でカルテ情報と共に協力してくれないかという話。
 医学の研究に役立つことなら、もちろん協力は惜しまない。

 聞いていた Bella の Whatever It Takes が今日はなんだかゴキゲンだ。

 入院以来、ずっと考えている長編。
 バラバラの要素は少しずつ増えているのだけれど、全体に一本の芯が通らないので、物語として固まらない。オーディオの音量を上げて集中力が出るように今日からやり方を変えてみているのだけど。

『D列車でいこう』、
「退院までに読み切れなさそうだから譲ってください。ついてはサインしてください」なんてSちゃんにいわれては、サインつきで献本させてもらうしかないだろう。
 彼女が自主トレに誘ってくれなかったら、僕の回復はもっとずっとゆっくりだったにちがいない。僕は元アスリートの高い理想の薫陶を受けたのだから、彼女は僕の恩人だ。

 隣はいろいろな検査に出かけたり血圧だの血糖値だのを頻繁に測っては点滴だの何だのといろいろ。こちらがナースにかまってもらうのは朝夕の検温と血圧測定くらいで、なんだか、弟が生まれて以来ママにかまってもらえなくなったお兄ちゃん状態でちょっと寂しい。なあんてことを隣の人のところにナースが来ているときに話をしたら、「みんな思うことは同じなんだね」と向かいの人。(笑)

 社会復帰の一環として、NHKテレビのニュースを見始めてみる。


【什器】

 ベッドサイドの収納ワゴン(「床頭台」というらしい)だが、機能はいいとして、開閉するときにかなり大きくていやな音が出る。病室で使用される什器として、設計があまりよくないと思う。(ようするに夜中寝静まった時刻にも相部屋で開閉されるということを考えて開閉音まで設計時に意識されていない)
 うるさいこと自体も問題だけれど、うるさくしないように気兼ねして開閉するのがまたQOLを下げる。

2007年09月10日

リハビリ日記(8)

DAY12:9月10日

 午前5時40分起床。
 インスタントのネスカフェ・カプチーノ、けっこういける。ダバダ~。
 午前6時半現在、室温24.7度だけど、雲間から太陽が顔を出して、上昇基調。

 午前中に自主トレ10周をこなして、午前11時にシャワー。
 午後2時リハビリ。
 
 淡々と過ぎる1日。

2007年09月09日

リハビリ日記(7)

DAY11:9月9日

 午前6時20分、室温26.3度、『プリズンホテル』(浅田次郎)読了。
 破天荒な設定をグランドホテル形式で記述する。「泣かせの浅田」の片鱗もちゃんとある。(笑)
 あとがきを読んで、デビュー前の阿川に直筆で年賀状をくださっていた理由に合点がいく。僕から浅田次郎さんにお返しするものはないが、代わりにだれかに返したいと思う。

 就寝前の筋肉痛もほぼ解消している。
 今日もリハビリと執筆、頑張ろう。
 朝食後の体重コルセットを含んで63.95kg(入院時64.65kg)
 午前中、階段昇降コース5往復。午後5往復。

 日曜日とあって、会社員時代(もう10年以上前だ)の友人が3人で見舞いにやってくる。その後、我が家へ移動して飲んで帰ったはず。
 夕食が済んだところで、空いたベッドに急患が入ってくる。救急車で緊急入院になった前立腺ガンの人。のんびりムードの我が病室もちょっと緊張モード。日曜の夜で病棟のナースも人手がない状態でてんてこ舞い。

「眠らなくちゃ」信仰について。
 ところで、入院していると、「眠れない」といって夜中にナースコールをする人がけっこういる。ナースは自分で勝手にクスリを処方することはできないから、そういわれても困るわけだ。患者は食い下がり、医師に連絡をとってなんとかしてくれといったりする。もちろんそんなことで夜中に起こされたら医師もたまったものではないので、ナースはなんとか患者をなだめようとする。
「眠れなくてもいいじゃないか、明日、仕事をするわけでもなく、ベッドにいるだけだから、昼間だっていつでも好きなときに眠れるのだし」というふうに思わない患者がけっこういるというわけだ。
 たしかになにか不安を抱えたまま長い夜を過ごすのは辛いけれど、眠れないということ自体が不安要素になっている。いい悪いではなく、それもまた患者の陥りがちな心理状態のひとつであるらしいということ。
 まあ、僕みたいに「お、眠くない。あれもこれもできるぞ、ラッキー!」と思うのもあまり身体にいいとは思えないけどさ。
 いずれにしても「眠れない夜を楽しく過ごすための生活設計」というのは楽しい入院生活の重要な要素であるようだ。

【身近な什器のことなど】
 ベッドサイドテーブル 平成10年購入。
 床頭台(という名称のベッドの横にある物入れ) 平成12年購入。
 3モーター電動リモートベッド 平成12年購入。

2007年09月08日

リハビリ日記(6)

DAY10:9月8日

 午前6時少し前、起床。室温24.3度。
 比較的途中目覚めることなく、8時間くらい眠ったように思う。
 トイレで勢いよく小用を足す音が高原のせせらぎを想起させて気持ちがよい。思わずマイナスイオンを胸一杯に吸い込んでみたくなる(嘘)
 ちなみに、マイナスイオンが身体にいい、という科学的データはまったくないそうだ。
 かつては「オゾンたっぷりの森に囲まれて」なんて不動産の広告があったりしたものだ。オゾンは身体に有害な酸素ラジカル(プラスイオン)を発生させる。活性酸素には発ガン性がある。

 ステンレスボトルの中でわずかに温度を保っている昨日のコーヒーを飲む。まあまあイケル。

 ベッドから出られるようになると病院生活は意外に快適である。
 買い物にも行かず調理もせず、どの店に入るか考えることもなく、時間になれば食事が出てくる。味だって30年前の東大駒場生協食堂や25年前のNEC相模原社員食堂よりもずっと美味しい。手間暇と費用(病院食は1食260円)のバランスを考えれば、ほとんど不満はない。
 掃除も洗濯もしなくていい。
 雑事から解放されて、読書や原稿書きができるのだから、むしろありがたい。
 自由はないけど、執筆が佳境になっていれば、もともと家に引きこもっているわけで、それに比べれば家事労働がないだけ、病院の方が便利なわけだ。

 ベッドから出ることのできなかった期間は確かにつらかった。
 つまり、病院生活がつらいのではなく、病気やそれにともなう不安や苦痛がつらいわけだ。外科的な手術をして快方に向かい、苦痛が取り除かれ退院後の生活が入院前よりも改善されるという明らかな希望がある上に、生活の面倒は病院が見てくれるわけだから、いまの生活がつらいはずがない。

 パソコンの充電ができないために、充電済みのパソコンをデリバリーしてもらわなくてはならないので、妻に負担をかけてしまう。それさえなければ、できるだけ長く病院にいたいくらいだ。
 だって、自腹でホテルに籠もって執筆に専念しても、食事の心配はしなくてはならないわけだから、いわゆる「自主カンヅメ」よりも入院生活は快適なのである。

 午前7時のNHKFMのニュース。
 やっと台風のニュースがなくなって政治などが報道されるようになった。

 デイルームにいたら、スノーボードでプロを目指していたこともあるという患者仲間のSちゃん(30代前半:60歳のお母さんがこれまた美人)がたびたび通りかかる。リハビリで周囲をぐるぐる回っているのだということで、誘われて僕も3周だけ一緒に歩く。僕は昨日リハビリセンターで初めて階段を数段昇降したばかりなのだけれど、下の階との階段を3回上り下り。
 彼女は、僕よりも手術が後だったのに、運動量も運動機能もとっくに追い越されている。若さもあるし、アスリートだからリハビリの重要性も強く認識しているのだろう。
 彼女にしてもナースのHさんにしても、人に元気を伝染させるタイプの人っていいなあ。できれば僕もそういう人になりたいけど道は遠い。

 午前9時、病室の窓際にある僕の位置で室温30度(廊下側では27度)になったのでデイルームに避難。原稿書き。連載エッセイを1本書き上げる。

 午前11時前、地下売店へ降りて、缶コーヒー。
 芥川賞全文掲載の「文藝春秋」が売り切れて代わりに「問題小説」が入荷していた。そういえば僕の短編の掲載はいつになるんだ。書籍は文庫本だけで、全体的に軽いもの。
 煎餅1枚のパックを52円で売っているし、超ミニサイズのカップ麺なんかがかなりあるのが病院風。(このあたりのディテイルが小説には重要なんです)
 エレベータを下りた正面のポスターには「病院で必要なものがなんでも揃う」と謳われている。じゃあPCバッテリー充電サービスなんてのはないのか。(もちろんコンセントが使えればそれがいちばん)

 昼食のところまでで、抗生物質の内服終了。
 改めて自主トレ第二弾。階段を含む周回コース5周。
 残りの時間は、ほぼ『プリズンホテル』(浅田次郎 徳間書店)を読んで過ごす。
 ずっと前に買ってあって読んでいなかったもので、帯に「超大型新人の最高傑作」と書いてある。直木賞作家にも新人時代はあった、という当たり前のことだけれど、「新人」ですでに「最高傑作」を謳ってしまっていいのか、これ以後出る本はそれ以下なのか、という心配に満ちたひとりツッコミを入れてしまう。
 浅田次郎さんは僕と3つしかちがわないのだけれど、もっとずっと年上のような感じがするし、ずっと前から小説家だったようなイメージがあるので、1993年現在で「新人」というのがなんとなく不思議。
 以前から日記には何度も書いているが、僕がサントリーミステリー大賞の候補になったとき、大賞に推してくれたのが浅田次郎さんだった。
 徳間書店の文芸書には担当編集者の名前が入っているのだけれど、『プリズンホテル』の担当編集者Sは、その後、幻冬舎に移って田口ランディの小説デビュー作を出している。いまはまた別の出版社にいるはず。文芸の世界はとっても狭い。
 偶然だけど、昨日、古くからの友人である田口ランディさんから入院生活応援の大型本が届いた。お、と驚くセレクションの本だ。ありがとう。

 夜9時前、いきなり窓の外に花火が上がる。
 小規模だけど、予想外のお年玉をもらったみたいな秋の花火だ。

2007年09月07日

リハビリ日記(5)

DAY9:9月7日(金)

 午前6時、平穏な目覚め。
 外はまだ台風模様。散歩がてら病棟の廊下を端から端まで歩く。道行く人が傘をあきらめ、レインコートだけで走っている。なんか気持ちよさそう。(笑)
 前日、妻が差し入れてくれたコーヒー(ステンレスボトルに入っているがもちろん冷めている)を飲む。違いがわかる病院の朝。ダバダー。
 口直しに給湯栓にいってティーバッグのウーロン茶(105円で20パック中国製)を入れる。毒が入っているかもしれないが味はよい。
 風力発電はもちろんまだ止まったまま。
 朝の検温、35.8度。やっと平熱にもどった。

 午前7時。向かいのクイーンズタワーのオフィスフロアは昨夜から照明の点いているところが何階かある。徹夜で仕事をしているのか、それとも単なる消し忘れか。

 毎日NHKFMの朝7時のニュースを聞いているが、台風のニュースは映像がないとつまらない。他のニュースはどこかへいってしまうし。
 テレビを見るのをやめてラジオのニュースだけで10日以上生活しているけれど、くだらないあら探しバッシング報道に接しないので、とても気分がいい。報道は事実関係を教えてくれればよい。テレビが怒りを煽ってくれなくても、こっちは冷静に怒る。テレビに感情をコントロールされたくない。毎日怒りを煽られたり自分たちのリーダーに失望させられたりして、自分で幸福な時間を壊されたくない。情報として伝えてくれれば、あとはこちらでいろいろ判断するさ。

 午前9時過ぎ、同室だったUさん(頸椎の手術)が退院していく。
 症状が出る前、健康なときは1年に365冊小説を読むのを目標にしていた、という今どき奇特な(笑)潜在的お客様なので、ならばと拙著『D列車でいこう』を前夜に差し上げたら、さっそく夜遅くまで読んでくれていたようだ。

 昼には風が強いけれどすっかり雨も上がって暑い日に。
 風車は回ったり(風が強すぎて)止まったり。
 午後2時、リハビリ。
 わずか15分ほどの指導なんだけど、帰りには身体の動きが軽くなっているからリハビリの方法論というのもたいしたものだなあ。できれば自分でちゃんと勉強してみたいと思う。

 となりの男性部屋にしきり屋さんで大声の話し好きの男性がいて、廊下を経由して一日中話し声がしている。同じ部屋だったらなかなかしんどいな。
 幸いこちらはルームメイトに恵まれていてありがたい。静かすぎずうるさくなく。

 ドクターが来たので、まだ見ていなかった手術後のレントゲンを見せてもらう。背骨のどこの部分を削ったかよくわかった。
 問題のビリルビンの値が高い件は、すでに解消して正常値にもどっているとのこと。よかった。ほんとビックリしたぜ。(よくなったらよくなったで、先生、はやく教えてくれ~)

 午後4時、シャワー。
 本日の予定イベントは以上。

 いろいろな人がメールをくれたりして、みんながみんな「ヒマでしょう」という。
 実は、日記を書いたり、ふだん読めない本を読んだり、小説のアイデアを考えたりしているうちに、すぐに夕食の時間になり、夕食が終わると瞬時に消灯になる。もっとたくさん本を読める、原稿が書ける、と楽しみにしていたのだけれど、思いの外、病院の一日は短い。
 生活上の雑事がないぶんだけ時間の余裕があるはずだけど、就寝時間が早すぎるからなあ。でも、睡眠中に肉体が回復していく(「寝る子は育つ」は医学的に正しい)わけなので、やっぱり寝るべきなんだよね。
(ちゃんと寝なかったから肉体が壊れたのかもしれない)

『資本開国論』(野口悠紀雄 ダイヤモンド社)読了。
 日本経済や政治について僕が感覚的に考えていることを、実に理路整然と「ほぼ」肯定してくれている。この本のおかげで、自分の感覚にデータの裏付けが取れた。

2007年09月06日

リハビリ日記(4)

手術後7日目 DAY8:9月6日

 前夜から同室内の排便問題がたびたびあった。
 病院だから、そういうことは当たり前で、同室者として別に迷惑だとも思わないけれど、ご本人はきっと気にしているんだろうな。手術後、身体が不自由で身動きができないのにそういう心労を抱くことが辛いところ。
 病院生活はそれぞれが自分第一にしてよいところだと思う。いわば迷惑をかけ合いながらみんなで病気を克服していく共同体だ。

 午前3時、目が覚めたところで起きてしまおうかと思ったけれど、結局、次に目が覚めたのは午前6時20分、夜勤の看護婦さんKさんが採血に来たときだった。
 朝の室温は23度代、この2週間ほどですっかり涼しくなった。起きている時間には上に羽織る衣類が必要になってきたな。
 デイルームへ出て、メールのチェック。留守電に病気を気づかう友人のメッセージ。

 今夜、台風が来るということで、横浜港が見渡せるこの病院の人はけっこうみんなわくわくしている。なんだ、台風が好きなの僕だけじゃないんだ。被害を受ける人もあるから、おもてだってはいえないけど実はみんな台風が好きなのだ。もちろん他人の不幸が蜜なのではない。自然の力を目の当たりにするところと、いろいろな非日常の緊張感が好き。
 ちなみに台風時のスタッフの出勤対策として仮泊施設など病院からの特別な配慮はないそうだ。医療スタッフだから何があっても出勤しなければならないのだけれど、現場は厳しい。

 午前9時前、隣人の下痢が止まらないようだ。浣腸が効きすぎている。
 いろいろ匂うのはともかくとして、たびたびシモの世話になることについて、本人がかなりめげている。
 そんななかで、ナースが小さな事を誉めたりして元気づけたりしながら、手際よく、シモの世話をしつつ、体を拭いたりして、まるで手術のチームワークのよう。
 その最中にも他の病室からのナースコール、たびたび鳴り響き、さながら戦場、またはドラマ「ER」の様相。
 今目の前の状況は、おそらくそのどれもが生命に関わるものではないと思われるものの、時々刻々の判断をしながら、凛々しく仕事をこなす、ナースのかっこよさといったら。
 その手際とリズムを見ると、救急医療も手術もおむつ交換も仕事に貴賤がないのがよくわかる。これもいい取材成果だ。

 午前9時前、部屋の引っ越し。
 手術後、ナースステーション近くの部屋に移っていたものが、手間のかからなくなった患者は入院時の部屋へ出戻り。窓の景色が少し変わる。左遷というのか出世というのか。(笑)
 回復してくると当然ナースの世話になることが減ってくるのだけれど、面白いもので、手術直後の人なんかが世話をしてもらっているのを同室で見ていると、ちょっと羨ましかったりする。

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 月曜日と木曜日が手術日なので、この病棟では火曜水曜は静かで、木曜は戦場になる。
 ただし、すでに快方に向かっている患者ばかりの部屋に引っ越したので、午後は安穏。窓から台風で荒れてきた景色を見ながら雑談したり原稿書いたり読書したり。
 
 午後、高校の後輩Mちゃんが見舞いにやってくる家族以外の見舞客第一号。ヒマワリの花束を戴く。お、置き場がない!

 リハビリの負荷が高くなってきて、けっこういっぱいいっぱい、筋肉ヒクヒク。

 風の音がいよいよ激しくなり、風力発電の風車は止められている。
 そのまま台風の夜となる。

2007年09月05日

リハビリ日記(3)

手術後6日目 DAY7:9月5日

 午前5時にはしっかり目が覚めてしまったので、そのまま起きてしまう。
 朝食、完食。
 午前10時、待望のシャワー! 10分前に見に行ったらすでに開いていたので、支度をして5分前に入り、10時29分まで、たっぷり時間を使って1週間の垢を落とす。頭なんて3回洗ってしまいました。
 遠く台風が近づいている。
 午前中、かなり激しい天候の変化をした横浜港の風景も、昼前には落ち着いてくる。
 師長さん(昔でいう婦長さん)から部屋の移動の話。阿川の日記の存在がばれていたこともあったりして、患者と医療現場の視点のちがいの話なんかをする。
 医療関係は評判がとても大切なので、昨今はいろいろなブログのことなども気にしているようだ。インターネットの評判がいつも正当であるとは限らないけれど、「気にする」というセンスがよい病院をつくっていくのだと思う。

 午後2時半、リハビリへ。
 歩行器なしで歩く。まだ少し安定しない。病棟の同じフロア内は歩行器なし、との指示が出る。結構、走っているスタッフもいたりして、まだ恐いけれど。
 午後4時、手術後、初めて地下3階の売店へ行ってみる。
「ずいぶん遠くまで遠征していますね」
 と後ろから声をかけてきたのは明後日退院予定の患者仲間のUさんだ。Uさんとはいろいろなところで会う。ということはUさんがやたらと動き回っているということだ。

 ベッドに寝ていると、たとえ傷が癒えてきても体力はどんどん落ちていくけれど、いったん立って歩くようになると、日一日といわず、時々刻々、快方へ向かっていく。この分水嶺までどうやって辿り着くかが問題なのだと知る。(内科的なむずかしい病の場合特に)

 夕刻になって、また天候はめまぐるしく変わる。台風はいよいよ接近している。

2007年09月04日

リハビリ日記(2)

手術後5日目 DAY6:9月4日

 ぐっすり眠った。起きると全身筋肉痛。
 朝食後の体温36.9度。まだ身体は若干戦闘モードってことか。(僕の平熱は35.6度くらい)
 午後のリハビリのために体力温存。寝たり起きたりしながらいろいろな姿勢で読書など。
 お湯の蛇口までいって、コーヒーを淹れてみる。1年以上の賞味期限切れ。(笑) 「白い恋人」なんて1年以上なんともないのに、二ヶ月期限を伸ばしたのがいけないみたいなこといわれて、ばっかみたい。最初から6ヶ月長くしておけばよかったってことだけど。(いけないのは細菌が検出された「バウムクーヘン」の方)
 ベッドにもどって伊藤園の「お~いお茶」ティーバッグ。これがおいしい。

 午前11時過ぎ、同室のX線撮影 Hitachi Sirius Star Mobile という小型の装置。

 昨日から看護学校の生徒がナースひとりに2人ずつついて実習している。

 本日、読み始めた本は、『再生巨流』(楡周平 新潮社)。

 午後2時半からリハビリセンターへこちらから出向いてリハビリ。
 ストレッチ、筋トレ、歩行練習。
 昨日動きはじめたせいで筋肉疲労が残っていて、いまひとつスムーズに歩けない。
 
 3時半、母が見舞いに来る。
 マドレーヌのような美味しそうな洋菓子をもってきてくれたのだが、せっかくだけれど食べるわけにはいかない。親の愛情はありがたいのだけれど、入院もいわば仕事中なので申し訳ない。
「できるだけふだんと同じように楽しく入院生活を送ろう」がテーマではなくて「病院生活の辛さを体験取材しよう」ということなので、その一環として「病院食だけで生活してみる」ということをやっているわけなのだ。

 パソコンの電源を取ることをを断られたので、二台のPCを自宅で充電してピストン輸送してもらうことにした。

 昼も夜も食事は完食。とくに夕食は美味しかった。

 ここまでで、入院日記がすでに原稿用紙50枚になっている。

2007年09月03日

リハビリ日記(1)

手術後4日目 DAY5:9月3日

「ベッド起こしていいですよ」
 新しい朝が来た。希望の朝だ。いままで30度までしか起こせなかったベッドを椅子のようになるまで少しずつ起こす。目の前の視界が開ける。
 しかし、痛いので長くそのままではいられない。つまり座っていることもできない体だってわけだ。なかなかきびしい現実である。

 空はゆっくりと晴れてくる。隣は本日手術。

 起きて朝食。同じ牛乳も起きて飲むだけで美味しい。
 えぼ鯛の干物、おいしい。おにぎり1個半。みそ汁、スプーンでなく口をつけて飲む。おいしい。
 しかし、起きていると背中が痛いし、ひどくつかれる。おなかも詰まっている。やっとの思いで薬を飲んで、真横にベッドを倒すとほっとする。まるで病人(いやたしかに病人なんだけど)

 午前9時過ぎ、ベッドに座って起き上がる。起き上がるときが痛いがきちんと座ると傷みもない。ベッドにいる時のように当たるところがないから、しばらくその姿勢を満喫する(笑) 医師が来るのが待ち遠しい。

 午前10時すぎ、ナースステーションに「回診ですの声」。
 来るぞ来るぞ、て、お化けが来るわけじゃない。
 まもなく医師がやって来ていう。
「立ってみましょう」
 思ったよりもうまく立つことができた。手術室に入ってから約96時間後のことだった。
 廊下を片道20mほど行って戻って、合格! 今日から立ってよし。
 エヘン! わぁーい!
 バルンカテーテルを抜かれるにゅるっという感触。

 うれしくて、電話したりメールしたり。
(つまり、歩ける、ということは携帯電話の使える場所まで移動できる、ということでもあるわけだ)

 美人のナースがエスコートについてくれて、歩行練習。きゃ、デートみたい。(ただし中学生のデートね)
 トイレ、無事、自力で小ができた。(長くバルンカテーテルを入れていると、外した後、自発的に排尿ができなくなることがあると聞いていたので、心配だった)

 しばらく、自分で歩いたら、無事、ふつうの排便もできた。これで最大の悩みが消えた。自由だ。

 その後、ひとり歩行練習中にいろいろなナースとすれちがうたびに「うんち出ました?」。(別に僕が特別うんち騒ぎを起こしているんじゃなくて、便通は通過儀礼だからなのだ)

 午後、リハビリの先生が来てくれて、一緒に歩く
 明日からは、こちらがリハビリ室に出向く。
 
『4Teen』(石田依良 新潮社)読了。
 14歳の中学生4人組の日常における冒険物語。
 いい小説でした。言葉そのものが生きている。こういう小説が評価される(直木賞受賞作)ということはうれしいことだ。僕が書きたいテーマ(のひとつ)とかなり被っている。僕が書けば自然にちがうものになるので、被っていること自体は気にならない。
 それについては、先日、K書店取締役と話をしたときの会話を思い出す。
「たとえ同じストーリーを書いたって、同じ小説になんかなりっこない。勝手にちがう小説になってしまいます。だから、無理に先行作品を気にする必要なんてないんですよ」
 そうかもしれない。

自立

手術は安全に終了。
術後4日目の本日、自力で立ちました。
手術が成功かどうか、つまり、症状が取り除かれたかどうかは、まだ不明ですが、元気です。

2007年09月02日

寝たきり日記(3)

手術後3日目 DAY4:9月2日

 午前3時40分、ついにナースコールを押して便器を持ってきてもらう。
 10分程がんばるがわずかにガスが出ただけ。くそ、たかが排便ごときがうまくできない。そしてそれがQOLを大きく低下させるのだ。
 次に入院するときは.もっと上手に糞をしてやるぞ。くそ。
 だぶん今日一日は宿便に苦しめられる曰となるだろう。

 病気と快適に戦うには、病気の知識だけでなく入院生活の知恵が必要だった。
 ウンコのマネージメントについてなんてだれも教えてくれなかったぞ。今回の入院で最大の苦痛は明らかにこれであって傷の傷みなんかではないような気がする。手術の痛みはこのトロールできるが、意外に排便はコントロールしにくい。
 手術の傷の痛みなんかよりも、便秘の方がよっぽど辛い。
 逆にいえば便秘の人ってふだんから大変だってことなのか。宿便侮りがたし。便静粛宿夜川を渡る。

 少し前から右手親指が痺れている。なんだろう。

 朝食最小限。
 ひさしぶりに青空で気持ちがいい。
 日曜で回診もないので午前中は静かな時が流れる。

 寝たまま飲む水を飲みそこなってむせると傷に響く。もちろん笑っても響く。くしゃみは最悪。

 これ以上腕力が弱ると、やがてはベッド上で姿勢を変えられなくなってくる。そうなると床擦れが始まるわけだ。こうして死んでいく人の転落の道が見えてくる。これも今回の重要な取材成果だ。自分で死んでみないと死人の小説が書けないのでは小説家はできない。人の死を書くためにもずっと入院したいと思っていた。やっとチャンスがめぐってきたわけだ。

 ヨットに乗ったら気持ち良さそうな日曜日。

 昼食、ハンバーガーとホットドッグ。わお。ひさびさに前のめりになって食べる。目の前の食欲が宿便の恐怖を凌ぐ。上海の女スパイにまんまとやられた自衛官の気持ちがわかったような気がする。(笑)

 やっぱりあった。(僕には関係ないけれど)お風呂の順番トラブル。
 病院を舞台にドラマを作る時なんかは、つかえるエピソードだ。

 隣の人は明日の手術を前に、神経質になっている。

 午後5時、軽い床擦れになりはじめ。頻繁に姿勢を変える。多分病気はここからが辛いのだと思う。予定通りならこちらは明日から起きられるが、そうでない人は絶望的な無限連鎖と戦いながら、同時に病と闘うわけだ。
 真面目なテーマとして、床ずれの研究はもっとやったほうがいい。患者のQOLにとってきわめて重要。

 後ろ臭{うしろが}。僕の造語(笑)
 自分が移動した後からっいてくる自分の匂い。シャンプーしたい。病院で死ぬということはこういう匂いを発散させて死ぬということなのだな。

 別に自分が死ぬことを考えているわけではなく、あくまでこの機会に「病院で死ぬ」人物を書くときのために、自分を使って取材をしている。この日記を読んで、阿川大樹が悲観的な考えに陥っていると誤解しないでくださいね。
 むしろ病院の日々は思った以上の取材成果で毎日わくわくしています。
 ちょっと長い日程で取材旅行をしているようなつもりなので。ここのところいくことができないでいる沖縄取材旅行の代わりみたいなもの。まさに同じくらい楽しんでいます。

 寝る前の検温37,0度。このあたりは快適に過ごすためにアイスノンと下剤をもらう。

2007年09月01日

寝たきり日記(2)

手術後2日目 DAY3:9月1日

 寝たきり3日目ともなると食欲がない。
 暗くなるという以外に朝昼晩のめりはりもない。

 10時前、回診。
 傷口OK。
 ガーゼ交換。ベッドと背中に挟まれたガーゼが傷口を押して痛かったのがよくなった。

 体温37.1度、冷や汗が出る。アイスノンをもらってまた体を拭いてもらう。とっくに開き直っているので見られても触られても平気。でもナースが先に友だちだったらいやかも。小はあいかわらず管から、大はがまん。浣腸は平気になったけどウンコ見られるのはまだイヤだなあ。でもあと1.5日、我慢できるかなあ。

 リハビリの先生がベッドまで来て人間トレーニングマシンになってくれて筋トレ。

 体幹の筋力が落ちてベッドの上で姿勢を変えるのが少し難しくなってきた。わずか3日間でこれだ。当然、足にもきているはずだが、歩いていないのでわからない。
 とにかく寝込んだり監禁されたりしたら、あっと言う間に体力が低下することがわかる。これが実感できただけでも入院したかいがあったというもの。
 1週間人質として監禁されていた場合、強硬突入しても,拘禁が強ければ、人質は体力を失っていて自力で逃げるのは困難になる。突入プランを立てる時.人質がどのような状態にあるかによって戦略は大きく変えなくてはならない。なんてことがわかったわけだ。
(入院で病院と自分の身体の変化を取材して得られるものは、こうして多岐にわたる)

 午後背中から入れていた痛み止め(エピ)がなくなったので、キズがかなり痛む。またボルタレンを入れてもらえば痛くなくなると思うが、取材の為、もう少し我慢してみる。

 食欲は急速に減退してきている。体を拭いてもらっていても自分で結構匂う。
 人間ただ3日間寝ているだけで体が壊れていくのがわかる。壊れきる前に病が治らないとき、人はきっと病院で死ぬのだ。

 僕の場合は内科的には健康な状態からの外科手術だから問題がないけれど、内科的な重篤な疾患で病院から出るのは、思いの外むずかしいぞ。ある線を越えて長引く病をもっていて「出る」というはっきりした意志のもてない人(まさかと思うが世の中には意外にいる)は死が待つ蟻地獄にはまってしまう。

 午後3時、『喜屋武マリーの青春』を読んでいるうちにまた汗が出てくる。コザ騒動のシーン。この本、沖縄戦後史の良書だ。

 今日は土曜日なので周囲に見舞客が多い。

 タ食、いよいよもって食欲がない。便通が原因だと思う。明日1日我慢して栄養摂取に問題を残すのは本末転倒なので、ついに下剤をもらうことにした。