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国語力・ディバイド

 昨日、プリンターのトナーが切れた。

 買ってからちょうど一年。
 最初に入っていたトナーは容量が少なくて1000枚しか刷れないのだそうで、そういえば、紙の消費からいって、1500枚弱くらい印刷している。

 昨日の午後5時過ぎに amazon で注文したら、今日の昼前にはもう届いた。
 便利な世の中だ。

 いまは、食べ物でも、家具でも、なんでも通販で買える。
 だから、ほんとうは年寄りこそ、パソコンを使うべきなのだ。

 使っていない人はなかなか信じられないみたいだけど、人とのつきあいも、パソコンがあれば対面よりもむしろ深いつきあいができる。

 どんなに仲がいい友人がいたとしても、ふつう、毎日会うことはできない。病気になったり足が悪くなったり離れていたりすればなおさらだ。

 ところが、毎日、互いの近況がわかっていて、驚いたことうれしかったこと怒っていること、そんなことを共有している人が、僕には何十人もいる。
 パソコン通信を始めた1986年くらいからだから、「滅多に会わないけど、お互いの日常生活や家族のことをすごく詳しく知っている20年来の友人」というのがたくさんいるのだ。

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 たまに近況を聞くんじゃない。毎日毎日、そうしてつきあっているのだ。

 その間に、結婚したり離婚したり子供ができたり病気になったり元気になったり息子や娘が結婚したり、喜怒哀楽を共有している。
 職場の友達より、学生時代の友達より、もしかしたら家族より、親しくしている。
 たまに結婚式に呼ばれたり、結婚式の司会をしたり、温泉に集まって一緒に遊んだり、いろいろな形で直接会うこともあるけど、基本は電子のつながりだ。

 そんな仲間たちも20年前より20歳年取っている。
 でも、このまま「独居老人」になったとしても、全然、孤独じゃないと思う。

 高齢化社会になっている。
 高齢者はパソコンが苦手、なんて、高齢者自身も周囲も決めつけないで、パソコンとインターネットが使えるかどうかで、日常生活の質がまったく違うってことを理解してくれたらいいと思う。
 エンジニアだった僕は、心からそう願っている。

 ただ、その先、「文章で何かを伝える」ことができるかどうかが問われるのは確かだ。
 パソコンは、少なくとも運転免許を取るほどの努力をすれば、誰にだって使えるようになるけれど、自分の思いや考えを文章で伝えることができない人がその能力をつけるのはは簡単ではないかもしれない。

 だから問題は「デジタル・ディバイド」ではなく「国語力・ディバイド」なのかもしれない。

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