覇権の標的 フェイk・ゲーム  幸福な会社 会社、売ります D列車でいこう インバウンド








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2011年04月29日

朝日を浴びる新緑の中、朝帰り

 朝5時前、できあがった連載の原稿を編集者にメール。

 始発のバスで帰宅しようかと思ったら、本日は祝日でバスがない。
 世の中は今日からゴールデンウィークか。

 歩き始めると急に緑を濃くした大岡川の桜並木が朝日を受けて美しい。
 日本丸の周りの緑も美しい。
 横浜美術館の前の公園の緑も美しい。

 マクドナルドがやっていたら何か軽く食べようかと思ったけど、開店は7時だった。

 午前6時15分過ぎ、家に到着。
 腹が減って眠れない感じなので、にんべんの鰹だしをお湯で薄めて飲む。
 午前7時過ぎ、就寝。

 昼頃に起きた。
 なんとなく仕事をする気がしない。

 自転車用のヘルメットの塩梅が悪くなっている。
 自転車を買ったときに買ったものだから、もう20年くらいたっている。
 発泡スチロールが経年変化でシュリンクしているのがはっきりわかる。
 安全面からも買い換え時だと判断して、運動がてら、自転車用品店を回る。

 結局、家のそばのスポーツオーソリティで GIRO の製品を購入。
 今までのに比べてものすごく快適。
 二十年分製品が進歩しているのか、単に僕が使っていたのが安物だったのか。
 たぶん、その両方だろう。

 その他、家事ばかりしていて仕事が進まなかったので、深夜零時になってから近所のスターバックスへ出勤して午前2時まで仕事。

2011年04月28日

原稿滞り、徹夜

 かなり暖かい。
 でも夜は寒くなるから、着て出るものが難しい。

「第三会議室 returns」(日経ビジネスオンライン)の連載第三回の原稿を書く日だが、夕方の時点でほとんどできていないので、早々に徹夜と決める。
 夕食は、ちょっと趣向を変えて、日ノ出町の羊肉専門の中華料理店。

2011年04月26日

静かな日

 朝食は、たらこスパゲティ。

 自転車通勤の途中、自転車屋でブレーキシューを探すがない。
 20年前のシマノの105なので、やや入手難。
 とりあえず一組だけ手に入っているので、前輪だけ交換。
 後輪の分はアマゾンでみつかったので発注。

 ブレーキのゴム自体はあまり磨り減っていないのだけど、20年使っているので、弾力がなくて固くなってしまっている。

 スタジオに着いてからは、やや、ゆるゆるな感じで仕事。
 午後3時から、黄金町のアーチストの連絡会議。

 夕食は自宅で。
 酢豚の残り、だし巻き玉子、ワカメの赤だし味噌汁(本日の出汁は煮干し)。

2011年04月25日

「D列車でいこう」さらに重版

 高島中央公園にて運動。
 のち、黄金町へ出勤。

 午後5時半、池袋。
 西武百貨店ギャラリーにて石居麻耶さんの個展「星の還る街」。
 45万円の絵が欲しかったなあ。
「D列車でいこう」が10万部を突破したら買おう。
(文庫版「D列車でいこう」「幸福な会社」の表紙を描いてくださったのが石居麻耶さん)

 欲しかった絵のことを考えながらジュンク堂へ向かっていたら、電話が鳴った。
「阿川さん、いいお知らせです」
 と徳間の編集者からの電話なら話の中身は決まっている。
「D列車でいこう」(徳間文庫)、6刷決定。
 しかし、10万部までには、まだまだかなりあります。

 豊島区役所方面へ出て楽器屋二軒を冷やかす。
 探しているめぼしい楽器はありませんでした。
 重版で気が大きくなっているからあったら散財していたかも。あぶないあぶない。

 池袋駅で立食い蕎麦。冷やしたぬきそば、360円。

 山手線で新宿へ。
 東口改札を出てすぐの「ベルク」で生ビール、315円。
 とりあえず一人で祝杯。
 待ち合わせは8時なので、ここでも楽器屋まわり。
 やはり収穫なし。

 甲州街道から西口側にまわり、ドトールで仕事。(コーヒー200円)

 午後8時から、僕にしては高級な居酒屋で、古い女友達二人と両手に花で飲む。

2011年04月24日

春だから身体を動かさなくては

 朝食がてら妻と近所を散歩。
 マクドナルドでホットドッグとハッシュブラウンとコーヒー。
 マリノスの練習場の周囲を回ってスーパーに立ち寄って帰宅。

 自転車で遠回り出勤。3キロの道を14キロの遠回り。
 途中、本牧小港の味奈登庵で、野菜つけ天そば。900円。

 順調に仕事をこなして、午後10時過ぎ、スタジオを出る。

2011年04月23日

小さな嵐

 土曜で雨降りにつき出勤取りやめ。
 週末はバスがないのだ。

 外へは出られないので運動は wii の「シェイプボクシング2」。

 晴れ間になったのでパソコンをもってランチに「香露庵」へ。
 カツ丼ともりそばのセット(1000円)。

 ところが食事が終わると大雨になっている。
 傘がない。都会では自殺する若者が増えるかもしれない。
 
 少し離れたブレンズコーヒーで仕事をしようと思っていたのだが、至近のスターバックスに変更。
 雨の中を走って辿り着くと、混んでいて席がない。
 長居もできなさそうなので、諦めて帰宅。
 自宅で仕事のつづき。
 まずまず順調。

2011年04月22日

反原発の敗北から

 原発の事故で多くの人の健康と心と財産が脅かされている。

 いままで、僕は原子力発電所を安全だと信じることが一度もできなかった。
 科学を学んだものとして、安全であればありがたいというわずかな期待を込めながら、いろいろ調べてきた。
 原子力を推進している機関に正式な質問状を出して回答をもらったりしても、やはり危険であるという結論は変わらなかった。

 何十年と危険だと思っていたのに、ついに大きな被害を出してしまった。
 結果的に、僕にとっていまの事態は「反原発運動の敗北」である。

 なぜ原子力発電所の建設と運用を止めることができなかったのか。

 地震が起きた日から、ずっと考えてきた。
 原発に反対する人の意見を毎日大量に見たり聞いたり読んだりしてきた。
 世の中でこれほど多くの人が危険について指摘し、運動をしてきたというのに、なぜ、原子力発電所がこれほどたくさんできてしまったのか、それを改めて考え続けた。

 当然ながら、原子力発電所は「エネルギーが大量に必要である」という前提から始まっている。
 その前提を疑うことなく、だから原子力発電所は必要なのだと言われ続け、その前提を崩すことができなかった。
 炭酸ガス排出がよくないというもう一つの前提がそれを補強した。
 そして、他の発電手段が技術的に、あるいは、経済的に不十分であるという前提が加えられた。
 原子力発電所は安全である、という絶対的な前提を基礎にして、推進されてきた。

改めて前提を並べてみよう。

1)電気エネルギーが大量に必要である
2)火力発電は炭酸ガスを排出することで環境を破壊する
  (石油石炭天然ガス資源の国際依存というリスクも存在する)
3)太陽光、風力、潮汐、地熱などによる発電は技術的に未熟で経済的にも成立しない
4)原子力発電は安全でクリーンである

 今回の事故によって、4)が成立しないことは明らかになった。
 仮に今回の事故を教訓に改善が為されたとしても、それで万全であると言い切ることは不可能だと僕は考えている。
 どんな事態を想定したところで、人の創造力は経験以上には膨らまず、原発事故の被害の及ぶ規模や年月からいって、経験したときにはもう後の祭りだ。
 想定できる人為的ミスについても同様だ。

 しかし、時間が経てば異なる見解も表明されるようになり、ふたたび原子力発電所の建設を推進しようという動きはでるだろう。

 絶対安全などということはあり得ないと考えるし、そもそも危険因子は自然災害や偶発的な事故だけでなく、テロや戦争など意図的な攻撃の標的となることを考えれば、安全であるはずがない。

 ミサイルや自爆航空機の衝突も十分あり得る。
 原子力発電所作業員や制御システムを運用する人間が故意に事故を起こそうとする可能性も否定できない。
 少数の悪意をすべて予測し、すべてに対策を取ることはそもそも不可能だ。

 そのような危惧は、新しいものではなく、ずっと表明され続けてきた。
 であるのに、原子力発電所は作られた。

 その事実を前提に考えると、安全性の議論とは別に、上記の、1-3をきとんと問い直さなくてはならない。

 安全であるという前提以外の、そもそもの原子力発電所建設の前提である1-3について、長期間、すべて問い直しつづけて、いま僕自身は、この前提自体があやまっていると考えている。
 これについては、時間を作って別の機会にできるだけきちんと述べたいと思う。

 それはそれとして、1-4のすべての前提が否定され、日本中にどれだけ原子力発電所建設反対の人が多かったとしても、我が国の社会システムにおいては、発電所を作りたいと思う少数の人が原発立地の少数の人と合意しさえすれば、原子力発電所の建設が可能なのである。
 あらゆる原子力発電所は、そのようなシステムの反映として建設されている。

 原子力発電所の建設に反対し、本当に建設を止めるためには、この点に注目しなければならない。

 いままで、僕を含め、原子力発電に反対する人は、主として建設の主体である電力会社や政府に対して議論を挑んできた。運動家たちの反対運動のターゲットも、電力会社や政府だった。
 しかし、たとえ彼らを論破しても原子力発電所は止まらない。
 実は原発を推進する意志を持つ人たちにとっては、反対運動をそこそこに受け流して、建設地とだけ話をすればよかったのだから。

 建設地の人たちが一枚岩で両手を挙げて賛成してきたわけではないことも知っている。原発の事故の責任が建設地の周辺の人々にあると責めるつもりもない。

 福島を始めとする原発立地には、その地域ごとの事情があり、結果として原発建設を受け入れる決断をする事情があった。
 つきつめれば経済の問題だ。
 雇用、税金、補助金、交付金、その他の通常の地元の経済、そうしたものに、原子力発電所を受け入れようとする本当の要因があった。

 原子力発電は一世代で背負うことができないほどに危険であり、やめなければならないと僕は思う。

 今後も引き続き、原発の建設や運用を阻止するためには、立地地域のそうした事情を原子力発電所以外の手段で解決する答を用意しなければならない。

 そうでなければ、日本のさまざまな地域で「背に腹は代えられぬ」と考える人たちがこれからも出るだろう。建設したい側の人たちは、その人たちにアプローチしてなんとか原子力発電所を動かそうとするだろう。

 以前も、現在も、多くの反原発の人がしているように、電力会社や政府に向けてだけ反原発運動をしても、原発は阻止できない。

 原子力発電に反対する人は、僕自身も含め、そのことを肝に銘じなければならないと思う。

 

2011年04月21日

プロ野球デーゲーム

 忙中むりやり閑あり。

 横浜スタジアムのプロ野球「横浜vs広島東洋」の内野指定席をもらったので、妻と野球観戦へ。

 試合開始は十三時だけど、早めに行って練習から見る。
 試合は8-11で横浜の負け。

 残念だったけど、生で見る野球は面白い。
 9回に登板したプロ3年目22歳の佐藤が3者3振と好投したところが収穫かな。

 試合後、仕事場へ。
 午後10時過ぎまで仕事。

2011年04月20日

作家呑み

 黙々と仕事。
 午後6時前、小説家仲間の山口芳宏さんから電話。
「横浜で大崎梢さんと呑むんだけど一緒にどう?」
 もう少し仕事をしたいので二軒目で合流したのが午後九時。
 午前0時少し前まで焼き鳥で楽しく歓談。

 そこから徒歩で帰宅。

2011年04月17日

長編の原稿

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 7月発売の文庫の原稿。
「幸福な会社」(徳間文庫)の続編です。
 最初の三十枚くらいのところまで。

 子供を持つお母さんは「(本当は大丈夫でも)放射能が子供にとって危険だ」という話を聞いた方が安心するらしい、という不思議。

2011年04月16日

連載小説2本目

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「第三企画室 returns」連載第二回の原稿。

 一応できあがったけど、〆切まで寝かせておく。

2011年04月15日

花筏

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 黄金町のスタジオの窓の外、大岡川では花筏。満開の桜もいいけれど。季節の移り変わりが素敵です。

 連載の原稿のために地震のシーンを書いているのだけど、頭の中にいやなことを自分で作り出さなくてはいけなくて、けっこう辛い。でもって、読む人には明るい未来を伝えなくてはならない。
 つらいけど、それがいまの僕の仕事。小説家の役割。

 出したゴミがカラスに狙われて大爆発!

 今日、思ったこと。
 どんなときでも一人一人のささやかな暮らし方に思いを至らしめるべきだなあ。人間を十把一絡げで考えてしまってはいけない。
 一度に沢山の人が死んだり被害を受けたりすると、つい、そういうことを忘れてしまう。自戒を込めて。

 横浜・若葉町の中華料理店「聚香園」、一ヶ月ぶりに夕食を食べた。震災以来しばらく閉まっていたのだ。「中国へ帰っていた」とのこと。

 本日発売の「新刊展望」5月号(日販)の特集・地方を元気にする物語にエッセイを寄稿しています。

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2011年04月14日

エッセイの原稿

 今日は、 カナダの日本語誌「ふれいざー」向けのエッセイの原稿。
 太平洋戦争後の沖縄の芸人・小那覇舞天(おなはぶーてん)のこと。

2011年04月13日

仕事モード

 まもなく始まる「第三会議室 returns」の連載第一回の原稿。

 やっと集中力が出てきた。

2011年04月12日

地震後、初めて都内へ

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 寝袋にくるまって板の間で寝ているときに余震が来た。
 避難所にいる人の気持ちが少しわかった。

 午後、さらに大きな余震が来た。
 もう一ヶ月経つけど、そこら中に地殻のひずみができているみたい。

 夕方から、練馬までお通夜に。
 なるほど、こういう風に駅が暗いのね、とお上りさん。

 帰りの渋谷駅で、念願の「どん兵衛」アンテナショップへ。
 東日本、西日本、北海道、それぞれの味の違「うどん兵衛」が200円で食べられる。

 というわけで、帰りは山手線内回りのホームに着くのだが、改札を出る前に、わざわざ外回りのホームへ移動して、どん兵衛ショップ。
 面白いし、200円でとりあえず空腹が収まるのはいいね。
 ただし、急いでいるときには向かない。
 何しろ、砂時計を渡されて、お湯を入れて3分(うどんは5分?)待たなくてはならない。
 しかも、丼が発泡スチロールなので保温性がよすぎて、暑くて食べにくいしスープも飲みにくいわけ。
 というわけで、これを食べるには、山手線を何本か見送ることになります。

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2011年04月11日

〆切モード

 〆切モード突入。

 5月14日までに、「第三企画室returns」(日経ビジネスオンライン)短期集中連載4本、エッセイ「窓を開けると港も見える」(ふれいざー)2本、「幸福な会社」(徳間文庫)の続編の改稿、と、〆切目白押し。
 過去最大級(当社比)の〆切密度だ。(笑)

 なので、S社むけ書き下ろし長編改稿の予定が入れられず。
 5月中旬以降になります。ごめんなさい。と、ここで謝ってもしょうがないけど。

 さらに金原亭馬吉さんが高座にかけてくれることになっている新作落語も5月が〆切だ。

 それが済んだらすぐにK社書き下ろしに着手できるようにします。
 と、ここで宣言しておけばきっとできる。(ほんとか)

 とりあえず、4月初めてのスタジオ泊まり込み。

2011年04月10日

黄金町花見スタジオ

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 統一地方選。
 投票所は横浜美術館。
 投票後、サブウエイのサンドイッチの朝食。

 そのまま黄金町のスタジオへ。
 みなとみらいの日本丸の前の通りも、野毛から黄金町への大岡川沿いも、徒歩通勤路の約半分が横浜市内有数の桜の名所。
 世の中は桜満開である。

 沖縄へ出かける前日の3月31日にはまったく咲いていなかった。
 ふつうならもうとちっている時期、桜よ、僕の帰りを待っていてくれたのか。(笑)
 さいわいなことに心配していた鉢植えの植物も枯れていなかった。

 事務的な仕事から始めて、長編の直しを少し。
 午後5時、フットサル仲間が6人、やってくる。
 スタジオの窓の外が桜でいっぱいなので、室内から花見宴会だ。
 途中、妻と妻の友人もしばらく合流。

 午後10時半、散会。
 よく飲んでしゃべって笑った。
 残った物は500mlのビール缶?個、酒瓶6本。

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2011年04月09日

最終日だけ那覇

 午前8時半、目が覚めたのでそのまま起きる。
 シャワーを浴びて外出。いつもは前日にパンを買っておいて朝食にするのだけど、買い置きの野菜ジュース(88円)を飲んでから、今日は、ミュージックタウンのすき家で牛丼(並250円)。
 コザを去りがたくてゲート通りを散歩。
 質屋が開いていたら三線を見てみようと思ったけど閉まっていた。
 NPOで町おこしをやっている「コザインフォ」に顔を出して、ゆんたくというか待ちの在り方についての意見交換というか。
 日本茶をご馳走になりました。

 後ろ髪を引かれながら、ゲストハウスを後にして、胡屋バス停から那覇へ向かいバスの人となる。
 県庁で降りて、パレット久茂地のコインロッカーに荷物を預ける。(400円)

 パレット久茂地の前では、東日本義援金のためのチャリティコンサート。
 ステージではなんと「元ちゃん」が演奏中。
 元ちゃんは、てるりん祭の出演者であり、その晩、りんりんで余技を披露していた一人でもある。

 ちょうど日陰のなくなった時間帯、汗をかきながら牧志方面へ。
 牧志公設市場近くの市場本通りのいつものオバアのところを目指す。
 本通りのとある角で、オバアは店でなく机を一つ出して海ぶどうだけを売っている。僕が2つ買うと2つオマケしてくれる。
 ところがそのオバアが今日はいなかった。
 どうしたんだろう、と思うとさびしくなってもう今日は海ぶどうを買うのをやめようと思ったけど、結局、その近くの店で買った。
 昼食は通りのハズレで沖縄そば350円。
(ちなみに国際通りは600円。公設市場の二階の食堂街も観光客向けなので高い)
 このあたりはどうせちゃんとした沖縄そばを売る店はなくて、どこでも同じ製麺所の麺に、同じメーカーのスープを薄めて出しているだけだ。
(公設市場1階の麺を卸している店に二階の食堂の人が麺とスープを買いに来たのを僕は目撃している)

 買い物はこれで終わりなので、国際通りのスターバックスで仕事。(アイスコーヒー340円)
 久茂地に向かい、「ヘリオス・パブ」で地ビールを飲みながら仕事。
 県庁前からゆいレールで空港へ移動し、クレジットカードのラウンジで仕事。
 身体が乾いていて、トマトジュース2杯、グアバジュース1杯、コーヒー1杯。(すべて無料)

 このあたりの帰りの日の那覇での過ごし方は完全にパターンが確立していていつもいつも完全に同じ。でも、海ぶどうのオバアがいなくなってしまったのがね。

 午後6時過ぎ、羽田行き、スカイマークエアラインの機上の人となる。
 スカイマークエアラインを利用するのは初めてだけど、地上職員はすごく感じがよかったし、キャビンアテンダントも必要十分。
 制服がスーツスタイルではなくポロシャツで、スカートは自前らしくみんなバラバラ。
 それで十分だよね。

2011年04月08日

ロックミュージカル「Aサイン物語」

 金曜日。
 午前中、運動不足解消のため、7kmほどウォーキング。
 運動公園まで歩き、陸上競技場と野球場の外周を回る。
 今年から、ここの陸上競技場はJFL・FC琉球のホームグラウンドになった。
 監督はあのトルシエだ。
 町にもわずかに幟が立っていたりするのだけど、沖縄ではサッカーはまるで盛り上がっていない。むしろプロバスケットリーグのキングズが人気。

 オーシャンで仕事。なかなかよい調子。

 午後6時半、いったん帰宅して、午後7時、ミュージックタウンへ。
 ロックミュージカル「Aサイン物語」に友人が多数出演するのだ。
 夕食を摂らないままの3時間はちょっときつかったけど、第二幕はすごくよかった。

 難点もある。
 カッチャンは歌も歌えていないし面白くないし、出さない方がいい。
 僕の知る限り、カッチャンの音楽性を褒める人はだれもいない。存在感のある特異なキャラクタだというだけ。
 宮永英一も歌を歌うだけにして演説や説明はしない方がいい。
 コザの音楽界も大御所が幅をきかすのはそろそろやめにしたらどうかな、というか、音楽にだけ真っ直ぐに向かい合って欲しい。

 ミュージカルなのか、コンサートなのか、自分の考えの啓蒙活動なのか、コザの有名人をしるコザンチュのためにやるのか、一般人を対象にするのか、コンセプトをはっきりさせたほうがいい。
(カッチャン以外)すばらしいミュージシャンが揃っているのだから、もっとシンプルに音楽の力を信じればいい。言葉を加えすぎる。

 でも、もういちど見るチャンスがあれば、僕はまた3000円払って見たいと思う。

 午後10時、公演終了。
 出演者全員出口に出て東日本大震災の募金活動。
 宮永英一に会うのも久しぶりでしばし立ち話。
 演技と美しさの光っていた Kozue さんのもつ募金箱に1000円寄付。
 出口を出て振り返ったらサーミーがいたのでもどって握手。

 オーシャンにいるフォーク歌手・ひがよしひろと三線製作者・照屋林次郎に合流。
 林次郎はてるりん祭の実行委員長、ひがよしひろはスタッフでもある。
 話は当然、てるりん祭の話。
 三線欲しいけど、林次郎の三線は30万円から。そもそも僕のような初心者未満の人間が持つ楽器ではない。
 ちなみに、昨日一緒に飲んだ金城宏次のつくる紅型染めの帯は50万円。
 午後10時40分、オーシャンを出て、ひがよしひろとふたりで中の町の "Grass Fantasy" へ移動。
 よしひろの友人、チーコのライブ。ピアノ、サックス、ボーカルのトリオ。
 ジャズを中心にゴスペルというか黒人霊歌というか。

 僕はいいものを知っているいい友達に恵まれているなあ。うれしいなあ。

 午前1時、よしひろと別れて、食べそびれていた夕食がてら、沖縄には珍しい日本蕎麦の「きく石」へ。立派な手打ち蕎麦、700円。
 最後の晩だから、またPEGによる。
「Aサイン物語」の話をしていると、出演していたJETのドラマーのコウチャンが入ってくる。

 午前2時、表向き店を閉めている「りんりん」へ。
 ここにも「Aサイン」の出演者。ベースのコウゾウとギターのサーミー。
 さっきまで宮永英一もいたらしい。
 午前3時、「本当に閉店」(笑)のため散会。

 僕の長い長いコザの夜遊び(笑)は終わった。

2011年04月07日

金城宏次と飲む

 寝たのが遅かったのでややゆっくりスタート。

 いつものようにオーシャンで仕事をしていたら、沖縄市役所の新人研修のツアーの大集団がやって来た。
 さっきまで客は僕一人だったのに、あっというまに満席。
 ソフトドリンク各種、あっというまに売り切れ。

 20分ほどいて、嵐のように去って行った30人ほど。

 午後4時過ぎ、ちょっと身体が重いので、デイゴホテルの大浴場へ。(500円)

 スーパーサンエー5Fにある宮脇書店(中の町店)の市場調査。
「D列車でいこう」は3刷が入っていました。
「幸福な会社」は見た限りではなさそう。

 スーパーにて、さんぴん茶と野菜ジュース、マツモトキヨシで、キネシオテープと「ウコンの力」(の類似品)を購入。

 向かいのモスバーガーで仕事の続き。
 パソコンを拡げていたら、店員さんがやってきて、
「そちらの席の横にコンセントありますよ」と。
 なんと親切な。
 でも、パナソニック・レッツノートはたっぷり一日、バッテリーだけで仕事ができるのだ。
 午後8時、琉球紅型染アーチストの金城宏次、登場。
 一緒にまたオーシャンに戻って飲む。
 オーシャンの三線を借りてちょっと鳴らす。
 三線欲しいなあ。
 でも、楽器というのは弾けないと買いに行けない。自分でもっていないと弾けるようにならない、というジレンマ

「PEGが空いていたらPEGへ閉まっていたら解散にしましょう」とゲート通りを歩いて行くと、果たしてPEGはやっていました。

2011年04月06日

あ、阿川さん

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 仕事を始める前に散歩しようとFMコザの前を通りかかった。

「あ、阿川さん」
 放送中のパーソナリティがスタジオのガラス越しに「よかったら出演してください」。(放送音声が道路へ向けて流されている)
 じゃあ、というわけで、スタジオへ。一分後にはマイクの前。
 なんなの、この町。

 昼食はティティカカ。600円。
 まだオープンしてないけどヤッシーはいるようすだったので、勝手に店に入り込んでテーブルで仕事開始。
 コーヒーを注文したのはおよそ30分後。(笑)

 毎日営業時間の半分くらいの時間店にいるので、店の売り上げ金額がほぼわかります。
 いない時間については、いる時間に来る酒屋への発注状況で把握できる。
 国税査察官のような小説家。(笑)

 宿に帰って、とりあえずスーパーで買ってきた56円のコロッケ2つを食べて、午後9時半まで仕事の続き。

 それから、りんりん(島酒300円)、伍八(1600円)、PEG(1100円)、
 PEGに店を閉めた伍八のマスターSさんがやってくる。
 三線の弾き方をちょっとだけ教えてもらう。
 ちなみにSさんの母上は沖縄音楽の代表的アーチスト・山里ユキ。

 PEGのマスターは沖縄を代表するロックギタリスト・照喜名薫。
 彼に貸してある僕のギターをケースから出して弾く。
 夜が更けるうち、やがてセッションに。
 午前4時まで、音楽三昧に過ごして、帰宅。

2011年04月05日

洗濯、のち一時雨

 晴れたので、二度目の洗濯。

 福島に支援に行って帰って来た人に、向こうのようすを聞く。
 沖縄にいて被災地の取材ができてしまうなんて。

 髭が伸びてきたので、デイゴホテルの大浴場(500円)へ。
 体重が増えていなくてよかった。たいして減ってもいないけど。

 サイドウェイズでランチを食べている間に雨が降ってきた。
 いや、雨の気配を感じて、このあたりにしては高い(780円)けど宿に近いサイドウェイズにしたのだけど、いざ降ってくると「なんくるないさあ」という気分になって放置。
 濡れても晴れればまた乾く。

 オーシャンで仕事。(コーヒー350円)
 午後8時前帰宅。
 ちゃんと洗濯物は乾いていた。

 午後8時、凱莎琳(キャサリン)で友人に会う。
 彼女はツアーナース(団体旅行に同行するのが専門の看護師)という珍しい仕事。
 会うのは3年ぶりくらいだけど、元気そうだった。

 で、凱莎琳で食事をしていたカップル。
 那覇のゲストハウスで知り合ってコザに遊びに来たという。
 女の子の方は見るからにロックンロールしていてカッコイイ。
 どこかに今晩泊まるところはないか、というのでゲストハウスに2名様ご案内。

 凱莎琳で12時前まで過ごして、中の町Shunへ。
 ここでも、「あ、阿川さん」と知り合いに会う。
 全然約束してなくて、しかも別の店にいあるのに、二度三度「偶然に」会う人は一人二人ではない。
 午前2時、帰宅。

2011年04月04日

命ぬ御祝さびら

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 朝から雨。ちょっと寒い。

 朝食はパン。
 昼はペルー料理レストラン「ティティカカ」。
 Lomo Salsado というのをランチで食べる。牛肉とポテトと玉葱を黒酢と胡椒で炒めた感じの料理。
 ちょっと塩分高めだけどおいしかった。
 ついているドリンクは Chicha Morada という赤いベリーのジュースのようなもの。

 店内では日本人の顔をした人がスペイン語で会話している。
 あとから入って来たふつうの感じのオジイも注文はスペイン語だ。
 日本語は僕だけか?

 ペルーはもっとも古い日系移民の行き先のひとつで、沖縄からも沢山の人が行っている。そういった人が戻ってきてやっているらしい。

 フジモリ時代のペルーを舞台にした小説、書いてあるのだけど、ずっとお蔵入り。
 題材からして、いま出しても売れないので、何を出しても売れる著名作家になるまでの大事な在庫である。

 本日、パルミラ通りで開催される「てるりん祭」のステージは、雨天のため一番街のアーケードに移設。

 いつものように「オーシャン」に出て、仕事開始。コーヒー350円。
 てるりん祭は午後2時スタートだけど、夜まで続くので、ときどき Ustream の生中継をチェックしながら仕事を続ける。

 午後6時、オーシャンを出る。
 空腹なので、いろいろ迷った挙げ句、「ミッキー食堂」へ。
 からし菜のチャンプルー。500円でボリュームたっぷり。(ご飯は残す)

 さて、てるりん祭だ。
「てるりん」こと照屋林助は沖縄の芸能と心のカリスマ的人物。
 その息子が「りんけんバンド」の照屋林賢、三線製作者の照屋林次郎。
 4月4日は、故照屋林助の誕生日というわけ。
「てるりん祭」はいわば島唄の紅白歌合戦なのだが、入場無料、出入り自由。

 照屋林賢は写真が好きで、いつもキヤノンEOSにLレンズをつけて写真を撮りまくっている。
 自分が「ゆんたく」(おしゃべり、対談)でステージに登ってもカメラでトークの相手の写真を撮ったり。

 島唄のトリは登川誠仁。
 かなりの年配だが、歌い始めると矍鑠(かくしゃく)。
 洒落者でグレーの夏物のスーツはジミだが、襟の大きな真っ白いシャツ、足下はグレーの靴下に赤いワンポイントが入っていて、また、靴はピカピカ。
 登川流独特の三線のストロークは実に切れがよくて力強い。

 残念ながら島唄はうちなーぐち(沖縄語)がわからないので、語られる内容がわからず、僕にとって消化不良になるところもある。
 とりわけ、MCのところの冗談で笑えないのがとても悔しい。

 最後は園田青年団のエイサー。
 文字で書いたら「太鼓を叩きながら踊る」だけなのだけど、これがすごくて、あやうく涙がこぼれそうになった。
 園田の青年団は沖縄のエイサーの中でも別格と聞いていたが、本当にすごい。

 終了後、てるりん祭のスタッフでもある友人のひがよしひろに会ったので「園田のエイサーはほんとにすごいね」と言ったら「ありがとう」とすごくうれしそうだった。
 彼は園田青年団のOBで団長だった人。

 興奮を冷まそうと、静かなはずの(笑)オーシャンへ。
 カウンターで、演劇や音楽家の志とセルフプロモーションについて語り合ううちに、午前零時になっていた。

 だがしかし、コザの夜は零時では終わらない。

 歩いて「りんりん」の前にくると、店は閉まっているが中には人がいる気配。
 店の入口など閉まっていても、主人であれ客であれ、人がいそうなら、勝手に中へズカズカ入っていくのが沖縄流。

 予感は大的中。

 店には「てるりん祭」に出ていた沖縄音楽会の大御所・知名定男が若い島唄の連中を数人連れて来ていて、店の奥のステージで、酒の入ったプロの島唄歌いが、三線片手に次々とモノマネなどの余技を披露している。
 ついには知名定男・本人も、なんと、ステージにあったギターを弾いて二度も歌う。
 コザでは一流のプロミュージシャンが、どこでもすぐに演奏してしまうのだが、今日もすごいシーンに巡り会った。

 午前3時、帰宅。

 てるりん祭のステージのバックにあった言葉「命ぬ御祝さびら(ぬちぬぐすーじさびら)」。
(赤塚不二夫風にいえば)命の御祝いなのだ。
 命の御祝いしましょう。
 生きているということは御祝いすべきことなのだ。
 それが歌なのだ。

 文字が、心に滲みた、とても滲みた。

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2011年04月03日

スローなブギにしてくれ

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 ややスロースタート。

 朝食はパン。
 昼食はオーシャンで、ヤキメシとコーヒー。600円。
 そのまま夕方までそこで仕事。

 夕食は丸仲食堂のカツB。
 豚肉を叩いて延ばした大きなとんかつ。ハムカツより薄いくらいなので、衣の食感がかりっとしている。合わせソースも美味しい。小さな冷や奴とミニサラダ、それに美味しいアサリの味噌汁がついて650円。

 ちょうどいい仕事場を探してみるがないので、再びオーシャンへ。
 コーラを飲みながら仕事。250円。
 コザ出身で東京へ出ていたけど戻ってきた、という女性が、コザでカフェを開きたいのだが、とヤッシーに相談していた。
 あとからカズシがやってきて、ヤッシーのギターを弾きながら「僕、独身ですけど」とかいってアプローチしていた。うん、なかなかきれいな人でした。
 いい大人が高校生みたいなのもコザのいいところ。

 この女性、大沢在昌さんとか渡辺淳一さんと飲んだことがあって銀座で働いていたことがある、というので、てっきり(語尾アゲしない)クラブで働いていたのだと思った。
 が、あとで聞いたらブランドのお店で洋服を売っていたらしい。

 そのまま、午後11時半まで仕事。

 沖縄にいるのにアルコールは飲まない一日。(すごい)

(タイトルと本文の内容は関係ありません)

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2011年04月02日

沖縄の土曜日

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 朝食は「すばやー ケンサン」で沖縄そば。(450円)
 午前、珈琲館で仕事。(400円)

 いったんゲストハウスにもどり、シャワーを浴びながら洗濯機を回す。
 ジージャン、トレーナー、ポロシャツ、下着。
 南国の太陽で乾かした洗濯物を身につけるのは気持ちがよいのだ。
 沖縄には太陽という贅沢がある。

 屋上に干したあとは、「オーシャン」で仕事。
 タコスとコーヒー。(600円)

 スーパー・サンエーで買い物。
 横浜とちがい商品も豊富にある。
 それだけで心安らか。
 どれだけ物質的な豊かさに慣れきっていたのか、それに気づく。

 夕食用のじゅーしー弁当。398円のところ1割引で360円。
 その他、さんぴん茶と野菜ジュースなど、合計760円。

 午後10時過ぎまで仕事。
 のち、ライブハウス「JET」でロックのライブを聴く。
 ラム&コーク、500円。
 
「パーラーりんりん」へ入ると予想通り知り合い多数。
 ベースのコーゾー、彫り師のルパン、などなど。
 島酒2杯としめ鯖。1000円。

 午前2時、「PEG」へ移動。
 カウンターに「伍八」の主人と「JET」のベーシストがいた。
 戦後からベトナム戦争までのコザの話を聞く。
(僕がいままで取材を続けてきたのは、ベトナム戦争以降のことが中心だった)

 コザは午前零時を回ってからが本当のコザ。

 コザの人には反米感情がほとんどない。
 時にアメリカ政府は気に入らないがアメリカ人を嫌いではない。
 米軍による震災への援助活動についても大いに感謝している。
"Operation Tomodachi"についても極めて高く評価。

 僕も地震直後からアメリカ第七艦隊の広報を追いかけているけど、システマチックな米軍の活躍はすごい。
 http://twitter.com/#!/us7thflt

2011年04月01日

野暮なエイプリルフール

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 本日はエイプリルフール。
 ウソを見かけたら騙されたふりをすればいいのに、それはウソだとさっそく暴いて喜ぶ人が午前0時5分には現れて、今年も興ざめのエイプリルフール。
 インターネットで情報流通が速くなっているので、集合智でウソの寿命が短くなってしまっているんだね。

 みなさん、来年からはウソを見抜いてもせめて夕方ぐらいまではそれを指摘しないようにしよう。ウソを指摘する代わり、自分も気の利いたウソをつこうじゃないか。

 と、そんなようすを見ながら、明け方まで旅支度をしていた。

 午前9時起床。
 お出かけ前はなにかとバタバタ。
 YCATへ向かうために久々に横浜駅東口のポルタを歩くと、ずいぶんと様変わりしていてびっくり。
 安い速い系の飲食店がことごとくなくなり高級化している。
 不便だなあ。
 物販系もファッションにシフトしてしまっている。
 丸善が洋服屋になっているのに愕然。

 YCATも航空会社のカウンターがなくなり、シウマイも真空パックだけになり、ひっそりしている。世の中、どんどん経費が切り詰められている。
 ここからは10分おきに出ているバスに乗ると25分で羽田空港に着く。
(成田行きのバスも90分きっかりで空港に着く)
 実は、横浜は東京のほとんどの場所よりも羽田にも成田にも近いのである。

 朝昼兼用の食事は空港の寿司屋「勘六」(一人前1365円)にしたのだけど、伊勢佐木町の回転寿司の方がうまい。
 というわけで、12時40分発、ANA133便で、沖縄へ向かう。
 座席はいつもの二階76C。

 午後3時15分、那覇に到着。
 ゆいレールで旭橋まで出て、バスセンターから4時5分発77番のバスでコザへ向かう。
 コザの胡屋についたのは午後5時。

 いつも泊まっているゲストハウスに到着すると無人。
 書いてある電話番号に電話すると、「入って右の部屋です」。
「とりあえず部屋を使っててください」
 と、チェックインもせずに部屋に入り、そのまま一晩泊まる。
 沖縄らしいよね。

 コザインフォの前へ行くと、みんながちょうど福島いわき市向けの応援寄せ書きをしているところで、「阿川さん、ちょうどよかった」と僕も参加。
 まさか沖縄に来て福島の応援に参加するとは思っていなかった。
 明日、応援部隊がいわきに向かうそうだ。

 1年ぶりのコザはけっこう変わっている。
 全体によりアメリカ人のニーズに特化した店が増えている感じ。
 いまごろになって学んだのか、むしろ本土の人が来てやっているのか。

 腹ぺこなので、まずは「オーシャン」へ。
 なんとテレビが地デジ対応になっている。
 ヤッシーは新しくギターも買っていた。
 オーシャンには何年も通っているけど、1年でこんなに変わったのは初めてだ。この店、ちなみに創業41年目だったかな。そのあいだほとんど変わっていないはず。
 ビールとタコライスで1000円。

 つぎは「りんりん」。
 島酒300円。

 つぎは「伍八」。
 やきとり、イカの刺身、生ビールで1200円(たぶん「友達割引」してくれている)
 ここで、商店街の再開発の行政の資料や図面を見る。

 午後10時半、つぎは「Shun」。
 ちょうど店を開けたところ。
 泡盛のボトルが置いてあるので、すごくおいしい豪華お通しがついて800円。

 午前0時、最後は「PEG」。
 ここもちょうど店を開けたところ。
 もう酒は飲みたくないので、さんぴん茶。
 ピカンテソースのかかったオムレツがついて400円。

 午前1時過ぎ、帰宅。
 これで知り合いの店で行っていないのは「ちゃぼ」だけか。

 これで、明日には、僕がコザに来ていることが知れ渡っているはず。

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「幸福な会社」本日発売

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 「幸福な会社」(徳間文庫)、本日発売です。
 全国の書店で、お求めください。

 写真は、前日の著者に届いた見本。