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2012年06月30日

度付きサングラス

 加齢と共に飛蚊症が進んでいるのを感じる。
 目は、仕事の上でも重要なので、ちゃんとケアしないと。
 ヨットに乗ると横や下からの反射光も目に入ってくるしね。

 というわけで、まずはちゃんとしたサングラスを買おうと決心。
 近所にできたスポーツサングラス屋はオークレイなど高級ブランドばかりなのと、偏光レンズでインナーフレームの取扱がない。

 出勤前に横浜駅周辺を見てまわろうと、Baybike でベイクォーターまで。
 とりあえず3階の眼鏡屋をのぞいたら、いきなりリーズナブルな値段で望んでいるものがあり、納期も1週間だというので、そこで作ってしまいました。

 ユニクロの700円サングラスから卒業です。(笑)
 あ、ずっと前に作った度付きサングラスもあるのだけど、カーブのついたスポーツサングラスではないので、横から光が入ってレンズの内側での反射光が目に入るのだ。
 

2012年06月29日

パソコン復旧

 妻もイタリアから一時帰国してきたのでYCATへ迎えに出る。

 結局、パソコンの復旧に昨日まで5日を要した。

 原因は二ヶ月分の windows update の自動更新による再起動と、自動バックアップが同時に起こり、うんともすんとも動かなくなり、シャットダウンもできないので、電源を落としたら、案の定、システムドライブとバックアップが書き込まれていた外付けDドライブが不整合を起こしてしまった、という感じ。

 肝心のバックアップファイルが真っ先に壊れているので、かなり復旧に苦労した。

【教訓】
 windows update もバックアップも、Microsoft が推奨するとおりに自動でやらせてはいけない。

 オートバイの月極駐車場料金を払い、バッテリーを外して家に持ち帰った。
 アマゾンから届いていた充電器で充電。
 またこの先、二ヶ月乗らないから。

 あいかわらず食材もないので、近所へ刺身を食べに出る。

 それにしても、新しくオープンしたセントラルタワーの飲食店1階の店は庶民的でコストパフォーマンスがいいけど、2階はあいかわらず勘違いの高級店たち。

 絶対にうまくいかないだろうなあ。

 みなとみらいは高級店が成り立つ町じゃない。
 クイーンズ・スクエアもランドマーク・プラザもテナントの入れ替わりが激しい。
 デートスポットではあるので、一生に一度、経済的に背伸びをして金に糸目を付けない人もいる結婚産業だけは成り立つけど、大人向けの高級店は成り立ちませんよ。

 みなとみらいに「働きに来ている人」はふつうの会社員。
「住んでいる人」は、企業のリタイヤ組か共働き家族が中心。
(ようするにサラリーマン中心で、それに知的専門職の人たちが加わる感じ)

 タワーマンションがあるからといて、そこにバブリーな人が働いたり住んだりしているわけじゃないので、お金の使い方は堅実です。
 マンションの理事会に参加していたからよくわかるけど、多くは「知的レベルが高く良識があって、その結果、会社員としてはそれなりに成功した人たち」なので、たとえお金に余裕があっても1万円のコース料理を頻繁に食べたりはしない。
 マンションの人たちが食事に行くのは「大戸屋」や「阿里城」です。
 そういうリーズナブルな店が増えればそれぞれに流行ると思うけど、高級ぶっている店はまったく需要がないです。

 そのあたり、観光地としてのみなとみらいとタワーマンションのイメージで、実需を見誤って参入してくる事業者が後を絶たないのだけど、そういうお店はどのお店も閑古鳥です。

2012年06月26日

イタリア生活で身体が変わった?

 イタリアに二ヶ月滞在して日本に戻ってきた。
 4日経って、自分の体の変化に気づいた。

【体重が2kg減った】

 西洋の食事といえば、「肉と油」のイメージだけど、実際には動物性脂肪といえばバターくらいだった。
 ほとんど肉は食べない。
 タンパク質といえば、チーズとか卵とか魚だ。
 そして、安くて種類も豊富な野菜をたくさん食べていた。

 脂肪分はオリーブオイル。
 夫婦二人で二ヶ月の間に、700mlほど消費した。
 500mlの大きなビンがなくなってしまったのにびっくりした。
 であるのに体重は減った。


【お腹が空かない】

 日本で日常生活を始めて、お腹がすいてご飯を食べる、という感覚がなくなった。
 腹が減らないので、気づくとずいぶん時間がたっている。
 今日も、気がつくと午後11時だ。
 それでも腹は減っていなかった。
 時計を見て「食べるべきだ」と考えて食べる。
 不思議だ。


【日本の食べ物がおいしくない】

 外国生活を送ると、日本の食べ物が恋しくなる。そう思っていた。
 帰国して、普段食べていたものを次々に食べている。
 カレー、お茶漬け、蕎麦、餃子、ラーメン。
 何の感動もない。
 日本食を食べたら、美味しくてうれしくて感動するものだと思いこんでいたけど、以前に食べていたときほど美味しく感じない。

2012年06月25日

打合せ

 パソコンのトラブルに関わっている間に午前2時になり、まだ夕食を食べてなかったので、吉野家でうな丼を食べて帰ってきたらサッカー EURO 2012 のイタリア対イングランドの試合が始まり、それがよりによって延長線でも決着が付かずにPK戦になってしまったので、寝たのが午前6時。

 朝昼兼用に今日はイタリアで食べていたような、ハムとチーズとレタスとトマトのサンドイッチにしたら、とても美味しかった。
 すっかり、味覚がイタリアになってしまっている。

 そういえば、日本へ帰ってきて5日目になるけど、味噌汁とご飯みたいなのを食べていないや。さけているわけではないけど、特に食べたい気持ちもない。

 夕方、K事務所の編集さん来訪。
 ちょっとした行き違いで明日だと思いこんでいたので、一瞬あわてたけど、結果オーライ。
 改稿の方針について討議。

2012年06月21日

帰国

 家に着いたら、荷物を開いて、シャワーを浴びる。

 冷蔵庫になにもないので、期限が迫ったインスタントラーメンなどを食べてみる。

 近所へ出てみると、みなとみらいグランドセントラルタワーというのが僕がイタリアへ出てまもなくオープンしたらしく、飲食店や物販の店が入っていた。

 事務所のようすが心配なので、黄金町へ出向く。
 3月末で再開発のために引き渡された日ノ出町の竜宮美術旅館を始めとする一角はすでに更地にでもなっているかと思いきや、ほとんどそのまま残っていた。

 二ヶ月ぶりの仕事場は、締め切ってあったにもかかわらず、黴びるでもなく何もかも無事だった。めでたしめでたし。

 家に帰っても食べる物がないので、「聚香園」で夕食をとり、「華」へ立ち寄って帰宅。
 時差ボケでなんとなくぼんやりした一日だった。

航空機の技術の進歩

 帰国便はスイス航空。
 ベネチアからチューリッヒまでエアバスA320。
 チューリッヒから東京まではスイス航空のエアバスA330ー200。

 僕が頻繁にアメリカを往復していた1980年代から90年代初めには、機材はボーイング747ー400あたりが全盛だった。

 いまでは、その頃と比べて、内装の装備は格段に進化していて、エコノミークラスでも席の前それぞれに液晶ディスプレイがあり、ビデオオンデマンドがあったり音楽のチャンネルも豊富にあるのが当たり前になっているようだ。

 一方、窓の外にある主翼を見ても大きな変化がある。
 航空機の外装の工作精度が1980年代の物と比べて格段に上がっている。
 かつて、窓の外から翼を見ると、リベットは出っぱっていたし、主翼はジュラルミンの板を貼り合わせた痕跡がはっきりとわかる物だった。精度も悪く翼の表面は波打っていたし、フラップはきれいに揃わずに微妙に暴れていた。

 ところが、A320もA330も、翼がとても滑らかで精密につくられている。

 翼の形は、多分、設計された形に極めて近い。
 形を見るだけで揚力が計算値に近く、空気抵抗が小さくなっていることがわかる。

 ヨットの帆(飛行機の翼を水平でなく海面に垂直に立てたのと理論的には同じ働きをする)でいうと、ツギハギの布で作ったセールと、カーボン繊維やラミネート素材を駆使して一体成形でカーブをつくった縫い目のないセールほどの違いがある。
(腕前以前に経済上の問題で、我が艇とトップレーサーではセールを見上げただけで推進力に雲泥の差があるのが一目瞭然だ)

 空気の壁を切り裂いて高速で飛ぶ航空機は、ほんのわずかなリベットの頭ひとつの出っ張りの空気抵抗が馬鹿にならないし、揚力を産むべき翼の工作精度が悪いと、揚力が十分に発生しないで逆に抵抗が増える。
 この20年の航空技術の進歩が、飛行機の翼の形に表れている。

 航空機のことは詳しくないけれど、A330も翼の前の部分と後方のフラップなどの可動部分の他は、カーボンファイバーでできているのではないかと思うような、ほとんど継ぎ目の目立たないきれいな翼の形をしている。
 しかも、気流の変化で機体が揺れるときの翼のしなりも小さい。つまり固そうに見える。
 三菱レイヨンとか東レとか、相当大きなカーボンファイバーの構造物を作れるのではなかったっけ?

 チューリッヒから東京(成田)までは、スイス航空のコードシェアのエーデルワイス航空。
 初めて乗ったけど、サービスも必要十分で食事も美味しかった。
 運よく空いていて、隣の席が空いているので、エコノミークラスの窮屈さもない。

 なんとなんと! プロセッコがあったので喜んで頼んだ。

 いま、機内でこれを書いているのだけど、一昨日はキーボードを打っても痛んだ肩が、わりと収まっている。

 というわけで、帰国しました。

2012年06月20日

事件発生!

(写真はあとで改めて)

 ベネチア発チューリッヒ行きのスイス航空は14:40発。

 問題はベネチアと本土を結ぶリベルタ橋がトラムの建設で工事中だということ。
 今月から始まって18ヶ月間かかるという。
(イタリア人はだれも18ヶ月で予定通り完成するとは思っていないみたいだけど)
 空港までのバスは乗れば30分かからないけど、工事の影響が読めない。
 Alli Laguna という会社の水上バスで空港に行けば影響は避けられるが、そもそも時間がかかる上に値段が二十数ユーロ。バスなら5ユーロ。

 というわけで、10時半過ぎに家を出る。
 まるで遠い遠い成田空港に行くみたい。
 バス停のある Piazzale Rome は徒歩で15分ほどだが、荷物があるので、San Stae から水上バスに乗る。水上バスは観光客なら7ユーロだが、住民向けのカードに回数券をチャージして使えば1回あたり1.1ユーロで乗れる。

 バスは思いの外順調。
 おかげで、早く着きすぎて、まだチェックインカウンターも開いていない。
 空いている椅子を探して時間つぶし。

 チェックインまもなく列に並び、荷物を預けたところで食事。
 Panino Romanha とビールで9ユーロ。
 どうやら空港は、標準的な飲み物が、X.10ユーロ、食べ物がXI。90ユーロに統一していて、一緒に頼むと端数が出ないようになっている。
 なるほどね。

 セキュリティゲートの外にはほとんんど何もないので、ゲートをくぐる。
 いつものようにコンピュータはバッグから出して、別にトレイに載せる。電子辞書と携帯電話、あとは金属探知機を通れないユーロの小銭。

 そこで事件は起こった。
 トレイから小銭と電子辞書とコンピュータを出してカバンにしまおうとしたその瞬間……。
 カバンがない。
 似たようなリュックサックが残っている。
 しばらく待ってみるが自分の荷物が出て来る様子はなく、残ったカバンを取っていく人もいない。

 これは大ピンチ!

 パスポートも搭乗券もバッグの中だ。
 14時40分までにこの問題が解決しないと、僕はベネチアから動けなくなる。
 間違えてもっていった人間が気がつかないまま、飛行機に乗って世界のどこかへ行ってしまえば、どんなに早くても問題解決にに数日かかるだろう。
 もどってこなければ、パスポートの再発行のために領事館か大使館のあるところまで行かなくてはならない。
 それは、ローマか、ミラノか。
 海外にいるときには、現金10万円を盗まれるよりもパスポートをなくすことの方がダメージが遥かに大きいのだ。
 それがまさかセキュリティ・ゲートで起きるとは。
 クレジットカードやキャッシュカードを無効にして、また再発行するためのうんざりする手続きの山が頭をよぎる。
 カメラももどってこないだろうなあ。幸い写真はすべてパソコンにバックアップしてある。

「自分のバッグがない。ここに似たバッグが残っているので、誰かが間違えていいったと思うのだが」
「それはあなたのではないってことか?」
「そう。僕のじゃない」
「なるほど」
「このカバンの中に何か持ち主の手がかりになる物があれば、その持ち主を放送で呼び出してみてもらえないかな」
「そうしよう」
 係員がカバンの中を探し始める。
「間違ってもっていった人が飛んでしまうと困るんだ。僕はこれから日本へ帰らなくてはならないから」
「大丈夫みたいだ。パスポートが入っていた。パスポートがないと飛行機に乗れないから」
 まあ、一安心。
 係員はどこかへ電話をして、パスポートを見ながら名前を読み上げている。
 これで解決すればいいが、見つからなかったときの「イタリア当局」の絶望的な対応の遅さを思って、呆然とする。
(まあ、小説家というのはこういうのもネタになると思って、どこかで楽しんでいるのだけど、買ったチケットは使えなくなるから、10万円単位のお金が無駄になることは覚悟する必要がある)
 待つこと5分くらいだっただろうか。
 小太りのライトブルーのポロシャツの男が係員にともなわれてやって来た。僕のカバンを肩にかけている。
「似てるからね」
 それからはお互いに自分の鞄の中身を確かめる。
(向こうがこっちを疑うのは筋違いだが、当然必要なことだ)
 パスポート、クレジットカード、搭乗券。オーケイ。
 おもえば僕の後ろにいたドイツ人、すごくせっかちな感じで、なんども列から横へはみ出して、前をうかがっていた。
 出発時刻が迫っていたのかもしれない。その後、彼が自分のフライトに乗れたかどうかはわからない。
 もし荷物を預けていれば、荷物を積んで持ち主が乗らないフライトは、(荷物が爆発物である可能性があるため)荷物を降ろすまで絶対に飛ばないから、飛行機自体の出発が遅れたかもしれない。

 係官に礼を言ってその場を後にする。
 早めに出たことが災いしたのか幸いだったのかわからない事件。

 と、ほっとしたのも束の間だった。
 アパートに残っている妻に出発前に電話しようと思ったところが、今度は電話機がない。
 金属探知機を通過する前に、パソコン、電子辞書、小銭、それらと一緒にポケットにあった携帯電話もトレイに入れたはずだ。
 小銭は出したのだけど、途中でカバンがないのに気づいて、携帯電話のことを忘れていた。
 動揺して注意散漫になった。さっきのは間違えてもっていった男のミスだけど、今度は僕自身の失敗だ。

 というわけで、こんどは僕がセキュリティチェックの場所に後戻り。

 すると、さっき面倒を見てくれた係官と目が合って「電話だろ?」。
「そうそう」ってわけで、無事に電話も手元にもどった。

 飛行機や空港のセキュリティを守るセキュリティチェックのエリアが、僕にとってはいちばん
セキュリティが低い場所だったというわけだ。

 教訓。
 手荷物検査機のベルトコンベアに入れるときは、カバンを先に入れてコンピュータは後に入れるべし。

 じゃあ、コンピュータが似ていたらどうする?という問題はあるが、僕のノートパソコンは、Windowsマシンであるパナソニックのレッツノートに、アップルのリンゴのマークのシールが貼ってあるので、そうそう似たものはない。

(そういえば、昔、ホンダのバイクのタンクにヤマハのシールを貼っていたら、ホンダの修理工場でヤマハのバイクだと思われたことがあった)

 サムソナイトのスーツケースも、昔々、成田で間違えて持って帰られたことがあり、それ以来、ベタベタとシールを貼ったりして、他に似たスーツケースがないようにしている。
 思えばその教訓が活きていないことになるけど、手荷物検査は盲点だったなあ。

2012年06月19日

スカイプで会議

 朝起きると、肩が痛くてあまり動かすことができない。
 1年前にケガをして傷めたのとはちがう、関節というより筋肉の痛み、という感じ。
 が、しかし、症状としてはケガをした直後よりも深刻。
 これはいままでとは関係なく始まった、いわゆる五十肩ではないか。

 原因はわからないが、とにかく、明日、帰国するにあたって、荷物を持たなくてはいけないのに最悪のタイミングだ。

 はてさて、日本は台風で大騒ぎになっているらしい。

 イタリア時間午後0時30分、日本時間午後7時30分、東京では多くの会社が早期帰宅を呼びかけて社員を帰しているという情報が伝わってきていた。

 こちらベネチアはカンカン照りの夏の日差し。

 サンジャコモ広場の Al Prosecco のテラス席でパソコンを開いて、東京の出版社の編集さんとスカイプで電話会議。
 議題は、先ほど提出した長編の第1稿について。

 およそ30分ほど電話で話し合う。
 通信に使ったデータ量はおよそ40MB。YouTube の動画だと2分くらいのデータ量に相当する。
 次回打合せは26日に横浜で。

 その後は、大学の方でT教授とランチをしていた妻と Piazzale Roma で待ち合わせをして、バスでメストレへ買い物に。
 明日は空港へ行くので、リベルタ橋の工事のバスへの影響を事前調査を兼ねる。
 路線番号4Lのバスで20分ほどでスーパーマーケットPAMの前の停留所に着く。
 工事の影響は僅少。だけど、明日も荘だとは限らないのがイタリア。

 ベネチアにはない豊かな品揃えを楽しみつつ、留守中のことを頼んだ人へのお土産などを買う。
 もどってきた Pazzale Roma のバールでトラメッツィーノとプロセッコがこれまたターミナルとは思えぬ品質で美味。

 用事を済ませて、早々に帰宅し、午後8時前、改めて外出。
 ベネチア滞在1期最後の日なので、バーカロでチケットしようという趣向。
 歩いて20分だけど、暑いので、S.Stae から Academia までVaporetto で待ち時間入れて30分で、Gia Schiave へ。
 ここは、ワインも売っているバール。
 つまみ(チケット)が1ユーロと安い。
 二人でプロセッコ2杯とスプリッツ2杯、それにチケット4品で12ユーロ。

 ちょっと遠回りに散歩をして帰宅。

 あとは自宅で夕食を摂った後、帰国のための荷造り。

 必要な物はベネチアのアパートと自宅にそれぞれあるため、今回の帰宅で持って帰るべき物は、ベネチアで必要ないと判明したものと、こちらで買って帰るものだけ。
 したがって、実は荷物があまりない。

 肩の周りの筋肉をマッサージしてもらって少しよくなった。

2012年06月18日

エスケープ

 まもなく一時帰国なので、その準備を始めている。

 日本滞在は一ヶ月。新刊のキャンペーンが主な目的だ。

 沖縄が舞台の小説なので、執筆に協力をしてもらった人たちにお礼を兼ねて沖縄に行くことも検討。沖縄での販売促進キャンペーンも。
 黄金町のイベントも2回つづけてお休みしているので、参加しなくてはならない。
 ヨットにも乗りたい。
 編集者との打合せもある。
 イタリア滞在中の会計処理をするとか、銀行の残高を確認して次のイタリア滞在期間のために資金を移動しておくとか。
 そんな主だったことに、その他の細かなことを evernote にリストアップ。

 日本にいるあいだに、眼鏡をつくるとか、歯医者に行くとか、髪を切りに行くとか、しばらく放ったらかしでまたその後も放ったらかしになる車やオートバイのバッテリーの心配とか、治らない肩のために整形外科に行くとか、毎年8月にある矯正歯科の年次チェックを済ませておくとか。

 そうした雑事の間に、長編の改稿。

 そして、書店周りとか、サイン本とか色紙の作り込みとか。

 イタリアにいるときは、基本的に執筆と生活だけで、その他のことは、してもしなくてもいいことばかりだけど、日本に帰るとしなければならないことがたくさん待ちかまえている。

 よく「海外にいると大変で、日本に帰ったらゆっくりできる」というように言われるのだけど、それは逆なのだ。
 シリコンバレーと東京を行き来していた、人生で一番忙しかった時も、何時間も誰にもわずらわされない飛行機の中とか、時差で日本が眠ってしまっている時間とか、そんな時間が、日頃の忙しさから解き放たれた貴重な時間だった。

 いま、イタリアで、そういうエスケープの時間をまとめて何ヶ月という単位でとっているわけだ。

 夜、8時半から、テレビで EURO 2012 イタリア代表のサッカーの試合を見る。

2012年06月17日

丹波哲郎と浜美枝がイタリア語を話していた

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 3G wifi ルーターを装備したのをいいことに、自宅で夫婦していろいろと調べものを始めてしまう。

 あっというまに24時間を待たずしてデータ量は500MBを超える。
 月当たり10GBでそれを越えると 32kbps に通信速度が落ちる契約なので、このままだとスカイプ会議をやらなくても20日しかもたない。

 TIM からいろいろ SMS が飛んでくるのと、契約がどうなっているか確認しようと TIM のサイトを調べまわっていると、大量にイタリア語の文章を読む羽目になって四苦八苦。
 中学生以下の学力で、契約書みたいなものを読むのだから大変です。

 あっというまに午後4時過ぎになって、あわててメストレへ出かける。

 自分で調べたルートとは違う、人から聞いたバス路線でメストレのチェントロを目指すが、「*番のバス乗ればチェントロに着くわよ」というレベルの情報では、そもそもチェントロを見たこともないわけで、降りる停留所名を聞いてこないから降りられず、どうやら通り過ぎてしまったらしいと思ったときにはすでに1kmほど離れた場所だった。
 女性同士の会話はファジーで役に立たないなあ。
 僕の調べたとおりに行けばピッタリの場所につけたのだけど。

 午後5時とはいえ、高緯度地方の強烈な日差しの中を日焼け止めを塗るのを忘れて iPad に地図を表示させてチェントロらしき場所を目指す。

 突然、美しいアーケードを見つけた。
 人の少ない都会という感じ。

 しばらく歩いて、広場に出たところで、テラスで昼食(午後5時だ)。
 スパゲッティ・カルボナーラ。

 カルボナーラというのはクリームとベーコンと卵のスパゲッティだけど、カルボナーラとは「カーボン」つまり「炭」のことで、白い料理の最後に上からかけた黒胡椒が炭みたいだからカルボナーラと呼ぶのだけど、このカルボナーラにはカーボンが見えない。
 味は悪くないのだけどねえ。
 というわけで、本場イタリアがいつも正しいわけじゃないという話。

 本場が正しくないと言えば、スパゲティといえば「アルデンテ」が美味しいと、いまや日本人の誰もが知っているけど、観光地ベネチアではわざわざ「アルデンテで」と言わないとアルデンテのスパゲティは食べられない。
 アメリカ人が「芯がある」と文句を言ったりするから。
 いつぞやは、テラス席でアメリカ人のオバサンが出てきたスパゲッティを食べる前に、皿の上のすべてを長さ3センチほどに切り刻んでいた。
 ベネチアというのはそういうところで、アメリカ人というのはそういう人たち。

 ベネチアに日本人観光客はほとんどいないかわりに、中国人観光客はそれはもうすごい人数。
 日本人を見かけない日はふつうにあるけど、中国人は毎日100-300人くらいは軽く見かける。

 中国人の観光客はおよそ3つのタイプ。

 1)男性が多い団体ツアー
    あまり豊かではなく、服装もダサく声が大きい。
    大家族の親戚を挙げての旅行もある。
    かつての日本の「農協さん」のツアーに近い
 2)若いカップル
    夫婦だと思うけど奥さんはたいてい美人
    都市部の金持ち階級らしく女性の方は服装もお洒落
 3)若い女性のグループ
    大学生くらい二十歳前後の女性の2-5人のグループ。
    服装はけっこうお洒落。
    サングラスを頭の上に載せる子が多い。
    娘たちだけでヨーロッパまで旅行に出す親がたくさんいる。
    おそらく上海あたりの金持ちのお嬢さんたち。

 どのタイプでも中国人男性のファッションはダサい。
 髪型が坊主頭が伸びた感じの短髪で整髪料を使っていない。
 人民解放軍から退役したまま、という感じ。
 ただいまのところ、言語以外で中国人を区別する最大の見分け方。

 日本の凋落と中国の経済力を同時に感じるベネチアです。
 中国人全体はまだ貧しいけれど、人口が多いので「一部の金持ち」が一億人くらいはいる。(なにしろ少数民族で100万人という国だから)
 数年前に自家用車を買う財力のある中国人は日本の人口を超えている。

 遅いランチの後、少し歩くと、まもなく目的地のひとつであるショッピングモール Le Barche を発見。

 まっさきに地下のスーパー PAM に入って、イタリアでしか売っていない一般食材を大量購入(日本へのお土産だったり)

 その後、各階のフロアの半分ほどを占めるデパート COIN の5階(イタリアでは英国と同じく地上階は1階ではなく0階なので日本式の言い方では6階)の家庭用品売り場でボウルを購入。
 これでラーメンをたのしく食べられる。

 最上階の本屋で観光地図でないふつうの地図を買う。
(観光地図にはメストレが載っていない)
 隣接するカフェでスプリッツを飲みながら休憩。
 どこの国も本屋はいいなあ。ほっとする。

 夜、テレビで浜美枝と丹波哲郎がイタリア語をしゃべっていた。
 むかしむかしの「007」の吹き替え。

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2012年06月16日

ブラーノ島の婦人たち

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 妻の語学学校の最終日。
 家を送り出してから、3G wifi モデムを探す旅へ。

 パンタロン通りの Vodafone では、最近扱っていないらしい。
 というわけで、リアルトの Vodafone へ行ってみるが馬鹿混み。
 どうもピンとくる製品もサービスもないので、カナレジオ方面へ。
 Tim WIND Tim と見たところで、店に誰も客がいなかったので店員とゆっくり話をする。

 Huawei E587 という端末を買うと、合計179ユーロで三ヶ月インターネットが使える、という契約をした。
 一時帰国期間を含めて、まだしばらくイタリアにいるので。
 この端末は SIMフリーなので、どの国へ行ってもそれぞれの国のキャリアと契約すれば使える。日本に帰ったら日本のキャリアと契約すればスマートフォンはいらない。


 学校を終えた妻と合流して、レース(競争じゃなくて糸で編む方の)で有名な Burano島へ。
 またこれがのんびりして美しいいいところ。
 店はめちゃめちゃ観光客向けで観光地観光地しているけど、それを越えていい感じ。

 6ヶ月有効で11の博物館を回ることのできる Musium Pass (20ユーロ)を購入して、レース編み博物館を見る。
 空いていてゆっくり見ることができたこともあって素晴らしい。何度も溜息が出た。

 驚いたことに、展示の最後の部屋で、すでに閉鎖された「レース編み学校」に通っていた年輩の人が十人ほどで、大声でお喋りしながら楽しそうにレースを編んでいる。
 プロ中のプロである一級の職人さんたちだけど、ただのおばあさんたちの午後のお喋りでもある。

 ほとんどの店はニセモノのレースを売っている土産物屋なのだけど、1軒、本当の本物の店を見つけて入ってみる。
 これがまた素晴らしい。
 溜息が出る。
 職人というのはすごいなあ。
 アーティストは自分を表現するために物をつくる。
 職人は人を楽しませるために物をつくる。

 帰ってきたらもうヘトヘト。
 本日の歩数計は19700歩でした。

2012年06月14日

木曜日は市場へ出かけ

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 午前6時起床。
 妻を送り出してから Rialto Mercato へ。

 魚市場でクロダイを2匹(922g 8.11ユーロ)と小海老(474g 4.65)の合計12.76ユーロを購入。
 帰り道のパン屋でオードブル用に輪切りにする小さなフランスパン(2つで65セント)。
 こちらのフランスパンは cichetti 用に焼かれているせいか、中があまり柔らかくない。

 昨夜2軒目に行ったバーカロ Ostaria Dai Zemei が開いていたので、コーヒーを1杯(1ユーロ)。
 店のオヤジさん、僕の顔を覚えていた。
 店を開けたばかりで、つぎつぎに

 気に入った店にはたった1ユーロのコーヒーでも、すぐに再訪すると関係ができる。あまりお金を使わずしかも短い期間で馴染みになるコツ。
 イタリア語で世間話ができないのが、はなはだ残念なのだけど。

 午後、来客。イタリア人と日本人のカップル。
 クロダイのワイン蒸しでおもてなし。

2012年06月13日

バーカロ巡り

 目覚ましを止めてから夢を見た。

 何故か編集者の実家と思しきところに泊めてもらっていたり、別の電子書籍の編集者が何故か本屋のレジに座って(!)いて、傍らに同じ本の紙のバージョン(そんなものは存在しない)を積んで売っていたり。

 そういう場にいながら、僕は長編の改稿プランを考えていたはずなんだけど、目覚めたら考えた改稿プランを忘れている。

 きっと、遠からず思い出すだろう。

 午前中、連載エッセイ。
 それを送付がてらサンジャコモ広場へ。
 一時帰国まであと1週間。
 帰国後の予定がだんだん埋まっていく。

 午後4時、朝から快晴だったのに雨。
 あわてて洗濯物を取り込む。
 今日は一番乾きにくい風呂場のマットを洗って干していたのだ。
 こちらの雨にしては長く降る。

 午後7時過ぎ、傘を差してバーカロ巡りへ。
 バーカロというのは、「つまみ(チケット)のある立ち飲みのバール」という感じかな。

 一軒目、有名店 All'arcoへ。
 水曜の午後7時には揚げ物が出る。
 小エビの唐揚げ、その他、つまみ系5点とプロセッコ(ふたりで12ユーロ)

 二軒目、以前から気になっていた Osteria dai Gemei.
 Cichetti がすごく美味しい。
 僕らがとったつまみは4品(1つ1.5ユーロ)だけど、雨で客が少なかったみたいで、閉店間際に2つサービスしてくれた。(9.5ユーロ)


 バーカロはもともと「市場の働き手が仕事が終わって1杯ひっかけて帰る場外の店」的な感じなので、日本の飲み屋と違って、昼からやっていて、閉まるのが早くて夜8時か8時半。

 帰宅後は、ドイツ製の出前一丁(ビーフフレイバー)。
 これすごくおいしい。日本で売っているのより美味しい。

2012年06月12日

バケツ、洗面器、猫、犬

 朝から雨模様。
 午前8時半ごろ、相当降ったけどすぐに止む。
 天気予報は、晴れ曇り雨カミナリ、なんでもあり。
 今日だけじゃなくてベネチアの天気は変わりやすい。

 仕事復帰第一弾は連載エッセイなのだけど、書きたいことが多すぎて丸一日考えても絞り込めない。
 
 午前11時、雷鳴と共にバケツをひっくりかえしたような雨。
 英語で言うと It rains cats and doggs.
 イタリア語ではなんというんだろう。
 雹が混じっている。
 雨樋も溢れて屋根から勢いよく水が落ちる。
 家の前の道路工事も一時待避。
 近所の家からは雷鳴に脅える子供の叫び声。

 5分ほどで雨は止んで、陽が射してくる。
 見上げると空には積乱雲。
 日本なら梅雨明けってやつだな。

 編集者からの連絡って何故か同じ日に複数の人から来る。
 長編第一稿のフィードバックとか、発売間近本の巻末のこととか。
 世界を編集者のバイオリズムが支配しているのだろうか。(笑)

 土砂降りを辞書で調べた。

 Piove a catinelle.
 イタリア語では洗面器を並べた上に雨が降る、というのだね。
 なるほど。

2012年06月11日

地中海クルーズ 7泊8日全食事付き4万円

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(ベネチア大学本部のカフェには日本の写真が12点飾ってある。3.11の後、被災地を支援するためのチャリティ写真展があり、このカフェが写真を買い上げた)

 そもそも何故ミストレかというと、ベネチアでは食料は豊富だが、日常生活に必要な「物」が十分に売られていない。
 ベネチアへ通勤してくる人の居住地区であるメストレにはごくふつうの商店やショッピングセンターなどがある。
 そこで、ベネチアに長く住むのに不自由のないようにメストレという町を知ることが必要になるというわけ。

 午前中、Al Prosecco で2ユーロのコーヒーを所場代として払って、メストレの地図を Google Map で表示させ、pdf に書き出して持ち帰る。
 それを家でプリントアウト。
 これでメストレ地区、および、ベネチアからメストレへ行くまでの経路の、道路の名前を完全に把握。

 それから昨日バスターミナルで撮影してきた路線図をつきあわせ、各の路線の経路を確認する。
 こちらのバス路線図は、停留所の名前ではなく通過する通りの名前を順に書いてあることがわかった。
 ならば、通りの名前の入った地図があれば、バスの通る経路を完全に地図上に再現できる。

 というわけで、少なくとも 27 Ottobre とその近隣の道を通るバス路線が完全にわかった。
 あとは、Mestre 地区の行きたい場所がどの通りにあるかがわかれば、ベネチアからバスに乗って行くことができる。

 これにて、二日がかりで、Mestre の地理案内は完璧になった。
 自分が乗る路線しかわからないメストレの住民よりも僕の方がバスについては詳しく知ってるぞ。(笑)

 というわけで、プロジェクトがひとつ終了。


 大学の近くの旅行代理店が開く3時を待って出かける。
(こちらの店はたいてい昼に一旦閉店する)
 飛行機の切符について相談。
 結論。代理店を使うよりネットで自分で買った方が安い。(まあ、予想通りだけど)

 ついでに地中海クルーズのカタログを2冊もらってくる。
 カタログといってもそれぞれA4版300ページ以上あって電話帳のように分厚くて重い。1社は少し前に事故を起こして船長が先に逃げた例のあの会社。

 7泊8日の地中海クルーズは二人で828ユーロから。
 もちろん客船クルーズだから全食事宿泊込みだ。
 ふつうの旅行より断然安い!
 一番安いのは海の見えない内側の部屋だけど、デッキに出れば、外は広々とした海なんだから、一週間くらいなら全然問題ない。

 カタログをもらったもう1社であるMSC社の巨大な客船が、一昨日、ベネチアにも来ていた。

 夕方、今度は Da Filo でプロセッコを飲みながら、ネットで飛行機の検索。
 とある日程で、日本を基点にベネチアを往復すると17万円。
 ベネチアを基点に日本を往復すると、8万円。
 同じ航空会社の同じ便を使っているのに、日本からだと倍の値段。
 それでJALの経営がなりたたなかったりする日本って、いったいどうなっているんだろう。

 当初の6月末予定だった新刊の発売日が版元の営業上の理由で7月10日にずれたので、プロモーションの為に日本に帰った後、ベネチアへ戻るのにかかる飛行機代が高くなってしまった。
 そもそも9月までアパートを借りているのに、途中でいったん日本へ帰るのは新刊のプロモーションの為。
 プロモーションでしっかり売上を伸ばさないと元が取れない。
 売れてね、新刊くん。

 なんだか、こうやって書いていると毎日盛りだくさんだけど、精神的には日本にいるよりゆったりとした感じがする。

2012年06月10日

もし容疑者が Mestre に潜伏しているとわかったら

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 昨日の遠征で、トメスレの鉄道駅近くは繁華街でないとわかったので、再調査が必要になった。

 とりあえず、バス路線の調査。
 大きなショッピングセンターがあるとの情報から、検索で2軒見つけた。
 そのひとつは「10月27日通り」にあることがわかったので、ローマ広場のバスターミナルまで行き、バス路線の調査をすることにする。

 切符売り場の掲示板に発車情報が出るのだけど、2画面で時間にして15分程度の分、そこの乗り場と路線番号と主な行き先が出る。
 そこをしばらく見ている限り、Mestre なる地名を通るのは1路線だけ。
 Mestre という停留所は鉄道駅以外にはないようなので、市中心部 Centro の地名を知る必要があるが、地図がないのでわからない。
 事務所でバスの路線図はないのか、と聞くと「そういうものは存在しない」のだそうで。

 こうなったら腕力で探す。
 もし容疑者が Mestre に潜伏しているとわかったら、日本からやってきた刑事は、当てにならないイタリアの警察に頼らずにどうやって Mestre で捜査を開始するか。
 推理作家協会会員である阿川大樹にとっては簡単なことである。(笑)
 バスターミナルの乗り場を片っ端から回って、そこに出ている路線表示(図ではなく通る地名を順に書いたもの)を写真に撮って帰ってきた。

 いくつかの路線に 27 Ottobre の文字が。

 それらの路線図と地図をつきあわせれば、自分でバスのルートマップが作れるはず。
 本日はそこまで、続きは明日。

 夕方5時45分からユーロ2012のイタリア代表のサッカーの試合中継があるので、それまでに帰宅する予定で、リアルトまで洋服を買いに出る。
 次第に気温が上がってきて、夏物がポロシャツ2枚だけでは厳しくなってきた。

 ベネトンで29ユーロのポロシャツを買うつもりだったけど、その前に立ち寄った COIN というデパートで18ユーロと20ユーロのポロシャツを購入。
 ベネトンには行かなくてよくなった。

 Mercato (市場)近くのバールでちょっとゆったり。
 観光客向けの店には一見の客からできるだけ金をむしりとるだけが狙いの「高かろう悪かろう」の店と、観光客をきちんと楽しませようとする「高かろうよかろう」の店がある。
 観光客に徹して上質の観光スポットで少しだけ余計にお金を使うと上質の時間が手に入る。
 スプリッツ(3.5x2)とつまみ4品(2.5x4)でふたりで17ユーロ。

 イタリア代表の試合開始少し前に帰宅。
 イタリア対スペインは、終始スペインが押していたが、先制点はイタリア。
 しかし、スペインがまもなく同点に追いついて、そのまま引き分け。
 さぞやイタリア人は悔しがっているかと思いきや、テレビや翌日の新聞の記事ではスペイン相手に引き分けというのを、喜んでいるようだ。

2012年06月09日

中華料理は黄金町の圧勝!

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 ベネチアのベッドタウンであるメストレへ買い物に行ってみた。
 まず Piazzale Roma で回数券の再チャージ。

 メストレ行きのバスは何番だ?
 どうやら2番が行くらしいのでそれに乗る。

 アナウンスも車内表示も出ないが、とりあえずメストレの駅はわかったので、そこで降りてみる。
 駅近くの通りはどうやら中華街らしく、店の表に漢字が含まれた店、並べられた見かけでわかる中国人の雑貨屋などが多い。
 ベネチアに来て時間が経つと、別に中国風の内外装や商品が売られていなくても、中国人の経営する店の特徴がわかってくる。
 レストラン(中国料理でなくイタリア料理)でもバールでも雑貨屋でも「あ、ここ、中国人の経営だな」と思って、中を覗いてみると、レジの前やカウンターの中に中国人がいる。

(ベネチアは急速に中国人経営の店が増えていて、一見、イタリア人がやっていそうな店の多くが中国人に取って代わられているのだ。
 ベネチアに入ってくる中国人は、暮らすためではなく金儲けのために入ってくるので、中華料理屋をやったりはしないで、イタリア料理を出す店やバール、土産物店などを開いている。
 一見したところでは中国っぽくないのだけど、なんとなく商品の並べ方などにある法則性があるのでわかるのだ。

 ベネチア本島ではなく本土側のメストレはベネチアで働く人間のベッドタウン(不動産の価格が全然ちがう)なので、中国人、アフリカ人、その他のアジア人など、移民が多い。

 ホテルも多く、高いベネチアのホテルを嫌って、メストレに泊まってバスでベネチアへ通う観光客も多い。

 実はメストレの繁華街は駅の近くにはなくて、徒歩10分くらいの場所にあるということが後でわかったのだけど、調査不十分で、本日の買い物計画は80%空振りに終わった。

 中華街(横浜や神戸の中華街と違って観光客向けでなく自分たちが暮らす町としての中華街なので見かけはふつうの町)で食品店で買い物。
 S&Bのわさび、出前一丁の中国バージョン、本だし、など。
 ついでに「東方」という中華レストランで昼食。
 メニューは本格的に品数が多いが、味は日本で日本人がやっている町の中華料理屋レベル。
 ワンタン(3ユーロ)、炒飯(3.5ユーロ)、大正海老のニンニク炒め(6.8ユーロ)、水(2ユーロ)
、コペルト(席料1人1.5ユーロ)

 僕らが入ったときは他には中国人客が4組だった。
 あとからイタリア人の女子会(8人)がナイフとフォークで中華料理を。
 もう一組のイタリア人親子はフォークで焼きそばを食べていた。

 割りと安いので、たまにはバスで食べに来てもいいという感じ。
 実は、ベネチア近郊でこの店の中華料理が一番美味しいと言われている。
(でも、あくまで日本で日本人がやっている中華そば屋のレベルの味。横浜の黄金町近辺の680円の定食中華のレベルには到底及ばないけれど)

2012年06月08日

お湯が出ない

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 本日は、ガス工事のため、午前8時半から午後4時半までガスが止まる。
 つまり、家で昼ご飯が作れない。

 ということで、妻のクラスメートと Giudecca島へわたり、海を見ながらのランチ。

 午後5時前、ガス工事は終わっていて外には誰もいないが、ガスは出ない。
 もし、外のガス管がつながっていない、または、外のバルブが開いていないとすると、へたをすると、週末そのままで月曜日までガスが使えない!!

 まず、自分の家の元栓の場所を確認。
 運よく見つかり、閉まってた。開けて見ると台所のガスコンロは無事に点火。
 しかし、給湯システムは動いていない。
 ボイラー室の鍵の所在がわからない。
 やっと鍵を確保し、ボイラー室を開ける。
 エラー表示らしきものが点滅。あてずっぽうでスイッチを切ってみて入れると、エラー表示はなくなり、25度の表示。

 傍らの蛇口を捻ってみるが、一向に湯が出ない。
 そちらは系統がつながってなかったらしく、結果的には家からはお湯が出るようににあった。

 それにしても、アパートというのは中途半端に自分の家なので、頼れる人がいない。
 自分で解決しなければならないが、自分が所有しているわけではないので、電気やガスの元栓などのバックヤードの情報が不足している。

 それにしても、ガス会社が個人の元栓を閉めていくとは思わなかったなあ。(鍵がかかったドアの内側)

 夜はクロダイののグリル。
 戴き物の醤油が手に入ったので、マッシュルームでダシを取って清まし汁を作ってみたが、あまり美味しいとは言えなかった。

2012年06月07日

だらだら

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 チーズがなくなったので生協へ買いに言って Orata(クロダイ) を買ったけど、それは食べずに、夕方、外出。

 散歩がてら、vodafone へ立ち寄って携帯に10ユーロをチャージ。
 勝手にネット使い放題5ユーロ、というので5ユーロ引かれてしまって、急に残りが少なくなっていたのだった。
 5月末に来ていたメールの文章からそのよう理解できたのだけど「まさか、頼んでもいないのに」という気持ちで放っておいた。
 やはり自分で明示的に解約しなくてはいけなかったようだ。
(僕のイタリア語の読解力はすてたもんじゃなかったということだ)
 それにしたって、5週間で通話料700円って安いよね。5ユーロ無駄に引かれていなかったら、2ユーロだったのだからして。
 電話機もこっちが安いし。
 日本の方が人口密度が高くて携帯電話キャリアの投資効率はよいはずなのに、なぜ、日本の方が高いのだろう。

 6月28日まで使えるので、その前に必ず解約しなければ。(と、備忘録)

 San Toma (トーマじゃなくてトマーと後ろにアクセント)からバポに乗って Giardini まで。
 イタリア海軍練習船 Americo * を見るため。
 ついでにそのあたりに係留中のメガ・ヨットも見物。
 帰りは Arsenale から San Silvestro まで乗って、サン・ポーロ広場経由で帰宅。

 すでに夜9時近くなっていて、お腹がすいていたので、Due Colonne でピザ・マルゲリータと野菜のフリッタと白ワイン0.5リットル。(二人で20.24ユーロ)
 ピザはでかいので二人で1枚で十分。

 連載エッセイを1行だけ書いたけど、今日も仕事をしない日。
 今週はしませんよ。(笑)

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2012年06月06日

パドバでダバダ

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 午後、サンタルチア駅で待ち合わせて列車でパドバへ。
 わーい。電車に乗るのは初めてだ。パドバまで30分ほどで、3.5ユーロ。
 横浜から渋谷までという感じ。

 妻の語学学校のクラスメイトでパドバ在住のOさんと一緒。

 着いたパドバはベネチアとは違ってふつうの文明国だった。(笑)
 広い道にトラムが走り、バスが行き交う。
 一見した町並みの感じはブリスベンに似ている。

 ベネチアに侵略されたときにベネチア人がマーキングした痕跡があったり。
(ベネチアは勢力を拡げた先に「ベネチア参上!」的な建造物を作っていたらしい。アポロ11号の月面の星条旗みたいに)

 地元の人も首を捻る、アメリカの「9.11」のモニュメントがあったり。
 何でパドバに? 何でアメリカ? 何で9.11?
 箱物パブリックアートか?
 立地は素敵な水辺の公園的なところだけど、誰も人がいない。
 そこに立ってみると、何とも言えない、とても居心地の悪い空間になっているのだ。

 1222年創立と歴史の古いパドバ大学へ。
 大学が始まった本館ともいうべき Palazo Bo をガイドツアーで見学。
 チケットブースで「ガイドツアーは英語であるのか?」と聞くとオバハンに「その時によるからわからない」と恐い顔で叱られる。(笑)
 その代わり(?)なぜか一人5ユーロのチケットが3.5ユーロの団体料金だった。

 ツアーが始まると、なんと、さっきチケットを売っていたオバハンがガイドだった。なんと効率的な。
 イタリア語で説明が始まるがなんとなくしかわからない。
「じゃ、イタリア語の人、先、行ってて」と送り出した後、「英語話す人手揚げて? ドイツ語は?」と参加者に尋ね、挙手の数でガイドの第二言語は英語に決定。
 なるほど。効率的というかアバウトというか。
 以後、説明はオバハンがイタリア語と英語とで2回行なう。
 英語が先だったりイタリア語が先だったりしたけど、英語が先だと話し方がゆっくりであることもあって、イタリア語も少し理解できる。(説明が微妙に違ったりもする)

 ここでは、コペルニクスが学び、ガリレオ・ガリレイが教鞭を執った。
 すごいよね。世界史の教科書のゴチック体の人がいた場所だよ。
(ロゼッタストーンやマグナカルタを見たときも感動したけど)

 目玉である解剖学教室(Teatro Anatomico)は、中心に解剖検体を置き、その周囲を囲むローマのコロッセオのような円形劇場的な場所から学生たちがそれを覗き込む構造になっている。だから Teatro 。

 終了後、学内のバールでコーヒー。(0.9ユーロ)
 学位授与の時に思い出の場所としてこのバールを訪れて写真を撮っていくらしく、そういう服装をした人が写った写真が、所狭しと壁に貼られていた。

 次は、スクロベーニ礼拝堂。
 修復されたジョットのキリストの生涯が描かれている。
 完全予約制でネットで予約して来る。
 僕らは午後4時半の回だ。(13ユーロ)
 はじめ、ビデオで歴史や修復の様子についてイタリア語の説明(英語ドイツ語の字幕)があり、その後、礼拝堂内部へ。
 少ない人数でゆっくり観ることができて大満足。
 料金内で見ることのできる、となりのエレミターニ市立博物館もなかなかよかった。

 カフェで一旦休憩。
 Ceffe Pedrocchi の特製コーヒーが美味しい。(5ユーロ)
 いままで飲んだコーヒーのバリエーションとしては世界で一番美味しいと思う。

 午後6時過ぎ、Oさんとそのボーイフレンドと合流。
 彼のフィアットで車で山あいのレストランへ。
 イタリア文学の先生でもあるボーイフレンド氏に料理のメニューを丁寧に説明してもらい。
 この土地特有のうどんのようなパスタを二種類、Secondi Piatti は、ウサギとハト。
 2種類のデザートと、大麦(orzo)でつくられたコーヒー(のようなもの)
 老舗旅館の女将という感じの女性経営者が席にやって来たり。
 日本人3人とイタリア人1人、公用語英語の楽しい食事。

 パドバから戻る終電車はないかもしれない、ということで、最後は車でベネチアまで。

 いろいろと、案内してもらったり、教えてもらったり、アレンジしてもらったり、素晴らしいホスピタリティでもてなしていただいちゃいました。
 大感謝。 Grazzie Mille !

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2012年06月05日

フィーバーしちゃった(笑)

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 午後10時にはソファで沈没していて、午前3時頃にベッドに移動したはずだ。
 だけど、午前8時に目覚めても疲れていて、まったくベッドから起きられない。
 脱稿疲れ。原稿を提出したとたんに疲労困憊。疲れが出たようだ。

 ともあれ、家の前の工事も始まって、音もうるさく、午前9時過ぎにはなんとか起き出した。
 さっそく1バッチ目の洗濯をしながらシャワーを浴びる。
 その後、うっかり2バッチ目の洗濯を始めてしまい、オーブンが使えなくなってしまった。
 オーブンと洗濯機を同時に使うとブレーカーが落ちる。

 というわけで、ピザの残りを朝食にできなくなった。
 午前12時前、ペンネットにボローニア・ソースをかけて朝昼兼用食。

 脱稿まで、後回しにしていたことについて、フォローのためネットにつなぐ必要があるのだけど、本日も、サンジャコモ広場に wifi は存在せず、頼みの Da Filo は何故か店が閉まっている。
 やるなあ、手強いぞ、イタリア・クオリティ。

 ならば Museo へ行って読書でもしようと思ったら、いつものテラスが大量の banbini(子どもたち)で使えない!

 思い通りにならないことが1日に3つくらいあったところで、イライラしたりめげたりしていては、イタリア生活はできない。
 というか、こちらにしばらくいるうちに、思い通りに行かないことが当たり前で平気になってしまった。
 バスルームの天井灯だって、入居数日で点かなくなったまま、もう一ヶ月そのままだしね。
「そのうちなんとかなるだろう」と植木等状態。

 僕の心がイタリア化している。

 日本ではイタリア人とかラテン系の人間のいい加減さがよく語られる。けれど、ラテンの人間は自分がいい加減なだけじゃなくて、他人のいい加減さも許すから、その意味で、ものすごくフェアなんだよね。

 スペインでのこと。
 信号のある交差点の真ん中で、バスの運転手が向こうから来た知り合いのトラックと話を始めて、交差点を10分くらい塞いでいたけど、クラクションひとつならなかった。
「迷惑だから早く話すのやめろ」じゃなくて「友達に会っちゃったんじゃしょうがない。話が終わるまで後ろで待とう」なのだ。
 日本ではあり得ないことだけど。

 沖縄も似ていて、会社に遅刻してきて「友達と朝までのんでたから」というと「それじゃしょうがない」だったりする。もちろん、それを批判されることもあるし、批判を引き受ける。

 ラテンのいい加減さは、ずるいのではなくて、結果、他社から批判されたり、仕事をなくしたり、経済でほかの国に負けたりすることがあっても、それは引き受けるから、逃げてはいない。
 いいとこ取りではない。
 ようするに、その場の優先度において、「いま」を中長期的なことよりも大事にするということだ。行動選択の基準が違うだけ。

 こちらは、腹をくくって、散歩に徹することにした。
 午後3時、ワコールのウォーキング下着に履き替え、iPod nano を歩数計にセットして出かける。
 日差しは強いが空気は割りとひんやりしていて、半袖ポロシャツで歩いてちょうどよい。
 北緯45度で空気の層が薄いので紫外線は強いはずだから、日焼け止めは塗る。

 特にあてはないので、知っている道を中心に意図的に道を外れてみたりして、わざと迷って新しい道を開拓。

 学生街のサンタ・マルゲリータ広場で Cichetto (つまみ:転じて、バールやバーカロでちょっと1杯やること)することにした。
 最初は、いつも学生で大混雑の Caffe India で、スプリッツ(ほぼカンパリソーダ)、2ユーロ。
 次は地元のオッサンで混んでいる(名前忘れた)で、チケット(つまみ)1.5ユーロをとってプロセッコ2.0ユーロ。
 バールとかバーカロとか、立ち飲みでちょっと楽しめるところがたくさんある。
 同じ店でも座って飲食すると高くなる。(席料が1ユーロだったり値段が倍くらいだったり)

 ずっと原稿書き生活だったので、立ち飲み2軒まわって5.5ユーロ使ったくらいで「六本木でフィーバーしちゃった」くらいの開放感。

 夕食は家で1.5リッターで3.9ユーロのプロセッコと共に。

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2012年06月04日

長編脱稿

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 午前8時40分。
 出かけていく妻が部屋に戻ってきて、「うちが出したゴミが路上に散乱している」と。

 しかたなくベッドから出て妻を送り出して、下まで降りて路上のゴミ拾い。
 どうやら道路を掘り返す作業者の仕業のよう。

 寝る前には脱稿の興奮状態で元気だったが、ぐったり疲れている。
 目覚ましの時刻には早いけど、そのまま起きてしまうことに。
 ぎりぎり6時間休んだから、ま、いっか。

 まもなく道路を掘り返す強烈な騒音が始まり、どうせ寝てなんていられなかった。
 この騒音では家にもいられないので、ちょうど書き上げた後でとても運がよかった。

 サン・ジャコモ広場の wifi は今日も電波が見つからない。
 カフェもまだ開かないので、サン・ポーロ広場まで出て、そこのベンチで原稿を送る。

 ついに長編、脱稿、本年2冊目になるはず。
(まだ第1稿なので、紆余曲折の始まりだけど)

 雨がぱらついてきたので、いそいで帰宅して洗濯物を取り込む。
 あまり食欲がないので、朝食は昼過ぎになった。

 今日は、だらだら、心を休ませながら暮らそう。

 学校から帰ってきた妻が、証明写真が必要だというので、傘を差してサンタルチア駅へ。

 家のプリンターでも写真印刷ぐらいできるのだけど、サイズを聞いたら「4枚プリントの大きさ」と言われてわからないので、それじゃしょうがない。
 日本と同じ、デジタル式の写真ブース。
 4ユーロで証明写真4枚と少し大きなの(他のサイズの組み合わせもある)がセットで出て来る。

「お、言語が選べるじゃん」
 と英語のボタンを押すが、英語なのは最初だけで、おかしいなあ、あとのインストラクションはイタリア語。
 で、出てきた写真はハートのついた絵葉書に顔写真が1枚。(プリクラの絵葉書版だ)
 おっと、ここのメッセージが英語のバージョンを選んでしまったらしい。
 だって、説明のいちばん最初に「言語を選べ」って書いてあるんだよ。で、ユニオンジャックのマークの付いたボタンを押したんだけどなあ。

 しかたなく、もう4ユーロを入れて、二度目に、やっとちゃんとした証明写真ができた。
 ブロマイドは「ベネチア滞在記念」ということにする。

 Vaporetto でサン・マルコへ向かい、大きな荒物屋へ買い物に行ったのだが、15分前の午後7時15分で閉まっていた。とか、そういう長閑な事件を経過。

 イタリアでは最初から用事が一度で済むと思ってはいないので、もはや、たいしたガッカリ感はない。またくればいい、と受け止めるだけ。
 このあたりの心のありようの変化は自分でも驚く。
(まあ、寝て起きて食べて書く、というあまり他人と関わらない生活だから、てのが大きいと思う)

 帰り道のサンポーロ広場のビアレストランで、夕食。
 フリットラ・ミスタとドイツビール。うまい。

 なんだか、今日はサン・ポーロで始まりサン・ポーロで終わった一日だった。

2012年06月03日

終結

 うまく休憩をとることで、午前中の体調不良からは順調に回復した。

 サンジャコモ広場の wifi は夕方になっても回復しない。
 午後、あまり張り詰めずにスロースタートを心がける。

 Museo、Da Filo と使い分け、午後8時には30分ほど散歩。
 自分の腕一本のプロの「ここ一番」の体調管理は確実に成功させなくてはならない。

 夕食後、自宅で最後の推敲と改稿の作業。

 午前1時過ぎ、ネットにつないで調べる必要のあること1点をのぞいて完成。
 昨日の教訓から、頭を休ませるために、Pinot Nero を飲む。つまみはオリーブ。

 最初に買った生協のオリーブはすごく美味しかったのだけど、今度のはあんまりおいしくない。

 品質が安定しないのはイタリア文化?
 品質を安定させようとすると、日本みたいにコストは高くなるし、窮屈な世の中になる。
 品質だけよくなって、値段が安くて、ゆったりしたイタリアみたいな世の中、なんてきっとできない。

 トマトもサクランボも奇形だらけだ。
 ズッキーニのサイズもまちまちだ。
 それをそのまま売るから、山から自分で計って買う量り売りだから、全部売り切ることができて、無駄なコストが出ない。
 グリッシーニ(超細長いパン:グリコ・ポッキーみたいなやつ)のパッケージには、長さがまちまちな絵がついている。折れたのも入ってるよ。ということだ。
 輸送中に折れるのは当たり前で、「折れたのが入ってるよ」と文句を言われないようにすることで、パッケージや輸送のコストが下げられる。
 10本のうちに2本くらい折れてたっていいじゃないか、てことだ。

自律神経が壊れた

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 朝起きると目眩がする。
 呼吸が浅い。汗が出ない感じ。
 自律神経が壊れている。

 壊れる直前ギリギリを保つのがいいのだけど、行きすぎてる。
 ここのところ、寝ても脳が休んでいない状態だったからなあ。

 昨日、夜、いいテンションだったんだけど、残り時間と比較して先に休むべきだとベッドに入った。
 酒でも飲んでテンションを下げておくべきだったのかな。
 休ませたいけど、テンションを下げたくない、という相反する要求のバランスを取るのが難しい。

 身体を動かしてみようと散歩に出る。
 ベネチアの狭い路地が迫ってきて押し潰されそうに感じる。
 閉所恐怖。

 体感として暑い。歩いても脈が上がらない感じ。
 呼吸が浅く細かくなっているので、大きくゆっくりを心がける。

 今朝もサンジャコモは電波がない。
 サンポーロは電波があるけどログインできない。
 デイフラーリではつながった。
 サンジャコモに戻ってくるとあいかわらず電波がない。

 教会の鐘が暴力的に感じられる。
 自傷するか外の何かを壊したい衝動。
 そんな自分を外から見ている別の自分。

 自殺についての新発見。
 人間は悩んで苦しくてそれから逃げたくて自殺するんじゃなくて、神経系が疲労すれば衝動的に自傷する可能性があるみたいだ。

 いま、僕は長編の最後のところで、精神的にはものすごく充実していて、生きていることが楽しくてしょうがない、いわば精神的にはもっとも幸福な状態にいる。なので、苦しいとか逃げたいとか思うのとはまったく反対の状態にある。
 だけど、普段、まったく感じることのない自傷衝動を感じた。

 心の過労死としての自殺ってあり得る。そう思う。
 それは「不幸」とは関係ないし、「精神」とか「心」とかじゃなくて、「内臓としての脳」の機能不全だ。精神ではなくて生理現象。

 死んじゃうと、その事実は他人にはわからない。
「自殺=不幸」モデルにあてはめられて、「人知れず悩んでいたにちがいない」なんて誤解される。
 僕が、今朝、教会の鐘の音を聞いて自殺していたら、「〆切の重圧に苦しんで」とか「創作上の悩みをかかえていたのではないか」とか説明されてしまうと思う。
 実際の精神状態はまったくその逆だ。

 死なないうちに書いておく。(笑)
 自殺は生理的な現象だ。急性の症状を含めた病死の一種だと考えた方が自然。
 今朝、そう思った。

 自覚したので、ケアできている。
 いやはや、アブナイアブナイ。

 丁寧に手を動かしながらサンドイッチを作り、会話をしながら朝食を摂る。
 熱い湯を身体に当てながらゆっくりシャワーを浴びる。
 それで、かなり回復した。

(写真は地震の被害を伝える5月30日の新聞)

2012年06月02日

共和国記念日

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 午前8時過ぎ、起床。
 疲れているけど、あとひといき。

 今日、6月2日は、ベネチア共和国独立記念日。
 生協とワイン屋は休み。BILLA はやってる。
 休みの店は「休みだぞ」、やってる店は「うちはやるよ」とそれぞれわざわざ貼り紙や広告を出しているのが面白い。
 ゴミ収集も休みだろうと出さなかったら、いま集めに来てる。出せばよかった。

 連日の地震のニュースも、壊れた建物の映像から瓦礫処理の映像に変わってきた。
 日本で見ていたのと同じで、心が痛む。

 二度目の地震は何日も余震が続いて、新たな被害が拡大している。
 パルメザン・チーズやアチェート・バルサミコなど、地域特産の食品のダメージが大きいようだ。

 今朝もルイジのパン屋さんで、Pani Antichi と Pani Arabi.
 2個ずつ、計4つで、1.4ユーロ。

 朝食はだいたいいつも、パンを上下半分に開いて、レタス、トマト、チーズ、ハムをはさんで食べる。
 急いでいるときはブリオッシュ(クロワッサン)だけだったり。
 本日のフルーツはアプリコットとキウィ。

 今朝の教訓、大きく穴の開いたチーズは、スライスするとバラバラになる。

 夜は Pizza 2000 の Capricciosa. (二人で食べて、5.8ユーロ)
 
 通しでプリントしたものを読みながら、書き出しの30枚分くらいを入れ替えることにした。
 けっこう大手術だけど、多分、ずっとよくなる。

 あとは完成までのこの先30時間くらいの体力気力の管理が重要。

 午後11時、調べものがしたくてサン・ジャコモ広場へ出かけるが、VeniceConnected の電波が検出できず。
 システムダウンか?

2012年06月01日

夢を見た

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(運河に沿って真横から差し込む夕陽)

 午前4時過ぎ、仮眠していたはずのベッドで目が覚めた。
 昨夜、夕食後、集中力が上がって、凄く疲れたので、ベッドでストレッチをしようと思ったら、寝入ってしまったみたいだ。

 変な夢を見ていた。

 意識では新宿ゴールデン街だと思っているけど、少しもゴールデン街に似ていない場所で、僕は店が開くのを待っていた。

 そこはなぜか板の間で、新聞を読んでいて、ふと目を上げると、浴衣を着た、シンガーソングライターのひがよしひろがいて、「大樹さん、なんでこないの。さっきから待っていたのに」という顔をしているから、「あ、行こう行こう」とついていくと、狭いブースみたいな店だと思っていた店が意外に広くて、でも、椅子とかなくて煎餅布団があって車座になって飲むような感じ。
 黄金町の僕の事務所に机を入れる前に似ているけど、修学旅行で泊まる大広間の部屋みたいでもあって、狭いんだか広いんだかよくわからない。空間見当識が働かないのだ。

 なんで布団なんだ、売春宿みたいなとこだな、と思っていると、ひがよしひろが哲学者の村松恒平に変わっている。

 どっちにしても知り合いだから安心だと思っている。
 村松さんにはしばらく会っていなかったし、普段はしない哲学的な話でもしながら飲もうかと思うけど、ちっとも酒が出てこない。

 早く酒飲もうよ、といおうとすると関根恵子(高橋恵子)が入って来て、大きめのプラスチックのカップに入ったゼリーだかフルーツだかが入っているのを売りつけようとする。

 どうしたらいいのと助けを請いたいと思うのだけど、横で村松恒平は布団を畳んでいる。

 関根恵子のもっているやつは、薄いオレンジ色で、アプリコットかマンゴーみたいなヤツが入っている。
 2900円だというから高いなって顔をすると、じゃあ2200円だという。
 こういう所へ来たら何かを買うのが礼儀なのかと思って、「2200円なら買う」というと、「でも、これは2200円だけど、これだけってわけにいかないのよ」という。
 どういうことだと聞くと、「これを買うと私がついて来ちゃうから高いわよ」と。
「じゃあ、いらない。ごめんね」というと横座りしていた関根恵子は、ちょっとだけ残念そうな顔をしたけど、基本的には事務的な感じで、じゃあ他を当たろうという顔をして帰っていった。

 なんだかめどくさいところだなあ、早く酒が飲みたいなあと思っているうちに目が覚めた。

 こんな夢、いったいどういう深層心理だ。

 滅多に夢を見ない(見ても覚えていない)僕が、へんな夢を見るのだから、疲れている自覚はあります。

 比喩的表現でなく、寝ているときも小説のことを考えていて、睡眠中に色々なことを思いついて目覚めることもあるし。
 今朝のも、終盤の展開のために遡って前の方に入れておくべき三ヶ所の伏線を寝ている間に思いついていたので、たぶん、起きたときに忘れないように、小説の神様が変な夢を見せて起こしてくれたのでしょう。

 起きたときに「大事なことを思いついたこと」しか思い出せなくて、「なんだっけ」と思いながら、紙を取り出して、ペンをもったらちゃんと記憶が甦ってきて、あわててメモを取りました。

 眠りが浅いというか、頭の働くモードが違うというか。

 体調はいいです。
 疲れは病気ではなく、脳が動いているのだから、疲れるのは当たり前なわけで、まあ、そんな具合です。

 それも今日を含めて、3日間で終わらせます。