覇権の標的 D列車でいこう 








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2007年01月31日

コーヒーショップ


出来立ての原稿と。
パソコンを持たないで外出する解放感(笑)

脱稿

した。
少しくつろいで外へでる。

2007年01月06日

戦争と人生

 叔父の葬式、午前9時過ぎに家を出て午後8時帰宅の一日仕事。

 叔父の棺には、予科練のころの集合写真があった。
 叔父には戦争の話を聞かせてもらいたかったが、彼が予科練だったことで、僕の心の準備ができなかった。16歳かそこらで国のために命をかけようと思い立った人と向き合うには、こちらにもそれを受け止める覚悟が必要だと感じていた。
 話を聞ける自分になろうとわざわざ江田島の海軍兵学校へ行ってみた。だが、そこでみたものは、自分の青春と当時との差であり、かえって道は遠のいてしまったのでした。
「おじさん、教えてくれ」と虚心坦懐に何も知らずに聞きに行けばよかったのかもしれない。

 叔父が予科練にいたころは、日本にはもうたくさんの飛行機を作る国力も、飛行士を養成する時間もなくなっていた。叔父は飛行機ではなく、水上特攻艇「震洋」というので訓練していたらしい。人間魚雷回天が有名だけれど、僕が江田島で模型で見た震洋はベニヤ板でつくった、子供だましみたいなチンケな小舟だった。
 あれでは軍艦の曳き波でも簡単に転覆してしまうだろう。
 特攻のとき、突っ込むこともできずに波に煽られて転覆して死ぬ姿が想像できてしまう。それだけで泣けてくる。
 乗ってみれば、彼らも訓練中に自分の最後をそのように想像したにちがいない。国のために死をいとわないという志を、きちんと受け止める国力すら日本にはなく、死に場所としてあまりにみじめなベニヤの船と、「特攻」にすら性能が不十分な船で、多くは「犬死に」が待っていたばかりだった。

 棺の中の予科練当時の集合写真。
 そのセピア色の集合写真を見て、このうち何人が生き残ったのだろうという思いが浮かび、6人の孫まで儲けたことを思えば、戦争で死なずに今年の正月二日まで生きていて本当によかったと思って涙が出た。
 叔父が死んだことよりも、彼がその日まで生きたことを喜ぶ気持ちがした。

 原稿は書けずに、疲れて就寝。

2007年01月02日

阿川大樹のラジオ放送

 昨年11月の沖縄コザ訪問の時に収録、12月20日にFMコザで放送された 「エロかしまし小桜ナイト(ゲスト:小説家・阿川大樹) 」がポッドキャストで公開されましたので、以下のURLで聴取可能です。

 パーソナリティの「コザクラおばあ」こと、まーこさんとのトーク番組。

  http://log.ti-da.net/ad/user/ad.php?id=329 (mp3 34MB)
 (残念ながら携帯からはお聞きになれません)

2006年12月31日

大晦日は大捨て日

 午前7時前起床。朝型である。

 朝食に好物たぬき蕎麦を食べて、忽然と仕事場の部屋の片づけを始める。
「迷ったら捨てる」の基本方針の下、地下のゴミ捨て場まで、6往復はしただろうか。
 仕事場の見えている床が倍増した感じだ。本棚からあふれていた本もほとんど収まってきた。

 昨年はまったく見なかった「紅白歌合戦」を(うわの空ながら)ほぼ観た。
 だって、知らない歌手ばっかりでているのも、常識を要求される小説家としてはマズイんじゃないかと。
 近ごろは、テレビも読書も、娯楽ではなく、仕事のためのものばかりのような気がするが、ま、いっか。

 受験生の娘がいるという友人に誘われて近所の洲崎神社へ。
 到着は12月31日午後11時54分。
 本殿の前から3列目で新年を迎え、さっそく手を合わせて拝む。何をお願いしたかは内緒。
 おみくじ、大吉。
 一説には射手座は12年に1度の強運の年なのだそうだ。

2006年12月29日

整形外科の風景

 明日はフットサルの試合で6試合。
 何ヶ月か前から腰痛気味なので、これが骨なら運動しない方がいい。その原因を確認しておく必要有り。ということで、整形外科へ。
 年末最後の診療日ということでやはり大混雑。
 待合室で2時間近く待った。
(パソコンで仕事できたしうたたねもしたので、時間が無駄ではなかったけれど)
 で、骨は異常なし。よかった。
 年明けからリハビリに通います。
 300円ほどでマッサージが受けられるみたい。内容に差があるとはいえ、癒し系サロンよりずっと安いジャン。どうりで、おばあさんたちが常連で入り浸っているわけだ。

 天気がいいので、横浜を放浪。
 身体は使ったけど、精神はくつろいだかも。自分を解き放つことの快感。
 最後は、野毛の焼鳥屋に立ち寄って八海山で締め、よい一日の終わり。
 あすのフットサルに備えて、ふだんより少し早い就寝。

2006年12月28日

リモコンパニックからの脱出

 昼過ぎに起床。
 自分の分、カミサンの分、合計400枚ほどの年賀状を投函し、贈呈本の冊子小包を発送。
 駅前まで出て、ダイエット食品を調達。ヨドバシカメラでソニーのプログラマブルリモコン RM-PL500D を購入。(全部、ポイントで足りた)
 帰宅後、リモコンの設定。
 居間のテレビ、ハードディスクビデオ2台、CDプレイヤー、ラジオチューナー、MDプレイヤー、などをAVアンプで切り替えているのだけれど、リモコンだらけでパニックになっているので、ひとつのリモコンに統合する。ほぼ、思った通りになったかな。

 あとは、執筆、執筆。

2006年12月27日

暖かいなんてもんじゃない

 おいおい、気温20度だぜ。
 暖かいので2時間ほど散歩して最後にスーパーに行くと、野菜が値上がりしている。正月価格だ。ピーマンなどものによっては倍近い。
 安いのは白菜とキャベツ。

 改稿のイメージはかなり固まりつつあるので、〆切まで20日のラストスパート前の一区切りに年賀状でも書くか、と郵便局へ行ってインクジェット紙200枚。
 この時期でも売り切れていないなんて。
 昨年のが39枚残っていたので加えてシャッフル。
 正月早々、運のよい方には当たっても商品がもらえないハガキが届きます。
 すでに何度か実験済みなんだけど、実績として、古い年賀ハガキだと気づく人はほとんどいない。

 暖かいといっても夜は鍋を食べる程度には「涼しい」ので、つみれ鍋。
 年賀状の送付先選別、宛名印刷、本文の文案とデザインで夜が明ける。
 個人事業主なので、仕事関係への挨拶は定期的にしないとね。

2006年12月25日

忘れ物はゆず胡椒

 追い込み。いや、年末だからじゃなくて〆切だから。

 体調を調整しながら心を盛り上げる。
 オリンピック選手みたいな感じ。(て、オリンピックアスリートをやったことないけど)
 カラダと向き合って対話している。

 昨日、ヨットで少し身体を動かしたので、肉体も上向いてきているけど、まだまだ。
 今日は、忘れ物(ポン酢とゆず胡椒)を取りに自転車でヨットハーバーまで。車でも自転車でも最短距離では片道30分くらい。

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 帰りは遠回りして、本牧を通り、山下公園経由で。
 マリンタワーと氷川丸の営業最終日で、大勢並んでいる。そんなあたりを時々止まって写真撮ったりしながら、往復2時間ほどの運動。

 帰ってきたら、amazon の中古で買った太極拳のDVDが届いていたので、居間でやったら身体が温まった。

 現在、ダイエット中で、一週間で約1キロ落としました。
 30日にはフットサルもやるので、ベスト体重に近づけておきたい。ダイエット食品も慣れたけど、脳はかなりカロリーを要求するので、昼食を170Kcalに抑えたら、夕方、強烈な眠気。低血糖症状みたい。
 というわけで、夕食はガッツリ食べる。
 今日のカロリー摂取は、1400Kcalくらいのはずだから、基礎代謝以下。

 深夜、小説の構成についてああでもないこうでもない。

2006年12月24日

ヨット納め

 横浜駅でゲストをピックアップしてヨットへ。
 ハーバーで、仲良くしているレース艇のオーナーMさんがひとりだったので、我が艇に合流。
 八景島で鍋。夏頃もらった白ワイン。まあ、飲めた。(笑)
 いつもそうだけど、帰りは寒くなる。
 これで年内、ヨットも乗り納め。

 一応クリスマスなので、夜は、久々にフレンチワインを開ける。
 ふだん新世界とかイタリアあたりのワインを飲むのがほとんどなので、「ああ、フランスのワインってこんなかんじだったね」と思い出す。

2006年12月22日

スプマンテ

 妻が年内の仕事を終えて帰宅。
 慰労のため、ローストビーフとスプマンテ(フランスのシャパンに相当するイタリアのスパークリングワイン)で乾杯。

2006年12月21日

老夫婦のような一日

 事務的な用事のために二時間睡眠で午前11時半に起床。
 西口で用事を済ませたのが午後二時半。
 夫婦して地下街の狭い店で「きしめん」を食べる。窮屈だが味はよし。味はよいが窮屈で豊かな気持ちにならないとも言える。
 家にもどろうと東口「そごう」に入ったところで、ふと「とらや」の茶寮があるのを思い出し、「季節の羊羹と抹茶グラッセ」。
 抹茶も羊羹も実に上品な味。文化の香りだなあ。
(抹茶グラッセというのは、ようするに抹茶を点てて氷に上に注いだもの)
 店員もいい感じだし、客たちもみな上品。実は、この茶寮は穴場なのだ。
 無料で出てくる麦茶も、煎茶も、これまたとても美味しいのですね。
 きしめんのあと、純和風の小さな贅沢。
「老夫婦のようだね」
 などといいながら、過ごした時間だった。

 帰宅後は、籠もって原稿書き。まだまだ集中力は出ず、なぞっている感じだけど、予感としてはもう少ししたら「来る」と思う。

 翌午前4時、早めに(笑)就寝。

Canon LBP3410 レーザープリンタ

 Canon LBP3410 が我が家に登場。
 ネットワーク対応だし、速いし、両面印刷対応。
(ブラザーの廉価版はお役ご免)

 両面印刷は推敲するのに外へ持ち出すとき、重さが半分いになって助かる。

 ただし、A4用紙横の設定で縦書き、というレイアウトで印刷すると、上綴じになっちゃう。ちょっとめくりにくいので、A4縦で縦書き2段組、あたりのフォーマットを作った方がいいかなと。

 最近、公募原稿を書かないので提出用に印刷することはほとんどなくなったけれど、推敲にはやっぱり印刷することが多い。

 家庭内LANがルーターの下にまたルーターとか、ルーター3台とHUB1台と、過去の行きがかり上、ちょっとややこしいので、設定に時間がかかっちまったい。
(たまにしかやらないことはすっかりやり方を忘れてる)

2006年12月18日

銀座のクラブ

 一件打合せを済ませて、推理作家協会ソフトボール同好会の忘年会へ。
 一次会の会場である銀座の居酒屋にて25名ほど。定刻に到着すると、まだ数名。某店のママ(着物)と従業員A(サンタクロース姿)もいる。
 会費6000円。居酒屋にしてはいいお値段だけど、まあ、社交ですから。

 10分ほどの間にほとんど揃い乾杯。発声は剛爺こと逢坂剛さん。
 喫煙席だとY氏とT書店M編集女史が近くになるとほぼ決まっている。周囲もほぼ編集者。
 あとはがやがやタダの飲み会。
 途中、成績発表と表彰。個人別成績表も配布される。僕は1日(3試合)しか出ていないので規定打席に達せず。10打数4安打の4割だけど、首位打者は8割打っているからこのまま4割でも中位だ。

 終了20分ほど前になって、対角線上を移動してA嬢がとなりにやってくる。いままであまり話をしたことがなかったのだけれど、来年から就職なのであと三日で店を卒業とのことで、「最後だからお店に来て」とじっと目を見て言われると断れない。(笑)
 銀座の街をサンタの格好をして居酒屋までやってきているわけだし。
 実は彼女は本当の意味でちゃんとした銀座の女ではない。気の配り方も全然なってない。まあ、けれど、そういう素のところがソフトボール仲間と考えれば悪くはないわけで、みんなに可愛がられている。
 で、僕を1名新規獲得すると、当然、他の常連さんたちをも軒並み押さえにかかる。なんと都合15名ほど獲得。打率6割。たいしたもんである。(残りはおそらく麻雀へ行ったと思われる)

 しかし彼女には痛い失策があった。
 いざ、一次会の店を出てそこから店に電話を入れると、3席しか空いていないというのだ。(つまり、プロとして、彼女はもっと早い時期に人数を押さえて、ママに電話して席を空けておいてもらうべきだった、ということだ)
 残念ながら、彼女の営業努力は、最後の詰めの甘さで、一転して3名獲得(打率1割少々)という残念な結果になった。

 銀座遊びのマナーとしては、営業努力には報いるべし、という不文律があり(ほんとか)、ジェントルマンである推理作家3人は、A嬢の店へ。

 僕を含めた残りは、漁夫の利を得た形のD店へ。
 超有名な料亭Kのあるビルの3Fのその店の扉をくぐると、こちらは客はだれもいなくて、女性たち7人ほどがみんなミニスカートのサンタクロース姿。おいおい、ここは銀座だ錦糸町じゃないんだ、と思わないでもないが(笑)、まあ、お祭りですから。
 女性たちもサンタ姿は今日が初日ということで、着慣れていなくて恥ずかしがっている。この店に来るのは初めてだが、ふだんから、そういう露出度の店ではないことだけは確か。

 さて、わいわい飲みながらも、取材に入ってしまうのは小説家の性。
 自然に、女性たちの働きぶり、気配りのようすなどの観察に入る。
 タバコをとって口にもっていくまでにちゃんと脇からライターが出てくるか、その動きがスムーズであるか、飲み物への気配り、話への割り込み方、テーブル全体のようすを把握できているか、入れ替わりのタイミング、新しく他の客がきたときの対応、席の外し方、トイレから出てきたときのおしぼりの出し方、など。個人プレーもチームプレーもどちらも重要。
 このD店の女性たちは完璧な銀座の女である。
 居酒屋の一次会に営業に来るという努力をしていたA嬢もカワイイしがんばっているけれど、ちょっとプロとして格が違う感じ。
(今週のミニスカサンタの衣装をのぞけば)D店はさすが銀座。
 飲み物は単なるウィスキーの水割りで、どうということのないオードブルしか出ないけれど、客はこの従業員のホスピタリティにお金を払うわけだ。
 もちろん、それぞれタイプはちがうがみんな美人だしスタイルもすばらしいけれど、それはある意味で最低限の資質であって、それだけで銀座の女にはなれない。
 ホテルオークラの接客もすばらしいけれど、やっぱり銀座のクラブもすばらしい。こういう「いい仕事」を見ていると、それだけでこちらも豊かな気持ちになる。
 だからといって、馬鹿話をして酒を飲んでいるだけなんだけどね。

 午後10時前、別の店の従業員であるさっきのA嬢が3名を連れてD店にやってくる。一応、3名はA嬢の顔を立てた上で、みなに合流というわけ。A嬢の方は、自分の店を中座してD店に「わたしがお客さんを連れてきた」という形をつくる。
 しばらく飲んでA嬢は店にもどる。
 午後10時過ぎ、K氏とY氏が先に帰る。
 まちがいなくA嬢の店へ行ったはず。あうんの呼吸である。(営業努力には報いるべし、「顔を立てる」という遊び方)
 この時点でA嬢の打率は2割に回復したはずだ。
 このあたりの不文律をみなが守って遊んでいるあたり、お茶の作法のようで感動的だ。銀座は客も一流でなくてはならない。

 さて、こちらは執筆追い込み中だから、電車のあるうちに帰らなくてはならない。こういうのを文字通り「野暮用」という。
 ここで問題は会計をどうすればいいのか。なにしろ、推理作家協会の会合から流れて銀座の店へ来たのは初めてなので、こちらは誰が金を出すしきたりになっているのか、このグループの不文律がわかっていない。
 だからといって「先に帰りますからいくらでしょうか」などと言ってその場で金のやりとりをするなんて野暮なことは、いやしくもこの店ではできない。
 思案の末、カウンターの方でM女史が従業員と話しているのを確認して、トイレに立ち、帰りにおしぼりを受け取りながら、彼女にそっと耳打ちして聞く。
「ここは出版社の方で割ってもちますから、そのかわり、お店の方にまたきてあげてください」
 これまた美しい答え。男前なべらんめえ女性編集者だがみごとだ。タダで飲んだ分を別の機会に改めて使えというわけだ。金は天下の回りもの。
(彼女は、お店に推理作家協会の会合の予定などを教えたりもしていて、その情報によって、ホテルであろうと居酒屋であろうと、協会のパーティには「銀座のおねえさん」たちがいつのまにか混じっているわけだ)
 さて、店には、K書店、T書店、B秋、K社、などが揃っている。心おきなく会計は確認できた不文律にまかせることにする。彼らが使った金の元を取りたければ、僕に執筆依頼をすればいいわけだ。(笑)

 ヨットに乗っていて、何も言わずともメンバーみんなが動いてスムーズに船が動いたときの快感はなにものにも代えがたいけれど、銀座遊びもそれにとてもにている。

 もう少し本が出ないと、自腹でたびたび銀座遊びをするというわけにはいかないけれど、今夜は「美しい日本の文化」に触れた夜だった。
 どっちにしても、接待とか奢りとか、他人の金で銀座で遊ぶということ自体、ほんとうは野暮なんだよな。遊びは自腹でするべきこと。

2006年12月17日

ヨットもお休み

 メンバーが揃わず、ひとりで船を出すほど熱意もないので、ヨットはお休み。
 昼過ぎに起きてきて、自転車で外出。部屋でストレッチ。
 ゆっくりでも体調を回復させなくては。30日にはフットサルだから。

2006年12月16日

近所の飲み屋の忘年会

 近所の飲み屋の常連の忘年会。

 ふだん食事を出さない店なので、食べ物はみなの持ち寄り。
 僕は、小岩井のスモークチーズ、いかの塩辛、イワシの薩摩揚げ、をもっていきました。

 定刻の6時に遅れて到着すると、すでに常連さんたちがほぼ勢揃い。カラオケの入るスナックというのは本来完全に僕の守備範囲の外なんだけど、この店は、普通の会社員との接点として大切にしている。
 年代もちょうど定年後か団塊の世代の人たちが中心。
 みなひとかどの仕事をして、定年になっていたり定年間際だったりの人が多い。僕は若輩者で小説家という珍しい職業なので、可愛がってもらっている。行き始めて十年くらいにはなるが、一月に一度行くか行かないか。ありがたいことにそれでも常連扱いしてもらっている。

 会社員だった頃、割と出世が早くてプロジェクトも社長直属みたいなものだった。その社長にしても僕より若かったから、僕には年長者に可愛がってもらう、という経験に乏しい。なので、この店の人間関係はとても新鮮。
 団塊の世代とかその上といえば、高度成長の担い手であると同時に、今の日本の駄目な部分を作った世代(笑)なんだけど、たまたまここのお客さんたちは、擦れていないし優秀だった人たちで、気持ちよくつきあえる。
 優秀な人のもつ余裕とか、優秀な人の純粋さとか、サラリーマンという言葉にあまり含まれないと思われがちなキャラクタをもっている人たち。 とにかく、この店には愚痴を言う客がいないのだ。(そのかわりにチイママが毒舌全開だったりして、それをみんなニコニコしながら聞いている)

 僕はカラオケが好きではないので、そもそもカラオケのある店には入らないけど、その僕がこの店だけでは年に何回かカラオケを唄う。
 本日は、「雨上がりの夜空に」(RCサクセション)と「長崎は今日も雨だった」(内山田宏とクールファイブ)。
 タイトルからすれば逆の順番の方がよかったかな。(笑)

 これ以上いらないというほど、生ウニを食べ、極上の大トロを4切も食べ、カニも食べた。全部、参加者の持ち寄り。僕がもっていったのは質素なものばかりだから、エビ鯛ってやつだ。(エビですらないか)
 それでさんざん飲んで3400円でした。

 10時半で辞去して、酒を冷ましてから仕事。翌午前八時過ぎ就寝。

2006年12月15日

自転車

 身体が重い。いや、測定すると実際に体重が増えている。
 お風呂マット上のヒップホップダンスだけでは骨格筋率が上がらないので、自転車で外へ。
 といっても、買い物を兼ねて。
「セキチュウ」でボディーソープとか。

 あとは、地味ぃに仕事。

2006年12月14日

エンジンがかからない

 いまひとつ集中力が足らない。
 まあ、少しずつでも手を動かしていると、頭も動いてくるはず。

2006年12月13日

国立競技場とゴールデン街

 友人のつてで FIFA Club World Cup の準決勝を観戦に。
 腹ごしらえに吉野家の牛丼が食べたくなり、わざわざ代々木で途中下車。(代々木駅は改札から吉野家までが至近距離)
 ところが、行ってみると牛丼は午前11時から午後3時までしか販売されていない。なあんだ。しかたがないのでならびの「かつや」でカツ丼を注文するも、店が人手不足で出てくるまでに15分。ううむ、これはファストフードではないな。というわけで、電車賃を130円余計に投じた牛丼作戦は不発に。

 さて、国立競技場のある千駄ヶ谷に早めについてカフェで仕事……のはずが、キックオフ2時間以上前だというのに駅前は人でいっぱい。
 なあるほど、東京体育館で「オレンジレンジ」のコンサートらしいのだ。
 かなりの雨の中、空いている店を求めて代々木方向へ10分ほど歩く。コンビニでカサの在庫をみるとまだ十分にあるし500円もするので、とりあえず買わずに出て、向かいのコーヒーショップに飛び込む。
 コーヒーが420円もするが、客は僕ひとりでゆっくり仕事ができた。
 待ち合わせの7時の10分前に店を出ると、雨は止んでいる。買わなくて正解。
 体育館の前で待ち合わせのKさんとそのお友達に合流。
 チケットはカテゴリー1の招待券。つまり18000円相当ということ。

 遠回りをさせられたのと荷物チェックで、席に着いたのは前半キックオフ直後。赤いユニフォームと白いユニフォームが戦っているのだが、どっちがどっちのチームだかわからない。
 1点目が入ったところで、そっちが「インテルナシオナル」だと判明。そうだったのか。僕ら3人は逆だと思って、意外にもブラジルが押されているではないか、なんて思っていた。
 それにしても、スコアボードに映像は映さなくてもいい。ずっとメンバー表を出しておいて欲しいのだけど。映像はゴールのリプレイのときだけでいい。

 終了後、しばらく出陣していなかった新宿ゴールデン街へ。
 なじみの店で飲んでいるところ、11時半ごろ、友人のダンサーがクラスの生徒さんを連れて合流。しばらく飲んだところで別の店へ移動して、お好み焼きを食べて、またもどり、またつづき。
 二人が帰った後、午前3時、歌舞伎町界隈の定点観測に出る。
 夕方の雨で出鼻をくじかれたのだろう、比較的人が少ない。
 歌舞伎町セントラルロードの24時間営業のマクドナルドへ。
 近くの席の大柄の黒人(会話からナイジェリア人だと判明)2名はいつもいるらしい。これも常連風のブラジル日系人のような感じの老人が男女数人、バラバラでいる。何をしている人だろう。
 午前4時を過ぎると勤務を終えたと思われる「おひとりさま」の男女を中心に、ほぼ店内が一杯になる。
 かなり眠いので、品川経由の始発で帰る。午前5時45分に帰宅すると、妻は徹夜で仕事中。まだ起きていた。
 しばし団欒してから就寝。爆睡。

2006年12月12日

立教大学と体脂肪計

 朝から立教大学へ。
 翻訳家でファッションコラムニストの実川元子さんの授業のお手伝い。女子大生8人ほどの前でインタビューを受けて話をする。
 終了後、学生街のお店でランチ。
 
 よいこはまっすぐ帰宅。
 amazon から、オムロン「カラダスキャン」が届く。体重、体脂肪率、内臓脂肪率、骨格筋率、基礎代謝、身体年齢、などが一挙に測定できるすぐれもの。(ヨドバシよりもかなり安かった)
 風呂場の脱衣所にあるアナログなヘルスメーターもついにお役ご免。最初に勤めた会社の上司が結婚祝いに送ってくれたものだけど、23年間、律儀に動いてくれました。
 よりいっそう体調管理に気をつけるぞ、という心構えで、妻への早めのクリスマスプレゼントという名目で、自分も使おうという魂胆。Je suis content.

 初回測定値は、とりあえず内緒。(笑)

 本日の「捨てキャン」
 椅子一脚、コピー機、布団2枚、プリンターなどを粗大ゴミに。

2006年12月11日

主夫的生活

 クリーニング屋へ寄ってから自動車修理工場に見積りをとりに。

 ついでに「コットンマム」で揚げ玉(100円)と蕎麦(3玉98円)をゲット。帰宅後、さっそく好物の「たぬきそば」を食べる。
 海老天蕎麦よりたぬき蕎麦が好きなので、心情的には「もし同じ値段で両方が食べられたら迷わずたぬき蕎麦」と答えるところなんだけど、貧乏性だから、実際にそういうシチュエーションになったら、食べたくもない海老天蕎麦なんか注文しちゃったりすると思う。(笑)
 でもでも、これだけはお願いしておきます。
 もし僕が死に至る病に侵され、病の床で「たぬき蕎麦が食べたい」と言ったら、勝手に気を利かせて天ぷら蕎麦をもってきたりしないでください。(誰に言ってるんだか)

 ところでコットンマム、「お買い得商品」として95円のレトルトカレーとか、3玉98円の茹で蕎麦とか、各種、廉価商品を織り交ぜる努力が始まっています。やっとまともなスーパーになってきたな。
 豊富な選択肢、新鮮な青果や鮮魚、といういままでの長所と廉価商品との両輪でいいスーパーになってきたと思う。
 しかし、いかんせん市場が狭い。
 月曜日午後4時で客は僕を含めて4人だけでした。

 その足で、今度は「プラザ栄光」(スーパー形式の乾物問屋)へ。
 コットンマムで95円のカレーよりもわずかにランクが上のレトルトが87円だったので、こちらを購入。(笑)
 夕食は、青椒牛肉、ふろふき大根、グリーンサラダ、かき玉の清まし汁。

 改稿プランの整理のため、編集者のコメントを書き出す。

2006年12月10日

なんと二ヶ月ぶりにヨットに乗る

 11時すぎに出航。
 ユニクロのあったか下着で完全防備。(笑)
 今日は女性クルーと僕だけ。 あとは中性クルーの自動操舵装置。
 出るときは意外に寒くなくて動くと暑いくらい。
 八景島で他の艇と合流して、それぞれの船に積んである期限切れ食品(笑)で昼食。

 帰りは合流した船からオッサン一名こちらへ移籍。
 走っているうちに日がかげるとどんどん寒くなる。やっぱり冬だなあ。
 片づけが終わるとあっという間に暗くなる。
(あれ、つるべ落としというのは秋の陽の形容だったっけ)

 ヨット協会のパーティやヨットレースの手伝いに行ったりはしていたけれど、原稿〆切があって、船を出すのは二ヶ月ぶりだった。
 来週から本格的に改稿に入るけれど、朝型を守ることができれば日曜日は乗ろうと思うんだけど、はたしてそれができるかどうか。

2006年12月08日

原点

 今日は12月8日。
 ジョンレノンの命日で、日米開戦の日。
 十余年前の日、高校の同級生を事故で失った。
 ばかな自損事故だった。
 だが、彼は僕の大切な友達だった。
 ふたつの大学、外交官試験、歯科医師国家試験。
 あまりにも長い勉強の時代とひきかえに、彼が得たものは、まもなく開業できる自分の診療所、モデル出身の美しい妻、お嬢さん学校にかよう愛娘、自分のためのポルシェ、妻のためのベンツ。
 30代半ばの彼の死のその時、僕は思った。得られるもの得られないもの。
 人生は突然終わる。明日は突然来なくなり、今日は突然過去になる。
 人生は長いとは限らない。
 やりたいことは今すぐにやれ。彼の死が語っていた。

 その時、僕は自分がいちばんやりたいことは何かを考えた。小説を書くことだと思った。
 それから10年以上が経ち、2005年の奇しくも同じ12月8日、僕の初めての小説の本が出版社を出ていった。

 この日は、僕の原点なのだ。
 だから、昨年と同じように今年も日記にこのことを書く。 何度でも。
 彼から譲り受けたビートルズのレコードがあったはずだが、どの一枚だったか、いまでは思い出せない。

 12月8日。
 理由は同じではないけれど、この日、涙を流す人が、世界中にたくさんいる。
 でも、ジョンなら言うだろう。
 毎日、世界のどこかでたくさんの人が不慮の死を遂げているんだ。
 それを思い浮かべてみてくれと。

2006年12月06日

リハビリの日(クマさんのお風呂マット)

 部屋でストレッチを30分くらいやっているとやがて飽きてしまう。
 有酸素運動も兼ねてダンスでもしてみようと。
 いまどき踊るならヒップホップだろうということで、ナップスターで検索したら Jay-Z というのがランキング上位にあったのでそれを選択。
 オリジナリティもあるし、音造りも悪くない。
 というわけで、時々、ふつうの屈伸体操にもどりながら1時間ほど踊る。

 ストレッチもダンスも床に「お風呂マット」を敷いてやるんだけど、一番安かったやつでなぜかクマさんの絵がついている。
 安物って、どうしてわざわざ手間をかけて安物っぽいデザインにするのだろう。こんなもの無地の方がずっといいのに。
(ちなみに我が家の風呂場には「お風呂マット」はありません)

 連載のエッセイを書いて送る。

2006年12月05日

生まれて初めてのマッサージ

 昨晩、捨てキャンで雑誌を廃棄するときに腰をズキっと痛めてしまった。
 たいしたことはない。しかし、太極拳終了後はいつも腰が痛くなるので、最初から腰が痛いのでは到底できない。
 というわけで、10回コースの太極拳はあえなく尻切れトンボになってしまった。
(来週が最終回だが、用事があって参加できない)

 午前中、リハビリのため入浴。

 思い切ってマッサージを受けてみることにする。
 だいたい、こういう施設は女性向けにできているので、男でも入っていいのかなあ、なんてのが最大の障壁。

 横浜ベイクオーターのカラダファクトリーというのが家から近くてまあ、入りやすそうでもあったので、勇気を出して飛び込んでみた。
 アメリカで知り合った韓国のジャーナリスト(多分僕の女性の友人の中ではいちばん若い)にそっくりなSさんという若い女性がやってくれたのだけれど、こちらが場慣れしていないのでしっかり注文が出せない。
 ちょっと力が弱かったかなあ。
 でも、やってもらっているうちは気持ちよかった。
 効果のほどは家に帰って1時間ぐらいしたら、元の木阿弥みたいな感じ。
 5250円で50分の快楽だと思えばそれまでだけど、コストパフォーマンス的にはもうちょっと効果が持続して欲しいなあ。

 というわけで、こういう癒し系産業はお金とヒマがあれば楽しいのだろうと納得。
 酒を飲んで5000円使うよりも健康的ではありますが、きわめて刹那的な快楽なのだなあ。

 本日の「捨てキャン」は、雑誌書籍類60センチほど。
 ただし、腰痛のため、地下のゴミ捨て場までは運ばない。

2006年12月04日

編集者と打合せ

 午後2時、出版社編集長と打合せ。
 先月に提出した第一稿に対するフィードバック。
 物語性、カタルシスを高める仕掛け作りについての詰めなど、雑談含めて2時間ほど。
 第二稿の〆切を1月中旬とする。

 終了後、駅構内の行政サービスセンターで住民票。
 駅で、役所の窓口のかなりのことが済むのは本当に便利。

 コットンマムで買い物。
 野菜が新鮮で安いのがうれしい。
 調理パンがタイムセール(ようするにランチ向けの在庫の売り切り)で3個300円になったので、6個買いだめ。ここのベーカリーは安くて美味しい。
 コットンマムもスーパーとしてかなりこなれてきて、開店当初の気負いが抜けた感じで、使い勝手のいいお店になってきた感じ。
 それにしてもマーケット(商圏)が狭くて客が少ないのがかわいそう。
 いい店なんだけど、やっぱり市場に合っていないんだよなあ。
 みなとみらいから直通の橋が開通すれば、商圏は拡がるだろうけど、その頃にはみなとみらいにももう一軒スーパーができるので、なかなか前途多難だ。

 本日の「捨てキャン」
 雑誌や大型本30センチほど処分。
 その他、粗大ゴミ回収に電話をしたら、スキャナーや小型のコピー機など、50センチ以下のものは普通ゴミに出せばいいのだそうだ。へえ。
 というわけで、とりあえずスキャナーをゴミ置き場へ。

2006年12月03日

ヨット協会創立120周年

 午前中からみなとみらいにて、種々雑用。
 午後3時、いったん帰宅。

 午後6時、ホテル・ニューグランドにて、「横浜ヨット協会創立120周年記念式典&パーティ」。
 ドレスコードが決められているので、蝶ネクタイにカマーバンド。

 やっぱりニューグランドはいいね、という結論。

 ふだんならば、二次会へも行くところ、腰が痛いので、終了後は真っ直ぐに帰宅。
 服装こそパーティの格好だけれど、日曜日毎にハーバーで会っていっしょに飲み食いだべっている仲間たちだから、特に今晩余計に飲むと楽しいというわけでもない。いつもと同じように楽しいだけ。

 帰宅後は、「捨てキャン」
 粗大ゴミに出すものを7点選出。工具箱周辺の要らないもの、など処分。

2006年12月02日

床屋

 午前11時過ぎ、床屋へ。
 いったら3人ほど並んでいたけれど、イスの方もフル稼働で、12時過ぎには散髪完了。

 これからしばらくの間、毎日1-2時間、「家の物を捨てようキャンペーン」(略して「捨てキャン」)を実行しようと心に決める。
 手始めに書棚から雑誌50冊ぐらい処分。
 AVアンプや電子レンジなどの段ボール箱を潰して資源ゴミに。

 まったく酒を飲まない休肝日。

2006年12月01日

いやはや誕生日である

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 52回目の誕生日。いやあ、けっこうな歳ですな。(笑)
 知識も経験も増えているけど、やりたいことは18歳のころとあまり変わらない。

 午後、T出版社から電話。
 初稿のフィードバック。根幹のところOKということで、お互いにほっとした。
 来週早々に詰めの打合せ、ということで。

 ただいま2作同時進行で、それぞれいい感じになってきている。
 2006年は1作も出なかったけど、2007年は3作以上は出せそうだ。

 久々に、湯船に湯を張って入浴。旅の疲れをとる感じ。
 午後8時、「ウルフガング・パック」にて、妻とバースデーディナー。
 アメリカンレストランなので、ポーションが大きくて、お腹一杯だ。

 午前0時過ぎ、就寝。仕事をしない日。

(写真は沖縄の鼓響館で宮永英一のドラムとセッション中のところ)

2006年11月30日

沖縄7日目

 午前9時前、自然に目覚める。
 とりあえずバス停まで行って空港行きのバスの時刻を調べる。
 那覇地域に「ゆいレール」(モノレール)開通したせいで、コザから高速道路経由で空港へ行くバス路線がなくなっている。これは不便。

 部屋にもどってコーヒーだけ飲む。
 同宿者はいつのまにか若い女性4人になっている。彼女たちは昨日宜野湾であったという全員オレンジレンジのライブを聴きに来たらしい。
 僕はオレンジレンジの顔も歌も知らないのだけれど、コザ出身の彼らは地元でのライブを定期的にやっている。次は大晦日。前述のプロデューサーT氏はもちろんその関係者である。

 午前10時過ぎ、チェックアウト。
 午前10時20分ごろ胡屋からバスに乗る。午前11時10分、那覇の沖縄県庁前で下車。
 那覇国際通りの基点にある「パレット久茂地」1階のモスバーガーでブランチ。
 翻訳家Nさんの沖縄の仕事場が近くにあるはずだが、今回はニアミスのみ。
 11時45分、ゆいレールで空港へ向かう。
 ホームへ出るとちょうど空港行きが停車していて、窓から顔を出していた運転士はなんとすごく華奢な安室奈美恵顔の女性。かっこいい!
(安室奈美恵は別に好きじゃないけどさ)

(そういえば、先日、自宅に宅急便を届けに来たのもアイドル風の女の子だったなあ)

 売店で「さーたあんだぎー」を買って機上の人となる。

2006年11月29日

沖縄6日目

 午前9時頃起床。
 お、今日の朝食は、ポーク(SPAM)とトーストだ。

 室内で21度。時々雨がぱらつく、肌寒い天気。
 午前中、体調のチェックを兼ねて1時間ほどジョギング。小説にも登場する歓楽街「中の町」の朝のようすなどを確認。
 小説を書くというのはそこに居る人の生活を書くことでもあるので、朝昼夜週末平日雨晴れ曇りのようすを知りたくなるわけだ。

 ジョギングしてみると身体は重くて固く、筋肉も循環器系も、やはりあまり調子がよくない。
 小雨の中、屋上でストレッチするが、それもあまり強くはできない感じ。
 精神状態はいいがフィジカルコンディションはよくない。マッサージでも受けたいなあ。

 昼食はコザ食堂で沖縄ソバ(400円)。ソバの味はそこそこなんだけど、ここのオバちゃんがいい味出している。前回、サイフを忘れたせいだろう。ちゃんと僕の顔を覚えてくれていた。この手は使えるなあ。(笑)
 町で楽しく暮らすコツは町の人に顔を覚えてもらうことだけど、黙って5回通うより、1回目でサイフ忘れればすぐに覚えてもらえるわけだ。
(ただし、「またくるよ」と行って別れて、ちゃんとすぐにもう一度行くこと)

 コザクラでLANを借りてメールの読み書き。帰る頃になると仕事関連でいろいろなメールが入ってくる。

 夕食はリンリンでトンカツ定食(ボリュームたっぷり600円)を食べていると、イベントプロデューサーで観光協会副会長のTさんが入ってきて、横浜のイベントについて話をする。
 リンリンで食事をするのもこれが最後。オーナー夫婦と握手して別れる。

 まだ飲み始めるには時間が早いので宿に戻って執筆。

 午後8時ごろ、コザクラへ。
 店の常連である地元の医師と、医療システム、とりわけ医療関係者の労働環境について。
 某ホテル専務Mがまたしてもやってきて観光産業について。
 そこへコンテスト受賞5回の琉球紅型染・金城宏次(37)が合流。
(金城宏次は1月の出版記念パーティの引き出物の作者)
 酒を控えるため午後10時まではコーヒーを飲んでいたのだけれど、そこからビールと島酒2杯。(宏次のおごり)
 宏次は5月に東京に来たときに連れて行った新宿ゴールデン街がいたく気に入ったらしく、また東京にいったら行きたいと連呼。

 午後1時、宏次とゲート通りへ出たら水漏れで営業していなかったPEGが開いている。
 照喜名薫はホテルでのライブを終えてもどってきて店を開けたばかりだった。
 雨が降って寒いコザの町の人通りは少なく、他に客はいない。
 というわけで、ロックギタリストと革新的伝統工芸作家と駆け出し推理作家の3人で作品作り談義。(最初はエロ話してたはずなんだけど、どこからそうなったんだろう)
 ビールと島酒1杯。(これも宏次のおごり)
 午前3時、宏次はSHUNに移動していき、午前4時まで、ギター談義。
 コザ最後の夜、雨は上がっていた。

2006年11月28日

沖縄5日目

 午前8時すぎ起床。

 昼食はミッキー食堂、ふーちゃんぷる。(500円)
 野菜がたくさん入っているのでがんばって完食。

 屋上で少しストレッチ。身体が重いなあ。

 午後7時、カフェバー・コザクラにてFMコザのラジオ番組「エロかしましコザクラ」の収録。ゲストで参加。
 一緒に参加したのは玉城満さん(笑築過激団座長 沖縄市民小劇場あしびなー館長)、ロックの歌姫リーミーさん他。
 20分3本。Pod Cast でも配信されるらしい。
 終了後、入れ替わりに音楽プロデューサーのTさん、某ホテル専務Mさんが来て、地域振興のあれやこれやについてゆんたく。
 収録中の島酒(二杯)はギャラ代わりということでご馳走になり、生ビールとガーリックポテト(味も量もGOOD)と追加の島酒で1300円。

 午後10時半、オーシャンへ。
 ギタリストのタラちゃんと大型免許再取得中のKさん(ふたりとも『覇権の標的』の読者でもある)、それに店主のシンガーソングライターのヤッシーとでゆんたく。
 カウンターのふたりが帰り、僕はたったっひとりの客。閉店時間過ぎて0時過ぎまであれやこれや。島酒300円。

 午前1時前には部屋にもどっていた。コザ旅行中、最も早い帰宅。それにしても飲み屋滞在時間5時間で、いちばん短いコザの暮らしって……。(笑)
 まあ、それが旅の目的である芸の肥やしだから、ここでしかできないことはきっちりしておかないと。

 でも酒は最小限にしよう。

2006年11月27日

沖縄4日目

 午前9時すぎ起床。
 目覚ましもかけたのだが、そのまえにジェット戦闘機の騒音で目覚めた。
 まごうことなき米軍基地の町。僕のいる部屋は基地のゲートまで歩いて5分だ。
 ジェット機の音をバックに、三線の音。
 コザに滞在するのは4度目で滞在日数合計20日以上になる。ずっと基地の近くにいるわけだけど、かなりの轟音でも基地の騒音を不快に思うことはほとんどない。町にふつうに兵隊がいて、彼らの日常とこちらの日常とが共存しているし、交流もある。すでにアメリカの兵隊はこの町の住人という感じがする。いて欲しくない人々ではなく、コミュニティの一員だと感じる。
 所詮、僕が短期の滞在者だからなのかもしれない。軽々しくこういうことを言うべきではないかもしれない。地域の事情、個人の事情はさまざまでひとことでは語れない。
 しかし、少なくとも基地があることでこのコザという町が輝きをもっていることだけは確かなのだ。経済だけでなく、独特の文化ができてこの町を文化的にも豊かにした。
 この町の文化は日本中に誇ることができる。戦後60年かかって、アメリカと沖縄が接触してできた素晴らしい文化。

 朝起きて午前11時までに、ジェット機の音がしたのは50回以上。三線の音もずっとしている。どちらもこの町の音だ。
 僕じゃなくて選択は当事者である沖縄の人が決めることだけれど、嘉手納基地がなくなってしまったら、コザという町に限っていえば、ここがお金も魅力もない町になることだけは確かだと思う。
 人を殺す道具である灰色の戦闘機の映像をテレビで見るとゴロゴロジャリジャリと口に中に違和感を覚えるけれど、この町の路上に立って酔っぱらって天衣無縫(英語で言えば crazy )に楽しんでいる兵隊をみれば、むしろ彼らを可愛いと思うし、同じ人間だと感じる。
 軍隊は固い武器の塊であると同時に、やわらかい人間の塊でもある。どちらを見るかで見え方はまるでちがう。
 たしかに、琉球王朝から現代にいたるまで沖縄には屈辱的歴史もあった。日本からもアメリカからも、沖縄はひどい扱いを受けた。
 けれど、どっこい沖縄の人だってたくましい。交わるところは交わり、自分たちを失わず、ちゃんと米軍基地という「環境」を自分のものにしている。
 本土の人が新聞やテレビで見聞きして想像するように、騒音に耳を塞いでじっと苦痛を堪え忍んでいるわけじゃないし、米軍が落とすお金にへつらっているわけでもないさあ。
(マクロには沖縄は「援助」「補償」に大きく依存しているのだけれど)

 昼食はミッキー食堂でタコライス。(500円)
 ミッキー食堂は以前はゲート通りの胡屋十字路近くにあり、カウンターの高さもアメリカサイズだったけれど、交差点付近の再開発で中央パークアベニューに移った。量はあいかわらずアメリカンだけれど椅子の高さはジャパニーズにかわった。

 デイゴホテルで入浴。(500円)
 夕食はリンリンで沖縄ソバ。(500円)

 午後8時に目がけてうるま市にある宮永英一の「鼓響館」へ。(バス代250円)
 一年ぶりにCHIBIに会う。
 オキナワンロックに関するテレビ番組をビデオで見たり、彼がプロデュースした城跡でのライブの映像を見たり。
 他にいたお客さんの迷惑も顧みず(笑)持参したギターをもって宮永英一とセッション。というとカッコイイが、まあ、音を合わせて遊んでもらった、ということ。
 宮永英一といえば、80年代、日本のロックの最高峰として君臨し一世を風靡したバンド「紫」のドラマー。彼のドラムをバックにギターを弾いて歌ったというのは、たとえていうならNHK交響楽団をバックにピアノコンチェルトを弾いたようなものである。(いやマジで)
 僕の演奏は根っからボロボロで、勢いだけで楽しませてもらったのだけれど、こちらがご迷惑をおかけした他のお客さんから飲み代を奢って戴く、というとんでもないオマケまでついて、恐縮至極。(したがって飲み代はタダ)
 あとはいつものことだが、音楽について、ロックについて、沖縄について、宮永英一、語る語る。(笑)

 午前1時頃、タクシーで胡屋十字路までもどる。(1410円)
 また中の町の「SHUN」へ行くと、思った通り、琉球紅型染の金城宏次がいた。昼間電話して、水曜あたりに飲みましょうね、と話していたのだが、実はそれ以前にどこかの飲み屋で会えるだろうと思っていた。
 コザでは僕はお釈迦様のように、誰がどこで飲んでいるかわかってしまうのである。(笑)
 アルコールを控えているのでビールだけ。(お通し込み800円)
 7時間飲み屋にいたけど、なんとかジョッキ二杯だけで切り抜けた休肝日(?)であった。

2006年11月26日

沖縄3日目

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 正午前に起床。
 朝食はコーヒーとドーナツにゆで卵。(宿についている朝食で無料)
 天気がよいので、とりあえず洗濯。
 そういえば太陽の下に洗濯物を干すのは久しぶりだ。(自宅は高層マンションなので、風が強すぎて外に洗濯物は干せない。全部片側に余ってしまうし、風になびいてコンクリートの外壁に触れて汚れてしまう)

 今日は、ゲート通りで「ゲート#2フェスタ」だ。
 実はイベントがあるとは知らずにやってきたので、昼間の執筆時間がとられてしまうけど、町のイベントは小説のヒントに満ちているので、取材して回らないわけにはいかない。
 準備のようすなどを写真に撮りに行くと、知り合いの人たちがたくさん働いている。ようするに、僕のコザの知り合いはミュージシャン系か地元商店会系なので、あたりを歩くと知り合いだらけというわけ。横浜にいてもこんなに頻繁に知り合いに会うことはないぞ。
 リンリンのオーナー夫婦も屋台を出している。
 開店準備前ということで、生ビールをご馳走になる。今日は酒を控えようと思っていたのだが、飲むとおいしい。(笑)

 12時になると交通規制が敷かれ、全国からこの日のために集まったものすごい数のハーレーダビッドソンだけが、制限区域に入ることができる。

 昼食はタイ屋台料理の「ソムチャイ」でスープ麺。
 非常にタイ風。タイにも行ったことがあるけれど、こういうタイ料理を食べて思い出すのは、僕の場合、やはりアメリカなのだ。
 シリコンバレーにひとりで行き来していたころ、アメリカ人に囲まれて時間を過ごし、普段とは異種の食べ物を口にする、なんともいえない「旅先の孤独感」のようなものが、実はけっこう好きだったりする。

 僕がコザが好きなのは、音楽、人との繋がり、そして同時に、どこか寂しい「旅らしさ」のようなものが、すべて内包されているからだと思う。
 楽ではないけど、自分の居場所を見つけて自分らしく生きている人たちがたくさんいて、自分の生き方を肯定されるようでもあるし、同時に自分の甘さを感じたりもする。
 どちらにしても人生には寂しさが必要だ、と僕は思う。

 いったん帰宅して沖縄の太陽を浴びてすっかり乾いた洗濯物を取り込む。

 午後4時過ぎ、ふたたびゲート通りに戻る。
 琉球大学のプロレス同好会のリング。
 沖縄そばや泡盛や焼きそばやたこ焼きを売っている屋台。
 ダンススクールの生徒による子どもたちのダンスパフォーマンス。
 アメリカ人によるエイサー。
 腕相撲大会。
 テントの中やPAブースに知り合いがいっぱい。地元の人が手弁当でイベントを造り上げているわけだ。
 屋台で泡盛200円。唐揚げとフライドポテト300円。
 しかし、連日の飲み過ぎで、泡盛は半分しか飲めなかった。

 嘉手納基地にいちばん近いステージで、Shima Gai's のライブを聴く。
 野外ステージに出て、楽しそうに演奏している。
(しかし彼らはプロなのにノーギャラなのだよ)

 暑さにバテ気味。部屋へ戻って休養。
 行く予定だったライブ2本(ダブルブッキング)をどちらも行かずに休む。

 午後10時、少し元気になったのでオーシャンへ。
 するとすると、なんとコザで知らぬ人はいないJETのドラムのコーちゃんがギターを弾いて歌っている。珍しい光景だ。ベーシストとアメリカ人の奥さん(マルチナ・ナブラチロワ風:実は前日の激マズ・キューバリブレをつくった人だ)もいる。
 店の常連のKさんに「おまえも歌え」と言われたが、聴衆がすごすぎるし、迷ったけどちょっと遠慮。
 しかしオーシャン、過去二年とは見違える盛況ぶり。パートナーに触発された(尻を叩かれたともいう)オーナーのヤッシーが「その気」になったらしいのだ。
 名物のタコス(1個なので正確にはタコ)とビール。(800円)

 午後11時すぎ。コザクラへ。
 知人がふたり、地域振興について熱く語っている。
 ビール500円。
(日記は旅の経費帳代わりなもんで、いちいち値段が書いてあります)
 ビールを飲み干したところで部屋にもどる。
 まったく飲まないわけにはいかないけど、いくらか肝臓を休ませることができたかな。

アメリカンバー


日本人、僕だけ。
ただいまサンタナ。
アメリカを懐かしく感じる不思議。
妙にほっとする。

2006年11月25日

沖縄2日目

 午前8時半起床。宿泊者に朝食。1時間ほど二度寝。
 昼はよいこで原稿書き。
 昼食はコザ食堂でカツ丼。玉城満さんの奥さんがゆんたくしていた。サイフをもっていくの忘れて、支払いの時にあわてて取りに帰る。

 夕食前にデイゴホテルの大浴場へ。(500円)
 県民体育大会のために宮古島代表で来ているという軟式テニスの選手と湯船でゆんたく。

 夕食に「リンリン」へ行くと、知り合いの商店街の人が年末イルミネーションの打合せをしている。
「3Dで完成予想図つくりたいんだけどできない?」
 おれは旅行者だっちゅうの。(笑)
(トーフちゃんぷるとビールで900円)

 午後9時、「コザクラ」にて投げ銭ライブ。
 出演は売り出し中の「タワタエミ」ちゃんと「Mr.スティービー」。
 MCが楽しくて紙のお金が