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2014年11月25日

解散総選挙

 参政権の行使は選挙にかかるという700億円というお金には代えられない価値があると思う。
 人権にうるさい人が「選挙に使う金がもったいない」というのを聞くと、その人の人権感覚はその程度なのかと思ってしまう。

 参政権というのは、民主主義で一番大事な権利なのだから、節約する場所はそこじゃない。
ひとりあたりランチ一回分で一回投票できるなら、一食抜いてもいいと僕は思う。

ましてや、さんざん自民党政権を批判している人が、政権を倒すチャンスが与えられるのに「解散けしからん」というのを聞くと、「なんだ批判したいだけで本当に政治を変えたいわけじゃないんだ」と思ってしまう。

いくら国会の周りでデモをしても、選挙をしなくちゃ、政権は倒せません。

2011年04月22日

反原発の敗北から

 原発の事故で多くの人の健康と心と財産が脅かされている。

 いままで、僕は原子力発電所を安全だと信じることが一度もできなかった。
 科学を学んだものとして、安全であればありがたいというわずかな期待を込めながら、いろいろ調べてきた。
 原子力を推進している機関に正式な質問状を出して回答をもらったりしても、やはり危険であるという結論は変わらなかった。

 何十年と危険だと思っていたのに、ついに大きな被害を出してしまった。
 結果的に、僕にとっていまの事態は「反原発運動の敗北」である。

 なぜ原子力発電所の建設と運用を止めることができなかったのか。

 地震が起きた日から、ずっと考えてきた。
 原発に反対する人の意見を毎日大量に見たり聞いたり読んだりしてきた。
 世の中でこれほど多くの人が危険について指摘し、運動をしてきたというのに、なぜ、原子力発電所がこれほどたくさんできてしまったのか、それを改めて考え続けた。

 当然ながら、原子力発電所は「エネルギーが大量に必要である」という前提から始まっている。
 その前提を疑うことなく、だから原子力発電所は必要なのだと言われ続け、その前提を崩すことができなかった。
 炭酸ガス排出がよくないというもう一つの前提がそれを補強した。
 そして、他の発電手段が技術的に、あるいは、経済的に不十分であるという前提が加えられた。
 原子力発電所は安全である、という絶対的な前提を基礎にして、推進されてきた。

改めて前提を並べてみよう。

1)電気エネルギーが大量に必要である
2)火力発電は炭酸ガスを排出することで環境を破壊する
  (石油石炭天然ガス資源の国際依存というリスクも存在する)
3)太陽光、風力、潮汐、地熱などによる発電は技術的に未熟で経済的にも成立しない
4)原子力発電は安全でクリーンである

 今回の事故によって、4)が成立しないことは明らかになった。
 仮に今回の事故を教訓に改善が為されたとしても、それで万全であると言い切ることは不可能だと僕は考えている。
 どんな事態を想定したところで、人の創造力は経験以上には膨らまず、原発事故の被害の及ぶ規模や年月からいって、経験したときにはもう後の祭りだ。
 想定できる人為的ミスについても同様だ。

 しかし、時間が経てば異なる見解も表明されるようになり、ふたたび原子力発電所の建設を推進しようという動きはでるだろう。

 絶対安全などということはあり得ないと考えるし、そもそも危険因子は自然災害や偶発的な事故だけでなく、テロや戦争など意図的な攻撃の標的となることを考えれば、安全であるはずがない。

 ミサイルや自爆航空機の衝突も十分あり得る。
 原子力発電所作業員や制御システムを運用する人間が故意に事故を起こそうとする可能性も否定できない。
 少数の悪意をすべて予測し、すべてに対策を取ることはそもそも不可能だ。

 そのような危惧は、新しいものではなく、ずっと表明され続けてきた。
 であるのに、原子力発電所は作られた。

 その事実を前提に考えると、安全性の議論とは別に、上記の、1-3をきとんと問い直さなくてはならない。

 安全であるという前提以外の、そもそもの原子力発電所建設の前提である1-3について、長期間、すべて問い直しつづけて、いま僕自身は、この前提自体があやまっていると考えている。
 これについては、時間を作って別の機会にできるだけきちんと述べたいと思う。

 それはそれとして、1-4のすべての前提が否定され、日本中にどれだけ原子力発電所建設反対の人が多かったとしても、我が国の社会システムにおいては、発電所を作りたいと思う少数の人が原発立地の少数の人と合意しさえすれば、原子力発電所の建設が可能なのである。
 あらゆる原子力発電所は、そのようなシステムの反映として建設されている。

 原子力発電所の建設に反対し、本当に建設を止めるためには、この点に注目しなければならない。

 いままで、僕を含め、原子力発電に反対する人は、主として建設の主体である電力会社や政府に対して議論を挑んできた。運動家たちの反対運動のターゲットも、電力会社や政府だった。
 しかし、たとえ彼らを論破しても原子力発電所は止まらない。
 実は原発を推進する意志を持つ人たちにとっては、反対運動をそこそこに受け流して、建設地とだけ話をすればよかったのだから。

 建設地の人たちが一枚岩で両手を挙げて賛成してきたわけではないことも知っている。原発の事故の責任が建設地の周辺の人々にあると責めるつもりもない。

 福島を始めとする原発立地には、その地域ごとの事情があり、結果として原発建設を受け入れる決断をする事情があった。
 つきつめれば経済の問題だ。
 雇用、税金、補助金、交付金、その他の通常の地元の経済、そうしたものに、原子力発電所を受け入れようとする本当の要因があった。

 原子力発電は一世代で背負うことができないほどに危険であり、やめなければならないと僕は思う。

 今後も引き続き、原発の建設や運用を阻止するためには、立地地域のそうした事情を原子力発電所以外の手段で解決する答を用意しなければならない。

 そうでなければ、日本のさまざまな地域で「背に腹は代えられぬ」と考える人たちがこれからも出るだろう。建設したい側の人たちは、その人たちにアプローチしてなんとか原子力発電所を動かそうとするだろう。

 以前も、現在も、多くの反原発の人がしているように、電力会社や政府に向けてだけ反原発運動をしても、原発は阻止できない。

 原子力発電に反対する人は、僕自身も含め、そのことを肝に銘じなければならないと思う。

 

2011年03月24日

国難

 水道の水に「乳児が飲むのに不適」という放射性ヨウ素が検出された。

 乳児がいない人が買い占めに走ると、乳児が飲む水がなくなって彼らを被爆させてしまう、という風に考えない人が、ごく一部とはいえけっこうな数いるのだということがあからさまになって、暗い気持ちになる。

 僕はずっと原発に反対してきたし、先の選挙で民主党に投票していないし、そもそも政治的権力がウソやごまかしに満ちているということも知っている。
 だけど、いまは政府の批判はしない。

 若い人はともかく、56歳まで選挙権を持って生きてきて、こういう国になっていることに、僕は責任を感じている。
 僕の望んだ政府であったことが一度もなくても、民主主義の中に生きている僕が、56年かけてこんな国しか作ることができなかったのは、紛れもなく僕自身の責任でもあるのだ。
 僕だけの責任ではないにしても。

 たとえ、政府の発表する放射線量がウソで、その結果、僕が被爆して命を縮めたとしても、僕はそれを自分の為したことの結果として受け入れる。
 (むろん、僕自身の判断がきとんとした根拠をもってできれば、それに従って行動するけれど)

 日本が落ち着きを取り戻したら、この国の政府を批判もするし、どうしてこういう国になってしまったのか、多くの人と話をしながら考えていきたいと思う。

 けれど、いま、政府の批判はしない。
(たぶん、愚痴は言うと思うけど(笑))

 むしろ、どうしたらいいのか、多くの人の語ることに耳を傾け、時に意見を述べ、いまでなければ考えることのできないことを考え、自分よりも過酷な人生を送っている人のために何ができるか考え、そして行動したいと思う。

 自分にはまるで責任がないと被害者面をして、あるいはまるで第三者のように、声高に批判を述べるだけの人を、いったん、遠ざけて見てみる。

 日本は民主主義国家だ。
 日本国政府は日本国民すべてが、選び、雇い入れた、僕(しもべ)だ。
 使用人がしでかしたことは雇い主の責任だ。
 日本で、選挙権を持っている人は、誰ひとり、その責任から逃れることはできない。
 いま、政府をどれだけ批判しようと、誰ひとり、免責にはならないのだ。

 この国のオーナーは国民である。
 すべての問題は我々自身の中にある。

 だから、これからもずっと、考え続ける。僕なりのやり方で行動しつづける。

2010年08月06日

エノラゲイの乗組員

論評せず、まず、見る聞く。
そしてずっとずっと考える。

少なくとも彼を非難するのは正しくない。
戦争では、勝者も被害者である。

生存する最後のエノラゲイ乗組員へのインタビュー(英語)


2010年06月27日

歌舞伎町定点観測

 ライブが終わった午後9時過ぎ、久しぶりにあった古い友人女子2名とゴールデン街近くの焼き鳥「花梨」で飲む。
 午後11時、ゴールデン街"April Fool"へ。
 ゴールデン街も半年ぶりくらいかなあ。
 夜明かしをするのは、「フェイク・ゲーム」の取材のために歌舞伎町のいくつかのポイントで定点観測をしていた頃以来だから、2年以上前になるかな。
 午前2時過ぎ、ぽつりぽつりと雨の降る中、歌舞伎町一番街の李小牧さんの店「湖南菜館」へ。
 あまりおなかが空いていないので、湖南チャーハンとアイスウーロン茶。美味しかった。
 李さんは明日横浜にダライラマの講演を聴きに行くのだという。
 その間、奥さんと子供さんの遊び場所について相談に乗る。
「電車動くまでテレビを見ていけばいいじゃない」
 李さんの言葉を後に、午前3時過ぎ、店を出る。

 少し遠回りをしながら、次の定点観測へ。
 一時期減っていたナイジェリア人の客引きが増えている。
 不景気のせいなのだろうか。(根拠はない)

 24時間やっている Cafe AYA。
 深夜料金380円のコーヒーを頼んで、店の中の様子を観察。

 外にいたナイジェリア人が、一番外側の席に座っていた女性に窓越しにサインを出している。
 腕にタトゥーをしているその女性は、ドア口まで出ていく。
 やがて、黒人と店内に戻ってくる。
 二人は初対面のもよう。
 英語で話をしている。
 ユア ソー セクシー、とかなんとか。
 男は携帯の番号を教えている。プリペイドだそうだ。女の子には彼氏がいて、ホストをやっているのだと。
 臆せず、そこそこの英語を話す女の子。
 10分ほど話をしたかと思うと、テーブル越しにキスとして男は出ていく。

 女の子、それほど美人ではないけど、つけまつげが長い。風俗か水商売。肌がきれいで少し上気しているので、おそらく風俗だと思われる。
(風俗産業では顔の造作より、肌のきれいさが求められるのだそうなので)

 午前3時半、入口の外でホスト風の男と手を振って分かれた女性が店に入ってくる。
 始発を待つ女性の一人客は、ほどんどがこの町のどこかで働いている人。

 午前4時少し前、キャバ嬢風女子2名に、ホスト風の男子3名がやってくる。この子たち、すっぴんで会ったら、まったくわからないだろう。

 同時刻、このシーンで最初に登場した女子の携帯にメールが入る。だがホストの彼は現れない。必死で返事を書いている形相が次第に厳しくなっていく

 午前4時10分。彼女は水をもらいに行ったかえりに僕のテーブルにごくわずか身体を当てる。
「すみません」と彼女から自然にやわらかい言葉が出てきた。

 まもなく、彼女の携帯にメールがか届く。

 その後も「ホスト+若い女性」の組み合わせは繰り返し出入り。
 キャバや風俗で稼いでホストに貢ぐ、というパターンはほんとに多い。

 そこから先、今晩の登場人物にどのようなプロファイリングをしたか、というのは、小説のネタにかかわるので、ここには書かない。

 午前6時前、自宅に到着

2009年10月27日

鳩山総理大臣の所信表明演説

 鳩山総理大臣所信表明演説の最後の一文。
「ぜひとも一緒に、新しい日本をつくっていこうではありませんか。」

 これが民主主義の基本ですね。
 政治家が、こういう当たり前のことを言うことが実に少ない。

 民主党政権について、政策については賛成できかねることがたくさんあるけれど、とりあえず、この一点で、鳩山所信表明を評価しておきたいと思います。

 僕の知る限り、合衆国大統領は、つねに we を主語にして語ります。

 具体的なことは別途法案として編み上げていくべきことですが、政治には、まず第一に理想が必要。
 理想が現実からどんなに遠くても、理想は高くなくてはいけないし、その距離があるからこそ、どういう筋道をつくっていくかが重要になる。理想があってこそ。順序というものを考えることができる。

 日本をつくるのは、政治家でも官僚でもなく、国民であるのに、一緒に作るという政治家が少なく、自分が国を作るときちんと意識している国民も少ない、という日本の民主主義。

 少しでもよくなるといいですね。

2009年01月21日

オバマ大統領就任演説

 昨夜は、起きて生中継をみていたけれど、同時通訳でよくわからなかったので、英語で聞き直しました。
 
 http://www.asahi.com/international/090121douga.html

大雑把に言って、
「いま自分たちは、困難にあるけれど、自分たちの歴史を思い起こして、先人たちがやって来たことについて、我々は自信を誇りを持って、困難に立ち向かおうじゃないか、そうすればできるよ」
 内容的にはそういう話でした。

 いつもそうなのだけれど、(バカブッシュの演説ですら)大統領の演説を聞くと、感動するのですね。涙が出そうになる。

 それはアメリカという国の成り立ちと、彼らの教育と、スピーチライターという専門職の洗練された文章と、伝道師的伝統の英語の音楽的な言葉のリズムと、そういうすべてのものの重なり合わせだけれど、基本にあるのは当事者意識を皆が持とうとしている、もたそうとしていること。
 自分の国であり、自分の困難であり、自分の未来が自分の手にあるという基本構造。そしてそれが自由ということであり民主主義というものであると、つねに確認し続けていること。

 結果として、アメリカが行うことが世界を幸福にしないことはたくさんある。それはもうたくさん。
 けれど、大統領が替わってリセットがかかる度に、アメリカ国民はアメリカ合衆国国民であることを誇りに思い喜ぶチャンスをもつということだけは事実のようだ。

 一方、日本の政治の問題は、国民に当事者意識がないこと、政治家が当事者意識を持たせようとしないことに尽きるように思う。

 何もかも足りない困窮のなかから、経済が成長すること自体が幸福の増大に結びついていたときは、それで、だれも困らなかった。
 政治がいくらか失敗しても、だれかが私腹を肥やしても、みんなの生活が向上しているときは、多少のスローダウンも、取り分の不公平も問題にはならなかった。

 でも、いまのように困難に直面したとき、そのことはとても大きな障害になる。
 政治家が国民にわずかな負担を求めることすら困難になってしまっている。単純にたった数パーセントの税金すら上げられない。
 政治家と国民のあいだに信頼関係がないから、国民自身が自分の国を造り動かしているのだと思っていないから、自分の国の金庫に自分の財布からいくらか移動させるだけで、それは以前として「自分が主権者である自分の国のもの」であることにかわりはないはずなのに、税金を払うと云うことが、自分の財布から抜き取られ、自分とは関係のない財布に入ってしまうと思うのだ。

 誇りがあれば、自ら傷みを負うことができる。
 信頼されていると思えば、一緒に困難に立ち向かおうと言えるのに、「票を入れて戴く」「税金の負担をお願いする」あるいは「票を入れたらあとはだまって政治家に任せる」という構造だし、自分が主権者なのに被害者だと思ってしまっている国民は、国の困難や自分の困難に自分の責任を感じず、政治の責任を追求しては失望し、ますますしらけて何もしなくなる。

 僕は日本を好きだけれど、アメリカに大統領が生まれる度に、アメリカ人を羨ましいと思う。キューバの人を羨ましいと思うのと同じように。

2008年11月21日

12000円を辞退する人々

 年間所得が1800万円を越える世帯は2%に満たない。これは世帯で見た場合で、1800万円を越える世帯に属する家族にも子供や専業主婦など収入の低い人はいるわけだから、個人として1800万円を超える人は全人口の1%未満だ。人数にして、およそ100万人。

 麻生内閣が「交付金」として総額2兆円を「ばらまく」と言われているわけだけれど、その対象を所得1800万円未満であるとして、受け取る資格のない人の人数がこれにあたる。

 この人たち全員が受け取った場合と全員が受け取らない場合で、支払総額のちがいは100億円程度。

 一方で、行政がこの人たちをあらかじめ選り分けておくためのコストはどうやらわからないらしい。公務員400万人(国家公務員95万人+地方公務員304万人)を擁し世界に冠たるIT社会である日本で「年収1800万円以上の人はだあれ?」と選り分けるのがコンピュータの操作一発でできないというのも驚くような話だが、とにかくそれは簡単にはできないことのようだ。

 1800万円以上の収入がある人を行政の側が選り分けるのが議論を呼ぶほど大変なことならしかたない。「じゃあ、自主的に受け取りを辞退してもらいましょう」というのは次善の策としてリーズナブルだ。

 実行不可能なほど「大変な手間がかかる」というのがどのくらいのことかわからないが、400万人の公務員が1時間残業すればそれだけで100億円くらいはかかるわけなので、およそその程度かそれ以上のコストがかかるということなのだろう。
 つまり、大雑把な計算で、1800万円の高額所得者を選り分けるのに100億円がかかり、それを選り分けずに本人の意志で辞退してもらうことにしてだれも正直に辞退しなかった場合の支出が100億円だということだ。

 こうして比較してみると、同じ100億円の支出なら、手間がかからない方がいい。公務員にはもっと生産的な仕事をしてもらいたいわけだから、最大100億円節約するのに100億円以上のコストをかけるなんて、馬鹿げている。
「全員に案内を出して高額所得者には辞退してもらう」というやりかたは、コストから見てリーズナブルで生産的な方法である。

(行政に何兆円ものコンピュータシステムへの投資が為されているというのに、収入区分で国民を選り分けることすらできないことこそが問題だと思うけれど)

 ところで「高額所得者には自発的に受け取りを辞退してもらう」としたとき、メディアの論調は「辞退する人なんていない」かのような言い方なんだけど、果たしてそうなのだろうか。
 もし1800万円以上には受け取る資格がないと決められていて、自分から辞退してくださいといわれていた場合、僕に1800万円以上の収入があったとしたら、僕は迷わず辞退するけどなあ。

 ヨーロッパの鉄道に乗ると、改札に人がいなくて自動改札機もないのはごく当たり前だ。

 ズルをして無賃乗車をしようと思えばできる。(その代わり検札などでもし見つかればペナルティはけっこう大きい)
 ある程度無賃乗車を許すことで生じる遺失利益がどれくらいで、もし一人たりとも無賃乗車を見逃さないために、人を配置したり高価な自動改札機を設置するコストがどれくらいなのか、それらを比べて、簡素な無人改札を選ぶのがヨーロッパ。絶対に無賃乗車は許さないぞとガチガチにお金をかけてハイテクを駆使した自動改札機を装備する日本。
 もしみんながズルをして鉄道に収入がなくなって経営が立ちゆかなくなって鉄道がなくなってしまったら、困るのは自分たちだ。だから払える人は改札が無人でもちゃんと切符を買って電車に乗る。

 正直者は馬鹿を見ない。
 正直者には、鉄道を自分たちで支えているという自負がある。運賃を払ってそのことを喜べばよいのだ。
 税金だって自分がこの国を支えているのだと誇りを持って払えばいいのだし、払える収入があることを喜べばいい。1800万円の収入があるということはそれだけ人様の役に立ったということでもある。何もその誇りを捨ててまで、たかが12000円を受け取ることはない。
(別に収入のないひとが役立たずという意味ではないけど)

 ちなみに年収1800万円の人は日給5万円だから、2時間かけてわざわざ役所の窓口までいって12000円うけとっても、あまり得にならない。もっと収入の高い人は受け取りに行くと却って損をする。

 計算によるとビルゲイツが地面に落ちている50ドル札をひろうと、そのために使う時間の無駄の方が大きくなる。

2008年10月28日

解散すれば民主党が惨敗?

 民主党はさかんに早く解散しろというスタンスでいる。どうやら総選挙になれば自分たちの議席が増えると思っているらしい。
 それはほんとうだろうか。

 僕は、今の状況は「郵政民営化選挙」のときの小泉圧勝の状況にとても似ていると感じている。
 郵政民営化選挙は、メディアや自民党を含む多くの政治家たちの予想を裏切って小泉圧勝だった。「いま解散して総選挙なんかしたら自民党は負けるから解散なんかするわけがない」と郵政民営化反対の自民党抵抗勢力もメディアも野党も思っていたのだ。

 しかし、メディアの予想通りでなかっただけで、国民はそうは思っていなかったのだ。当時の焼鳥屋政治談義をいろいろなところで聞いていた僕は、もし解散すれば小泉自民党は相当いいところに行くと感じていた。飲み屋の話だけでなくネット世論もそういう感じだった。

 結局、森喜朗前総理が干涸らびたチーズの名演技をして「本当に解散するつもりだよ」と人々に暗示したにも拘わらず、それを理解できない人たちがいっぱいいた。
 それらの人々にはびっくりする結果だったが、一方、焼鳥屋で飲んでいれば「やっぱりね」と思う小泉圧勝という結果だ。

 立花隆もネット上のコラムで「選挙をして勝てるはずがないから解散なんてあり得ない」と書いていたが、事実は、その逆だったのだ。

 小泉純一郎にとって、郵政民営化解散は一か八かの博打ではなく、綿密な独自の世論調査で、「選挙をすれば圧勝できる」と確信を持っていて、それに従って計画通り解散したのだと、後に明らかになっている。

 旧来の政治家たちの思っている民意、昔ながらの永田町の空気の中でマスメディアが思っている民意と、実際の民意はすでにこの頃から明確に乖離している。

 最近も象徴的なことが起きた。
「ホテルのバーは安い」と麻生首相の「連夜の豪遊」を報道した新聞各社テレビ各社だったが、民意は自分たちが思ったように「麻生首相は庶民感覚をもっていないだめなお坊ちゃん政治家だ」という反応はしなかった。
 まったく逆で、首相が行く場所としてホテルのバーは高い場所ではなくむしろ適切で、そういうことを取り沙汰するメディアの方の見識の無さを嘆く人たちの方が多かったのだ。
 当然、このメディア批判はメディアの尻馬に乗った野党批判にも向かう。

 麻生首相は就任後一ヶ月で、取り立てて大きな失敗が無く、国際会議など海外へ出ての活動も大袈裟にしないまま身軽にこなしている感じで、これは人々のもつ「仕事のできる人のイメージ」に合っている。

 そこへきて、アメリカ発の全世界的な株価暴落、円高、不景気の到来である。日々、仕事をしている人はその影響を感じ、また、どうなるのだろうかと不安を抱いている。

「解散よりも金融経済対策」は正論であり、国民はメディアの論調や旧式な野党のプロパガンダよりも正論を支持する素地をちゃんともっているから、このことも麻生自民党有利になっている。
 26年ぶりの水準まで株価まで暴落しているときに、「党首討論をしよう」という正論に対して、「解散時期をはっきりさせなければ討論をしない」とか、危機管理の提案することもなしに口を開けば解散解散とだけ唱える民主党がポイントを稼ぐ場所はいまのところ全くない。

 麻生内閣になってから、与党がポイントを稼ぐ機会はあっても、野党が自分のアクションで稼いできたポイントはまったくない。

 あらかじめ特定の政党を支持すると先に決めている人たちをのぞけば、国民の目には、解散解散と叫び政局あって政策なしに見える野党は、ポジティブには映らない。選挙をすることで世の中がよくなるというビジョンが提示されていないのだから当たり前だ。

 ネット世論や、焼鳥政治談義も、麻生批判よりも野党批判の方が強い。
 例えば、ブログを検索して100人分ほど読んでみれば、人々がいかにメディアの報道とちがう目をもっているかがわかるだろう。あとはブロガーが一般化できるのか特殊な階層であるかという評価による。

「ホテルのバー」事件でわかるように、新聞はほんとうの庶民の声を実地取材によって捉えているのではなく、自分たちが頭の中で思い描いた庶民像をもとに、庶民はこうだと書いているだけなのだけれど、野党は報道されている庶民像をみて、それが国民の声だとかんちがいしているのではないか。

 だとすると、同時に起きているメディアの陳腐化と野党の陳腐化は深刻だ。

2008年09月10日

自民党総裁選 みごとなパフォーマンス

 自民党総裁選候補者の共同記者会見の生中継をみました。

 5人、みごとな役割分担。
 全体として様々な論点を表に出して、自民党の優位性を説明するようにオーガナイズされている。
 質問する方の「平河町クラブ」の質問がまた、太鼓持ちというか、あうんの呼吸の質問だし。記者クラブ体質もここに極まれりです。

 たぶん、麻生太郎選出を前提に、全員が自民党として選挙に勝つことを目指して、意思統一がされている。
(暗黙の了解なのか、具体的な打合せをしたのか、そこは不明だけど)

 代表選を無投票にした民主党はこれをみて地団駄踏んでいるでしょうね。まちがいに気づいたはずです。はたして、それにどうやって対抗するのでしょうか。

 小泉ブーム、参議院選挙野党過半数、このふたつの事件で、どうやら自民党の中では意識改革が相当に進んでいる。かつてのように「だまって自民党に任せさえすれば大丈夫」という態度の人はいなくなった。
 一番、昔のタイプで偉そうで抽象的なのが、実は小池百合子であるという状態。
 石破なんか、オバマ流に人を感動させる音楽的リズムをもっているし。(笑)

 逆に古い体質を露呈しているのは小沢一郎。

 昨夜のNHKでも、財源について具体的な施策を示さず「政権を換えればよくなる」の一点張り、これは「野党は無責任、責任政党である自民党に任せれば大丈夫」とひたすら言っていた昔の自民党そっくりです。

 私に任せれば悪いようにはしません、というだけで国民がついてくることを期待しているけど、本当にそうだろうか。政治不信は「自民党不信」ではなく、民主党だって信頼されてはいないというのに。
 ものすごく政治スタイルが保守的というか、昔ながらのやりかたで、国民の目の多様性とか、国民の危機感とかを見くびっている感じがするのが、自民党よりも民主党になってしまっています。

 5人の誰をとっても、小沢一郎よりずっとまともに見えるし、少なくとも低姿勢。それがポーズだとしても、そういうポーズが必要だとみんなが気づいている点で、自民党は以前とは変わっている。

 う~ん、野党だらしねえ。
 なんとか切り返せ。

 でないと、びっくり自民圧勝、なんて可能性もあるぞ。
 そうなったら福田辞任作戦大成功になってしまう。もともと福田辞任はすごく巧いタイミングをついていると思ったけど、そのあとの自民党の流れの読み方がすばらしい。

 二日つづけて、プールにも行って、本日、執筆は絶好調。

2008年09月07日

売名行為 上等

 自民党の総裁選に大勢の人が出ようとしているのを「売名行為」などといって首を傾げる論調がありす。

 政治家は自分が信じる政策を実現するのが仕事なんだから、そのために名を売ることが必要なら、どんどん売名することは重要なことですよ。

 民主主義社会では、名前も政策もわからない人に政治は任せられないのだから、あらゆる機会を捉えて、名前と考え方、政策を国民に伝えることは最も重要な政治家の責務だと思う。
 むしろ、政党や派閥に属して風見鶏をしているだけで売名行為を熱心にやろうとしないだめ政治家が多すぎるんじゃないだろうか
 総裁選が無投票で、政策論争とその政策の国民への浸透の機会をないがしろにしてしまう民主党議員にももっと売名行為に熱心になってもらわないと。

 売名行為がよくないことのようにいうひとは民主主義がなんたるかを理解していない人だと思う。

 それにしても、どうしてメディアはいろいろチャレンジしようとする人の足をこうも引っ張るんだろうね。

2008年09月01日

政治家のセンス

 前夜から眠くなるたびに1時間ほど寝て起きてまた仕事、という体制。
 長編の間の割り込み仕事である、エッセイと子供向きの本のあらすじを終わらせる。

 午後9時頃にキリがついたので、近くへ飲みに行きたい気分だったけど、めんどくさくなってそのまま在宅。(笑)

 明日夕方からは、二晩、マンション内自主カンヅメ。長編へもどります。
 マンションの共用施設であるゲスト用の部屋を二日間借りられたので、ホテル代わりにして仕事の予定。食事もすべて外食で通す。
 リネンを借りるとお金がかかるので、寝るのだけは自分の家へ帰ってくるかなあ。
 家から持ち込んでもいいのだけれど。

 福田首相、突然、辞任。

 民主党が小沢無投票代表選になりそうであること、世論調査で総理として麻生氏がダントツの期待度で、自分や小沢氏を遙かに上回っていたので、このタイミングで麻生氏にスイッチするのがベストだという判断なんでしょうね。
 民主党は脱藩騒ぎでマイナスがついたところだし、自民党が攻撃を仕掛けるタイミングとしては「ここしかない」のかもしれません。

 それにしても、民主党は無理にでも代表選をやるべきなのになあ。
 代表選はメディアを利用して人気獲得や政策浸透のまたとないチャンスなのに、無投票で決めてしまってはそのチャンスを失ってしまう。
 党全体で芝居を打ってでも(出来レースでも)代表選をするべきだと思います。
 なんというオバカな広報センスなんだろう。

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2008年04月26日

聖火リレーで中国は対応を誤った

 やっと聖火リレーが終わった。

 ネット上の情報を証拠も含めて検証して総合すると、どうやら警察が相当に中国人よりの対応をしたらしく、チベット支援の人たちだけでなく、現場を見ていた人たちからも、報道姿勢と警備方針について非難の声が上がっている。

 警備上の理由からは人数の少ない方を押さえつけるのは鉄則なので、「混乱させない」という観点からは当然のリスク管理だと言えるけれど、報道の方はまったくお粗末だった。
 このあたりは、実際に長野の現場にいた人たちがいろいろな形でネット上にレポートしている。

 ところで、中国人のグループが世界各国で聖火を取り囲んで「五星紅旗」を振り「聖火を守った」ことは、果たして中国の為になったのだろうか。
 実際に沿道を埋めているのはネットで声を掛け合った個人個人などだそうだが、彼らが振っていた「五星紅旗」は、わざわざ中国政府が支給しているわけだから、ようするに中国政府は彼らの行動を煽っていることはまちがいない。
 そんな人海戦術や、大声や、ときには暴力的な実力行使もして、反対の立場にあるものを威圧的に封じ込める姿が世界中で見られ、それがまた世界中に報道された。

 その結果として聖火が「無事に」北京に到着したところで、それで中国が立派だと国際的に評価されることはなくなってしまった。むしろ、かえってチベット問題が大きくクローズアップされるだけだったように思う。

 もし、チベットを支援する何者かが聖火を暴力で消してしまったら、世界の非難はその人間に向かい、中国は被害者になることができたかもしれない。ところが、現実には「聖火を守るために威圧的態度をとった」という印象が残り、「中国はたかが聖火ごときにこんなことまでやるのだから、さぞかしチベットではひどいことをやっているにちがいない」という「印象」を持つ人の方が多いのではないかと思う。

 愛国に燃えているはず中国人たちはこのことをどう考えているのだろう。

 結局、彼らが昂揚させた愛国心は国の評判を落とすのに役立っただけだ。
 もし日本で行われるオリンピックの聖火が世界中で歓迎されないという事実があったとき、たしかに日本人も、あるいは、僕自身も、不愉快になるだろう。けれど、それは感情の問題であり、やるべきことはその感情とは別のところにある。
 他国の中にあって注目を集めた大通りで自国の国旗を振り回すことで旗を振る人の国の評判は下がることはあっても上がることはない。シャンゼリゼ通りを大声を上げて日の丸を振って歩く団体がいたら、当然、フランス人は日本を嫌いになるだろう。ようするにその場で「力」を示しても、たとえその場で相手を圧倒しても、何の得にもならないのだ。
 彼らの刹那的な感情としての愛国心は満たされるかもしれないが、愛する自分の国にとって結果的に少しもプラスにはならない。
 それを仕向けたのが中国政府であったということも、絶望的にセンスが悪い。中国政府が在外中国人に「自制」を求めていれば全然ちがう結果になっただろうに。

2008年04月21日

小泉政権が残したものの本当の価値

 時事通信が4月に実施した世論調査で、「首相にふさわしい政治家は、自民党の小泉純一郎元首相が21.2%でトップ」だったのだそうだ。

 僕は小泉政権を評価している。
 最大の点は旧来の自民党的スキームを壊したこと。

 郵政民営化を掲げて大勝利したのは、「支持母体の声を聞くのではなく世論全体の声を聞いて政治をせよ」ということだ。実は郵政民営化の是非などどっちであろうと、(たとえ支持母体に不利益であっても)「国民全体の声を聞く政府」に近づいた価値にくらべたらどうでもいいことだといってもいい。

 小泉政権は、大臣の起用スキームも変えた。
 小泉以前には「派閥推薦による大臣の椅子という特権の順送り」であったが、そのスキームも竹中平蔵の起用などで打破して見せた。
 たとえ竹中政策に賛否があっても、「派閥推薦順送り制打破」の利点に比べたら取るに足らない。

 このことは自動的に政官癒着の打破でもある。
 順送りによる無能な大臣は官僚の言うことを聞くだけの人間だが、専門家の大臣によるリーダーシップは、官僚の既得権への切り込みも可能にしている。

 国民年金問題が表に出てきたのも、守屋事務次官の防衛汚職が表に出たのも、知っていながらそれらを隠し続けていた官僚を許さない勢力が実権を持てたからこそだ。
 あいつぐトラブルの発覚にもかかわらず桝添厚生労働大臣は高く評価されている。派閥順送り方式から桝添大臣は産まれないし、「宙に浮いた5000万件の年金」だっていまだに表に出てきていなかったはずだ。
 道路特定財源という「聖域」に手をつけることが議論に上るのも、同じ理由による。国の借金がこれだけ増えたのも、税金の割に福祉や教育が貧困なのもすべて「既得権益」に準じた不適切な支出配分が根本原因なのだから、福祉や教育の充実にも、まず第一に既得権益を打破することが必要であり、それなしでは達成できない。

 ようするに、小泉改革の本質は、郵政民営化でも経済新自由主義でもなく、「選挙区の一部の利権からの独立による国民の全体的利益」「派閥順送り大臣人事否定による官僚も含めた既得権益の打破」なのだ。
 これは日本人が初めて健全な民主主義を手にすることができる方向性の基礎を作ったということだ。
 そのことに着目している人が小泉純一郎を評価しているのだと思う。

 一方で小泉政権の負の側面として「格差社会」が指摘されている。
 これについては別に述べたいと思う。

 けれど、たとえ格差社会になってそれが「負」ことであっても、リーズナブルな努力をする人が飢えて死ぬまでではない以上、健全な民主主義を手に入れることの計り知れない価値に比べたら取るに足りないとまで、僕は思う。
 そもそも「米百俵」のたとえで示したとおり、小泉政権は「ガマン」が必要であることを述べている。目の前の生活をすぐによくする政策は採らないぞ、それはみんなで覚悟しようぜ、といっていたのだ。国民をバラ色の希望で欺いているわけではない。ガマンが必要なマイナスになることもやるよ、と公言していた。

 将来的に格差を効率よく是正するためにも、既得権益で甘い汁を吸う人に税金を移動させるのを止め、国民全体の利益のために働く官僚機構や大臣をつくり、教育や福祉に効率よく税金を投入する基盤を作らなければならない。
 国が膨大な借金を抱えているという現状のなかから、健全なセーフティネットを構築し、充実したよい教育を確立し、日本を国際競争から脱落させないために、最大の敵である「利益誘導で票を集める政治」「保身的で利己的な官僚機構」を改革するのは絶対に必要なことだ。

 小泉政権がすべてにおいてよかったとは思わないし、よいと評価できる点も結果だけ見ればまだまだ不十分だが、方向を変えるために舵を切って見せた、というのは疑いのない事実であり、その成果は今も継続している。
 個別の政策よりも方向こそが重要である、ということを示したのも、日本の戦後民主主義で初めてかもしれない。

2007年11月01日

少子化こそが温暖化解決の答では?

 温暖化や放射能で人間が死んでしまっても、それくらいのことで地球が壊れることはない。
 なので、地球にとっては人間が何をしようとへのかっぱなんだって意識をまず持とう。
 その上で、地球じゃなくて自然じゃなくて「僕」が困るから「エコ」を目指そう、と言えばいいのに、たくさんのひとが、宇宙の真理みたいに青筋たてて「エコ」を口にするのが、「喫煙は悪だ」と言っている人や、「子供(またはペット)が嫌いな人」を「冷たい人」だと思う人みたいで、ちょっといやだ。

 排出炭酸ガス削減するのに、人口を減らすって発想はないのかなあ。
 そもそもこの問題は総量の問題であって、比率の問題じゃない。

 人口を10%減らせば、10%増しの暮らしをしても、まだ1%くらい削減できる。食糧自給率だって上がる。
 ゴールデンウィークにきれいになる東京湾とか快適になる東京を見ると、いつもそう思うのだ。
 少なくとも少子化はいちばんのエコだ。
 ひずみのない少子化社会はつくれないものだろうか。

2007年04月26日

アメリカ合衆国憲法修正第二条

「国民が銃をもつ権利」を述べたアメリカ合衆国憲法修正第2条は、以下の通り。

Amendment II  A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed.


修正第二条
 規律のとれた人民軍は、自由な国家を守るために必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。(阿川大樹による日本語訳)

 武器を持つ権利について、日本人によくある誤解は、アメリカでは「自分の身を守るために銃をもつ権利がある」のだという勘違いだ。

 けれど、この条文が示しているのは、他国からの侵略や、自国の政府が国民の自由を抑圧する可能性があるから、国民が組織だってそれと戦うことができるように、国民には武器を持つ権利があるのだ、という考え方だ。
 つまり、合衆国憲法の精神は、「自由国家」が武器によって守られるという考え方が基本になっている。 銃によって守る対象は個人の生命や財産ではなくて、「自由な国家(free State)」である、ということ。

 いい悪いは別にして、日本人とはまったくちがう理念で武器を捉えている。
 たとえば、自衛隊がクーデターを起こして軍事政権ができたら、武器をもたない国民は闘うことができないではないか、だから市民にはつねに武器を持つ権利が保障されていなければならない、というのがアメリカの憲法修正第2条の精神である。
(日本の歴史の中にも、政権維持のために「刀狩り」が行われたことがたしかにあった)

 しかし、いま、自由な国家が失われる危険と、それを守るためにあるはずの武器によって、日常的に危険にさらされる個人の生命の危険と、どちらが大きいのだろうか。
 多くの日本人にとって、後者の方がよっぽど危険だと思われるだろうし、僕もそう感じるのだけれど、しかし、政府が国民を抑圧する危険が本当にこれからもないのかどうか、たしかに自信がないのだ。
 だからこそ、みんなに選挙に行って欲しいし、もっとまともな報道機関や、まともな野党があって欲しいと思うのだけど、どうもそのあたりがアヤシイ。
 日本人は平和ボケだけじゃなくて自由ボケもしている。
(くだらない捏造で放送内容に政府が介入する機会をみずから作ってしまうテレビ局のていたらくを見てくれ)

 というわけで、バージニア工科大学の乱射事件によせて、改めて考えてみた。

 阿川大樹の著作は こちら です。

2007年04月12日

赤坂議員宿舎問題

 新しく完成した衆議院議員宿舎に入り手がいないそうだ。
 3LDKの豪華な造りで周辺の類似物件に比べて家賃が破格に安い、と、批判的に報道されている。ネガティブキャンペーンの最中に入居するのを避けたいという議員の思惑もあるようだ。

 家賃が安いといったって、家族みんなでそこに住んで家計がらくになるわけでもない。要するに、住居というよりも仕事上必要な宿舎なわけだ。
 国会議員は忙しいときは寝る時間もないくらいだ。都心にいて通勤時間を極小にして10分でも15分でも睡眠時間をとるべきで、遠く離れた家賃の安いところから時間をかけて通って月に何十万かを節約するのと、体力を温存するのを比較したら、国を預かるものとしては、体力を温存するべきだというのは当たり前のことじゃないか。
 一箇所に集まっていた方が警備の効率もよく、警備コストを下げることもできる。
 3LDKもいらないだろう、というのはその通りだと思う。
 しかし、そういうことは枝葉末節の問題で、仕事上の必要性に応じて用意されている施設は有効活用していかに成果を出すか、というのが問題なわけだ。
 それを一般人の住宅と同じレベルで論じて贅沢だとかなんだとか、ひがみっぽいことを報道するから、こういうことになる。

 議員も議員で、「この施設を十二分に活用して最大限の成果を出します。見ていてください」と胸を張って入ればいいだけの話。

 また、くだらないメディアのせいで税金が無駄になる。
 やだなあ、こういう足の引っ張り合いのような精神風土。

2006年12月11日

インターネット世論観測

(1)教育基本法
「愛国心条項を含む教育基本法に反対する人」よりも「日教組や旧社会党的教育に嫌悪感を感じている人」の方が多そうで、非政治的マジョリティは教育基本法改正を支持しているように感じられる。

2)復党問題
 自民党は選挙の力をつけるために郵政民営化に反対した11人を復党させたけれど、やはりこれによって国民の支持を失い、選挙の力はかえって弱まったようだ。
(NHKの世論調査で「復党反対」の国民は46%で賛成を大きく上回る)
(讀賣新聞調査では「反対」が「どちらかといえば」を合わせて67%、「賛成」は計26%) (12/12追記)

 小泉圧勝の前回衆議院選挙は、小泉首相みずから「一部の支持者の票を失ってもそれ以上の新しい支持を得る」ことを公言して成功した。
 旧自民党体質を壊す期待が票につながったのは明らかで、それが刺客戦略だったというのに、復党させたらそのときに得た支持を失うに決まっている。
 まったく学習していない自民党。というか、何を考え、どういう情勢分析をしているのだろう。
 衆議院は十分な議席をもっているのだから、11人を復党させないで参議院選挙に臨んだ方が明らかに有利だと思えるというのに。
 この上は、道路財源一般化で、道路族の反対をわかりやすいやりかたで押し切って可決させれば支持率を回復できると思うけれど、果たして安倍内閣にそれができるだろうか。

2006年11月11日

タウンミーティング「やらせ」問題

 タウンミーティングというのは、政府がやろうとしていることを国民に伝える、ようするにプロパガンダのための仕組みだと思っていたので、やらせがあることはむしろ当たり前だと思うのだけれど、世間の人はそう思っていなかったということなのかな。(いや、世間ではなく単にメディアが、ということかも)

 ちょっと意外でした。

 当日、都合の悪い意見を封殺したというのなら問題だけど、開催者の意図に沿った質問があるのは、そういう会なのだから当然だと思う。
 共産党の政治集会に行けば共産党の主張を発言がでるのと同じように、タウンミーティングは政府の政治集会みないなもの。
 ここで重要なのは、政府は国民によって選ばれていて、支持された政策を迅速に実行する「義務」があるから、できるだけ啓蒙して賛成者を増やし、スムーズに政策を実行できるような環境を作っていく努力をするのは当然なわけです。(政府は国民全体と対立しているわけではなくて、少なくとも多くの国民の支持によって政策を実行しようとしているのだから、できるだけ政府に賛成の人を増やそうとするのは当たり前のことで、それが民主主義そのものなのだから)
 政府の意見に反対である人は、独自に別の討論会を開くこともまた自由で、それぞれがそれぞれの立場で、自分の意見の支持者を増やそうと活動して競い合うことこそ民主主義なのだと思う。

 政策の決定から施行の過程で、政府側が公平な場を用意することこそ当たり前だという発想はあまりにナイーブというか、「お上」にそういう場まで用意して頂く、という発想で、むしろ民主主義的ではないように思う。
 自分以外の人が理想的な仕組みを作ってくれてそれに乗るのではなく、互いに相克して、結果としてバランスの取れた社会を、「(時に敵対を通じて)共に創り上げる」ことこそ民主主義というものだ。

 そもそも政府は国民の支持を得て政府たり得ているという点を忘れて、なんでも政府が国民の敵であるかのように捉えるのは、階級闘争的なイデオロギーのバイアスがかかった考え方だと思う。
 そもそも民主主義とは異なる主張の戦いの結果であり、だれか他人によって与えられるものではない。

 でも、世界史を勉強していない人は、そういう風に思えないのかもしれないな。
 だめじゃん。やっぱり世界史は勉強してください。

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2006年05月23日

議会制民主主義は機能しているか

「選挙に於ける一票の格差はずいぶんあるし、政治家や官僚は一部の人の利益を守っているように見えます。日本で本当に議会制民主主義が機能していると思いますか」
 あることろでそんな風に問われました。
 教育基本法の改正に愛国心を盛り込むことについての是非を時事通信が世論調査し、その結果、五割を超える人が「愛国心」の概念を盛り込んだ教育基本法案に賛成だったということについての議論のなかのことです。

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2006年05月22日

改正教育基本法は愛国心を強制しているか

 教育基本法を巡って「愛国心」について議論されています。

 この法案に反対する言説の中に、「愛国心は国に強制されるものではない」という意見がたくさんあり、そこに民主主義の基本的問題があると思われたので、少し論考してみます。

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