覇権の標的 D列車でいこう 








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2008年11月16日

さなぎの食堂

 昨日、テレビを見ていたら横浜のドヤ街・寿町の「さなぎの食堂」というところが、コンビニの期限切れの弁当を無料で仕入れて再加工して、300円で立派な定食を出しているのを報道していた。

 放送の中では、局側が、コンビニでは期限切れの2-4時間前に店頭から下げるので期限が切れているわけではないと強調していたけれど、実際に食堂で提供されるのは期限が切れた後であることも当然多いだろうし、食堂の方はそんなこと問題にしていないだろうし、最終的にお客さんに出す食品に責任が持てれば消費期限なんてどうでもいい。

 もちろん期限なんて切れたって全然平気なわけだから、このアプローチはとってもエコでいいと思う。

 日本で年間に捨てられる残飯は2300万トンだそうで、世界的な食糧危機の中で、そもそもあまり意味のない期限がちょっと切れたくらいで、それほどの量を捨ててしまうこと自体が人類にとっての犯罪だと僕は思っている。
 だって、それだけの食料またはお金があれば、地球のどこかの何千万人という人が生き延びることができるのだ。

 ちなみに、世界の食糧援助総量が750万トンだそうです。
 日本の家庭から出る残飯だけでも金額に換算すると3.2兆円、日本全体では11兆円という数字もあります。(数字の根拠や妥当性について僕はまだ検証できていません)

 さなぎの食堂の定食はコンビニ弁当からつくった痕跡などまったく見えないみごとなもので、ことの性質上、仕入れが安定しない中で創意工夫して出しているその知恵には敬服する。

 僕も、あんまり収入がないクセに、近所で600-800円のランチを食べてしまうことがあり、身の丈から考えたら贅沢なので、運動がてら、自転車でさなぎ食堂までいってみてもいいかもしれないと思った。

 青森では、林檎がヒョウの被害を受けてキズモノがたくさんできてしまっているらしい。
 野菜や果物の外観というのも、あまり意味のないことで、外観の悪いものもちゃんと食べきろうという運動はもっと拡がって欲しいと思う。

2008年11月05日

学歴・収入・オバマ・マケイン

CNNによる出口調査の結果を見てみました。
http://edition.cnn.com/ELECTION/2008/results/polls/#USP00p1

 黒人の95%がオバマに投票しています。
 期日前投票に行列した(場所によっては6時間待ち)で投票したのもこの人たちでした。
 その他の有色人種もオバマ。

 でも、白人が75%を占めていて、55%がマケインです。

 年収150万円以下では圧倒的にオバマです。
 でも、高年収でもオバマとマケインは拮抗しています。
 オバマは選挙活動資金が豊富で、多くは10ドル単位の個人献金です。政治資金が豊富=金持ちのための政治、という構造が今回のアメリカではまったく成り立たなかったことが顕著な歴史上の事件だと思います。

 学歴では、大学院卒業と高校にいってない層でオバマが強い。
 高学歴高収入と、最下層でオバマ支持、中間層はマケインとオバマは拮抗してます。
 よく言われる民主党支持層がこれほど顕著に出ているのも象徴的です。

 見方を変えると、白人でも高学歴や高収入の人はオバマ。そういう人は、東部各州やカリフォルニアに集中しています。
 共和党の強い、あまり高学歴でない中部南部白人層(カントリーミュージックを聴く人たち)がマケイン。

 高齢者はマケイン。
 初めて投票した人の69%はオバマ。

 日本も、選挙に行かないクセに被害者意識が強くて格差に文句を言う人が、もっと主体的に政治にかかわれば社会は変わると思うのに。

2008年10月24日

メディアの没落と情報格差

 麻生首相が頻繁にホテルのバーに行っているということを、ぶらさがり取材をした北海道新聞の長谷川綾という記者が指摘した。
 いわく「高額な店で毎晩飲食していて、庶民感覚からずれている」と。

 麻生さんは、ホテルのバーや、(記者も知っている)麻布十番の店の名を挙げて、「高いところだとは思っていない」と答えた。

 それを聞いたぶらさがりの時にいた多くのメディアが、麻生首相のネガティブキャンペーンのネタとして、「ホテルのバーは高くない」という首相の発言をきわめて恣意的に歪曲して一斉に取り上げた。

 その尻馬に乗った民主党や社民党や共産党が、「国民が生活に苦しんでいるのに……」というコメントを発表した。

 で、国民の方はどうしたか。

 mixi のこのニュースへのコメントでは9割以上の人々が、

  「ホテルは高くない」
  「お金を持っている人が自分のサイフでどこへ行こうが問題ない」
  「首相が居酒屋や焼鳥屋へSPや報道陣を引き連れて来たらかえってみんなの迷惑」
  「一国の首相が、和民に通っているとしたら、そんな情けない国に住みたくない」
  「金持ちには金を使ってもらわないと景気がよくならない」
  「もっと大事なことがあるのにくだらないネガティブキャンペーンにはうんざり」

 とメディアに批判的な反応をした。

 一部の、ホテルのバーの値段を知らない人は、メディアの論調の通り「毎日高い店に出入りするなんて」と反応した。
 ところが、そうしたコメントのほとんどには、他の人が「ホテルのバーは高くない」と、帝国ホテルやニューオータニのバーの値段表や、麻布十番「馬尻」のメニューの写真などを示して、事実関係を教えてあげていた。

 ぶらさがり取材のやりとりの全文は、ネット上に文章で、あるいは you tube などの映像で参照でき、それを見た上で、麻生首相の行きつけの店の値段を知れば、メディアの報道がいかに事実を曲げているかということを誰でも、直接確かめることができる。

 メディアの死が近づいている。
 ネットコミュニティが健全な発展を示し始めている。

 むろん、いつもそうではないけれど。

 問題は、情報格差。
 インターネットを使わず、新聞テレビだけを情報源としている人たちの中には、メディアの的外れな報道を真に受けてしまう人が少なからずいる。

2008年07月16日

長野県 大町温泉郷

 7時20分に目覚ましをかけたつもりだった。
 2時間遅れの起床午前9時20分。

 午前11時、出発。一路、長野県大町温泉郷へ。
 一番の難所は中央高速調布インターチェンジまで。高速に乗ってしまえばあとはほとんどそのまま渋滞なし。交通量は少ない。ガソリンが高くなったせいもあるのかな。

 こちらは1980年代前半にリッター140-172円を経験しているので、いままでそれより安かった方が不思議な感じがして、特に驚かないんだけど。
 体感的にここ最近、いくつかの品目で急に上がったというものの、過去20年間、あまり物価が上がっているという実感がないし、多くの品目で価格はむしろ下がっているので、現在辺りまでは「物価高にあえぐ」という印象はない。テレビではさんざん庶民に大打撃なんていうけど、全然、ピンと来ない。昔はもっとずっと生活苦しかったから。
(これ以上に上がると、そろそろ初体験ゾーンかもしれないけど)

 サラリーマンをやっていたころの昼食代は、工場勤務の社員食堂時代は別にしても20年前でも800円くらいだった。そのころのガソリンはリッター150円くらい。
 いまでは、コンビニ弁当があるので、500円でも可能だし、マクドナルドでよければ300円でもランチが可能。物価はまだそんなに高いという実感はありません。
 タマゴも牛乳もほとんど上がっていません。
 30年前、手取り10万円を切る初任給で風呂なしトイレ共同の8畳一間に暮らしていたときも、夕食を外食すると定食が600-800円だったから、今と同じようなものです。いまみたいにチェーンの居酒屋はあまりなかったので、飲み代ももっと高かった。

 高速道路はスイスイ走るととても楽しいので、ガソリン高騰も悪くない。
 いままで無駄に走っていたところが節約されるようになるでしょう。宅配便だって、ほとんどの場合、別に1日で届かなくたっていいじゃない。
 無駄に急いで無駄にエネルギー消費していたのを改めるいい機会だと思います。

 と、そんなわけで、午後4時、大町温泉郷の旅館「緑翠亭 景水」に到着。
 和風の温泉旅館は久しぶり。
 窓側が外の景色の見えるお風呂になっている。24時間お湯が満たされている浴槽は信楽焼。

 夕食の料理は板長さんの創意工夫が表現された味も見かけもすばらしいもの。
 難をいえば、量が多すぎるってことかな。こりゃあ太りそうだ。


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2008年06月19日

コザの魅力と難しさ

 人というのは、未知のものを見るときに、何か知っているものと同じものを発見し、まず最初にそこから類推して仮説を立てる。こういう場所はおそらくこうであろう、という具合に。
 この方法は十分に経験を積んでいる人なら多くの場合、それほど精度は悪くない。

 ただ、あくまでも経験を基準にする以上、経験したことのないものがあれば類推は困難になるし、群盲象を語るようにサンプル地点がちがうことで結論が変わることもある。

 時間として53年間生きてきているし、地理的にアメリカには60回くらい、その他の国や地域にも15ヶ国くらい行ったことがあるから、僕はそれほど世間知らずではないと思うけれど、コザはまったく想像を超えている。

 一言でいえば、平準化されていないために、ある測定結果をもとに延長線上に類推することがほとんどできないのだ。
 週末と平日でまったく異なる町になる。夜と昼とも全然ちがう。店の構えと中がちがう。夜でも、午後10時と午前2時は全然ちがう。

 見た目は、きわめてさびれている。都会と比べれば特にその差は大きい。
 都会なら看板のペンキが剥がれて読めなくなっている店はふつうまったく期待できないが、コザでは外装と店の満足度はほとんど独立していて無関係だ。なので、看板や外装で判断すれば、コザはただのさびれた活気のない町にしかみえない。

 週末だけオープンする店が有り、その店が特別なにぎわいをもつ。
 看板もボロいし、平日にどの時刻に通りかかってもつぶれて営業していない店に見えるだろう。営業している時刻に店の前に立っても掠れた看板に照明が当てられている程度で、まあ、それほど見栄えはかわらないかもしれない。
 だが、金曜の午後11時から午前2時にその店に行けば、チャージなしドリンク500円で、世界でも一流のロックを聴くことができて、アメリカ兵も日本人も入り乱れて熱狂している。

 午前1時にオープンし、午前2時からライブが始まって午前5時までそれが続き、ずっと満員の店がある。昼間はもちろん、午後10時に前を通っても、ただのつぶれた店にしか見えない。実際、僕は4年間もその店は営業していないと思っていた。

 たいていは午前0時に開くが開かないこともあるバーがある。
 何もないときはただ無愛想な店主が飲み物を出しているだけである。
 平日でも午後2時を過ぎると、カウンターに数人の客が並ぶことがあり、そのほとんどがプロのミュージシャンだったりする。それだけならそういう客層であるというだけだ。
 が、そこにアメリカ人がやって来て、壁のギターを弾いてもいいかと言いだす。
 彼は軽くつま弾き始め、やがてちょっと歌い出す。
 ライブハウスでもないのに、その店にはギターが3本あり、時には客がギターを携えて来店している。歌い始めたアメリカ人にカウンターの客が合わせる。代わる代わる全員がギターを持ちかえてセッションになる。
 ひとしきり終わってから、自己紹介をする。
 そのアメリカ人のことをだれも知らないがミュージシャンだというので、店のパソコンで検索してみると、全米でCDを500万枚売っているグループのボーカルだとわかる。彼に加わってセッションをした客はみなプロのギタリストだから、500万枚アーチストよりももちろんギターが旨い。
 口には出さないがビックリして帰ったはずだ。

 別な店では、カウンターの日本人客が、黒人兵にブルースギターの弾き方を教えているのを見たこともある。

 たぶん、そんな町は日本のどこにもない。
 コザはどこにも似ていないから、いろいろ類推するのがほとんど不可能だ。見た目はただのシャッター街で、実際、空き店舗も多いのだけれど、見た目からは絶対空き店舗だとしか見えないけれど、実は営業している店もたくさんあり、中ではそんなことが起きているのだ。

 貸店舗を返すときに原状復帰をしないみたいだから、多くの空き店舗にも看板が掲げられている。営業している店でも造作にほとんどお金をかけない。突然の夜逃げの店もある。
 ようするに、店が閉まっているときに、空き店舗かどうかを判断する方法がまったくない。確かめたかったら2週間くらいにわたって昼間や深夜や早朝など色々な時刻に定点観測してみる必要がある。

 これほど外観で判断できない町も珍しい。

 だからこそ探検が楽しいし、町はアドベンチャーに満ちている。
 その上、それによって発見できるもののクオリティがとても高いから、コザという町はものすごく魅力的なのだ。

2008年05月01日

税金を上げよう

 税金は安ければ安いほどいい、なんて僕は思わない。

 本当の弱者は守ってあげなくてはいけない。が、声高に「生活が苦しくなる」と文句を言っているひとの大多数は「贅沢ができなくなる」だけのこと。ほとんどの人は弱者を守る側の人であって、救われるべき弱者じゃない。
 ひとりあたり年間200万円くらいの収入で、健康であればそれで十分楽しく生きていける。(会社員を辞めて小説家になって身をもってそれを実証しているからよくわかる)

 本当に貧しい人を守ってあげるためには、十分生きていける人からはもっと税金を取らなくてはならない。単純に計算すればわかることだ。弱者救済は必要で、それを実行するには多くの人が自分の暮らしをどこかで切り詰めて財源を確保する必要がある。

 最近話題の暫定税率は一日に換算すると60億円。(20万円のマッサージチェアに換算して毎日3万個分
 税金の無駄遣いはおおいに気に入らないが、道路特定財源の無駄遣いを全部やめても、それを補うことはできない。無駄な道路建設はやめて欲しいが、それにしてもこの財源の多くの部分は新規の建設ではなく既存の道路などの保守費用だ。つまり、ガソリンの税金をなくしてしまったら、道路を荒れ放題にしておくか、教育か福祉か産業振興かなにかしらの費用を減らさなくてはならない。

 つまり「税金を上げる前に無駄遣いをやめろ」は理屈に合わない。無駄なマッサージチェアだの天下り役人の高額な退職金など全部やめても、暫定税率を元に戻さなければ全然足りないのだ。

 つまり無駄遣いを減らすのは当然としてもあくまでもそれとガソリン値上げは別問題なのだ。
 無駄な橋や道路の建設をやめるにしても、そんなには節約できない。
 結局「税金〈も〉上げて無駄遣い〈も〉やめろ」しかありえないのだ。

 むしろ、税金上げてもいいからもっと教育や医療や福祉に金をかけて欲しいと僕は思う。

2008年04月25日

なるほどコンビニエント

 20年もののバイク GB250 Clubman を知り合いのメカニックにメンテナンスしてもらって再び乗り始めたのがちょうど1年前のことだ。
 自賠責保険も満期を迎える。

 幸いなことに4月から保険料が安くなった。
 どちらにしても期限が切れる前に保険を更新しなければならない。で、コンビニで自賠責保険に加入できるとわかって、プールの帰りにセブンイレブンに寄った。
 大きなコピー機に液晶タッチスクリーンがついている端末があり、そこで、ナンバープレートの内容、車体ナンバー、住所氏名などを入力すると、紙が出力されて出てくる。
 それをもってレジで保険料を払うと、レジで、「保険のしおり」とナンバープレートに貼るシールをくれる。
 さっきの端末にもどり、さきほどプリントアウトされた番号を入れると、保険証書がプリントアウトされて出てくる。
 保険加入の方法としてこれ以上簡単な方法はないし、数分で、保険証書まで即日発効というスピード。

 コンビニってすごいな。

2008年03月15日

日本の凋落

 資料として送ってもらったビデオを見始めた。

 ビジネスの世界で日本とアメリカの差があまりにも大きく、その差は開いていくばかりだ。
 さらに、日本は市場としての魅力も中国にかなわない。だからお客さんとしても、ゆっくりと、いや、ひょっとしたら急速に見捨てられつつある。
 世界の企業から相手にされず、日本の企業は中国というフロンティアでも勝てない。
 このままでは、五年後ですら日本はひどいことになってしまうだろう。

 一番の問題は、日本国民がそういう危機にいるということをちゃんと認識していないということ。
 これは相当なピンチだ。

 勝たないで幸福になるシナリオもあり、それを選ぶのならそれはそれですばらしいと僕は思うけど、実際はそういうわけでもなく、ただ負け続ける国になっていくように思う。

 目の前で起きていることを、なんで見ようとしないのだろう。

 資源のない加工貿易の国、電子立国、勤勉な日本人、そんな「標語」や「モデルの捉え方」は全部、とっくに過去のものだ。

 世界には資源も技術も労働力もある。

 日本がそういう世界を利用していかなくてはならないのに、日本は日本の中でまずやろうとしている。その時点で、もうほとんど負けが決まってしまう。

 スポーツの世界でもぱっとしないのは、やっぱり時代遅れなやり方しかしていないからだ。プロ野球はほんとに日本の縮図なのだな。

 調べものをしていたら、また、暗澹たる気持ちになった。
 少なくとも、それを認識している僕が、日本に何をできるだろう。

"Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.", by John F Kennedy
 JFKがこういったのは1961年のことだ。

「愛国心とは、国の為に戦争に行くことではなく、自分の手で国を造ろうと思うことである」(阿川大樹)(2008)

2008年03月09日

高橋尚子というプロフェッショナル

 昨日、久しぶりにマラソンを始めから最後まで見ました。

 高橋尚子さん、立派なアスリートであることはたしかだけれど、実際は2005年以来めぼしい成績を残していない。であるのにみんながどうしてそんなに期待するのかよくわからないのだけど、やっぱりダメでしたね。

 彼女はプロなので、自分でダメだと思っていても、大丈夫な振りをして期待を引っ張るのが仕事です。そういう意味では、立派な仕事をしたと思います。
 走り出してすぐにやっぱり北京はだめだと思っただろうけど、彼女の場合、走っていさえすれば映像には出るので、勝ち負けとは別にスポンサーの為にも走り続けるべきなので。
(実際、本人も完走したかったのだとは思いますけれども)
「マラソンのプロ」というのは、走って賞金をもらうというよりも、広告塔としての役割であるところが、野球やゴルフやテニスとずいぶんちがうところです。

 昨年の負傷+手術というのは、別に彼女が特別不運なのではなくて、アスリートというのは、そうやって怪我と戦いながら生きていくのがふつうのことなので、なんかそれを賛美するような風潮はいやです。
 マラソンを6時間かけて走る市民ランナーも、仕事が忙しいお父さんも、みんなそれぞれのレベルで「故障」と戦いながら同じようにがんばっている。高橋尚子さんのように光の当たる人だけががんばっているわけじゃない。 彼女と同じくらいがんばっている人は、ものすごくたくさんいる。
 少なくとも何かに夢をもっている人は、ふつう、そういうふうに時分のためにがんばっている。高橋尚子が特別だとは僕は思いません。

 彼女の場合、1998年から2002年まで、すばらしい成績を残していたということは、逆に肉体をぎりぎりまで酷使してきたわけなので、不運なのではなく当然の帰結として、故障することになって、それ以降は2005年に優勝はしたけれど、そこを最後にもうトップランカーとしては走れていませんでした。

 すでに十分な成績を残したアスリートであることを評価するのは当然として、だからといって、結果がすべての世界でその後まで美化するのは、僕は好きじゃないです。アスリートを努力で評価するなら、彼女以上の人なんていくらだっている。

 一方、スポーツタレントとしてみれば、実力がなくなってからも二年以上、(2002年から勘定すれば5年以上)これだけ商品価値を保っていたのは、プロとしてすばらしと思います。


 アマチュアフットボールプレイヤーの僕は、右足首捻挫からゲーム復帰まで1年半かかりました。
 腰の手術から6ヶ月経って、昨日は、仲間がゲームをしているところまで行って、フットサルコートの外で、一人で、走ったり、ドリブルの練習をしたり、ストレッチをしたりして別メニュー(笑)で調整していました。
 全体に筋力がないので、機敏に動けないのと、足の筋力がまるで続かない。
 ゴールに向かって何本かシュートを撃ってみたけど、全力では蹴れないし、体をひねって90度の方向に蹴るのはきつい。

 アマチュアの特権なので、ゆっくりやろうと思います。

「あきらめなければ夢は叶う」
 僕にとってはあまりにも当たり前のことで、ずっとそう思って生きてきているので、彼女を見ると、なんだかそういう説教臭さに反発してしまいます。
 でも、彼女の言葉で実際に元気づけられる人がたくさんいるのは事実らしく、つまりそれは、「みんないろいろなことをあきらめて生きているんだな」ということであり、小説家としては、その「ままならぬ人生の切なさ」は大切に捉えたいと思います。
 と同時に、あきらめてしまっている人の多くが、高橋尚子ほどの努力をしないであきらめている。
 憧れていないで、自分が高橋尚子になれよ。
 彼女の言葉や生き方に感動していないで、自分で努力して夢に向かって進めばいいのに、「Qちゃんから元気をもらった」なんていいながら、少しも努力をしない人がたくさんいるんだよね。

 脱稿した歌舞伎町の小説は、野心(夢)を待つことで大きなものにつぶされる女性の物語です。

2008年03月05日

ビジネスモデルの栄枯盛衰

 mixi のご乱心は、おそらく、世の中の流れであるSNSのAPIの公開の本流に乗るために必要な措置として狙ったものだろうと思っています。

 クローズでああることで会員が増えたmixiは1000万人の規模になって会社として成長するにはクローズであることが足かせになっている。だから、外との接続性を確保したい。
 コンテンツをちらりと外の人に見せたいわけですね。
 
 しかし、これを打破してしまうのは自己否定であって、mixi の本質である非公開や限定公開とはもともと相容れないものです。

 会社というのにはも寿命があってしかるべきで、いつまでも続くのがいいわけではないのだけれど、瞬間々々は明日どうしようであり、株主にどうこたえるのかという答も出さなければならない。

 正解はたぶん、次の事業を別会社で興して、そちらに投資し、本業が衰退する前に、そちらが興隆したところで、古いビジネスはだれかにシナジーでより価値の出る相手に売り飛ばして現金化して、新しいビジネスにスイッチする、ということだと思います。
 会社を売る、買収される、のは、成功の一種でよいことなのだけれど、日本ではそういう感覚はあんまりないので、従業員もえらい反発したりする。経営者まで反発したりして。

 事業に寿命はあるのだから、会社がそれで衰退するのを流れに棹をさしても止められるものではなく、会社は古いものをじょうずに捨てながら新しい柱をどうにかしてつくらなくてはならない。
 それをするのが経営者ですが、実態は「予想以上の市場の変化があったため」などと業績の悪化を、自分のせいではなく「世の中が悪いのよ」みたいにいうことが多いのですね。

 たとえば、ソフトバンクはそうやって、いろいろ新しいことを取り入れている。個人的に好きではないけれど、孫正義さんは、経営者としては松下幸之助級の歴史に残るような経営者だと思います。
 ほんの一例ですが、旧国策企業の NTT Docomo や KDDI を相手に、Softbank の携帯電話は十ヶ月連続純増数 No.1 ですからね。

 日立東芝NECなどの古いエスタブリッシュメントは、自分のなかで多角化するのだけれど、これは効率が悪いし、競争力が弱い。

 mixi のまま、会社を伸ばすのではなく、まったく別なことを始めるしかないんだよ、笠原さん。
 と、まあ、そういうことなんじゃないかと思います。

2008年03月04日

mixi規約改定

 mixi が会員とのあいだの契約である利用規程を改定しようとしているのが3月3日付けで告知されたのですが、4月1日からこんなことになるという、とんでもない内容を提示しています。

第18条 日記等の情報の使用許諾等

1)本サービスを利用してユーザーが日記等の情報を投稿する場合には、ユーザーは弊社に対して、当該日記等の情報を日本の国内外において無償かつ非独占的に使用する権利(複製、上映、公衆送信、展示、頒布、翻訳、改変等を行うこと)を許諾するものとします。
2)ユーザーは、弊社に対して著作者人格権を行使しないものとします。

つまり、これは

1)友人限定、あるいは、会員限定であることを前提に書いたものも含め、日記やコミュニティに書いた文章を、mixi が自由に外部に公表できる。
2)その際に、改変することもある。
3)発表しても対価は払わない。
4)発表の際、著者の氏名の表示もしないかもしれない。
5)発表の際、改変されたものに著者の氏名表示が為されるかもしれない。

ということです。

 しかも、過去に書いたものにもこの規定は適用されるという。

 私としては、著作を生業とするものとして、この条件は到底、許諾できないので、過去に書いたものも含め、大幅に削除するしかないですし、今後、書き込むものもこの条件を考えた書き込みにならざるを得ません。

 そうでなくても、友人限定の日記を外に公開されたらたまったもんじゃない。
 自分のプライバシーだけでなく、日記の登場人物のプライバシーも侵害されます。

 それに怒った会員も多く、あっというまに数千人規模の反対運動が起きて、mixi もあわてて火消しにまわっていますが、新しく条文を提示しないと、この騒ぎはとうてい収まりそうにありません。

 外部のメディアにもこのことは報じられています。

 ただ、そこでの内容は「日記が勝手に出版されてしまう」というような観点で書かれたものが多く、それ自体は間違っていないにしても、本質的なことではありません。

 出版するに値するものはそれほど多くはないので、影響の及ぶ範囲は限定的です。(阿川のような著作を生業としているものにとっては重大なことですが)

 重要なことは、「限られた人にしか見せないつもりで書かれたもの」を、mixi が改変する権利をもったまま自由に公表する権利をもつような条文になっている。しかも、この規定が適用されるより前に書かれたものにまで、それが適用される。

 mixi には、DVで夫から逃げてきている人のコミュニティもあれば、性的マイノリティの人たちのコミュニティもあります。非公開であるからこそ、安心して悩みを語り合ったり、情報交換をしたりできていたものが、突然、mixi 運営側に、自由に公表する権利がわたってしまうわけで、これは「勝手に出版」うんぬんではなく、ひとりひとりのプライバシーの問題です。

 そんこともあって、退会する人が続々と出ていますし、閉鎖になったコミュニティもあります。
 mixi は、投資格付けが下がって株価が下がったところに、追い打ちをかけるように失態を演じています。

2008年02月23日

沖縄と米軍

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 沖縄市の女子中学生がアメリカ海兵隊員から暴行を受けるという事件が起きました。
 米兵が中学生を誘った「サーティワンアイスクリーム」があるのが上の写真の「コザミュージックタウン」です。

 事件が起きて、外出禁止(オフリミット)になり、嘉手納基地の門前町であるコザ(沖縄市)がガランとしている、という報道がなされ、アメリカ兵向けの店が並んでいる空港通りやかつてそういう店が密集していたセンター通り(旧BCストリート)の映像がテレビで流されます。

 ところが、「米兵がいなくなってひっそりとしています」という映像は、いつもの風景とかわりがありません。あのあたりは、週末の夜以外はいつだってひっそりとしているんです。
 毎日のように兵隊で賑わっていたのは、ベトナム戦争の頃まで。
 日本中にあるシャッター通りと同じなのです。

 それにしても、平日の、しかも昼間の、いつもながらの映像を撮って、「事件の影響で人通りが絶えた沖縄」だと報道するまるでインチキなテレビ。都合のよい映像に都合のよい説明をつけて流して、どこが報道なのでしょうね。

 下の写真は、外出禁止でない、2004年と2007年のセンター通りとゲート通りです。

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2008年02月17日

東芝経営陣を讃える

 次世代DVDの規格として、HD-DVD と blu-ray が競争を繰り広げていました。
 まだユーザーへの導入が始まったばかりですが、昨年末までで blu-ray が圧倒的なシェアを確保したと聞いていました。しかし、まだ、ほとんど買った人がいない、市場としては黎明期。
 しかし、 HD-DVD を推進している東芝は撤退を決めたようです。

 かねてより、ハードディスク録画、衛星や光ファイバーでニアーオンデマンド、の時代になるので、ブルーレイかHDDVDかは、基本的にどうでもよいこと、という主張をしてきたので、ブルーレイが勝ったということには何の感慨もないのですが、この件でいちばん感動したのは、この時期に早々と撤退を決めたということです。

 一度始めた大プロジェクトを畳む決断がどれだけむずかしいか。
 会社を経営したことのある人でないとなかなか直感的にはわからないだろうと思うのですが、自分の判断で何百億の損失を確定させ、工場の操業を停止させる、という決断はなかなかできるものではありません。

 この時期の東芝のこの決断は日本の経営の歴史に残る大英断だと思います。
 かなりスゴイです。

 決断の背景には、勝ってこの市場の100%とってもその規模はたいしたことはなく、かつてのビテオテープのように各家庭に1台入るようにはならないであろうという予測もあったかもしれません。
 現に、うちも買うつもりは全くない。
 コンテンツを受け取る側では、多チャンネル化した放送とネット配信で十分ですし、家庭での保存もディスクに焼くよりも、ハードディスクにしまっておいたほうが便利だし、足らなければUSB接続などのハードディスクを増設したり差し替えた方が使い勝手がいい。(我が家のはまだそうではないけど、HDDレコーダーもその方向に変わってきています)

 そもそもオンデマンドでいつでも見ることができるのなら、保存する必要すらないんですよね。
 有料コンテンツなら、ライセンス情報だけ保持して、それを参照してそのつどダウンロードなりストリーム再生なりすればいい。保存が必要なのは、自分で製作したコンテンツくらいですが、それこそハードディスクでいい。

 というわけで、もともと不毛なあまり意味のない競争だったと思います。
 勝ってももうからない競争にお金をつぎ込むのは馬鹿げています。
 
 そういう読みを含めて、早期に撤退を決めて損失を最小限に抑えた東芝経営陣の判断の素晴らしさに、敬意を表します。これはもう絶賛すべきです。

2007年12月24日

wii + wii fit 任天堂の偉業

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 クリスマス・イブ。
 昨日、ヨドバシで注文した wii + wii fit が本日午前9時過ぎに届いた。
 注文から20時間しか経ってない。すごいな最先端の流通。

 午後3時くらいから夫婦で3時間ほど遊んじゃった。
 軽く汗ばむので、夕食の時まで暖房がいらなかった。

 体動かさないと頭も働かない、というときがある。
 特にバランスを取るという意外に体幹をしっかりつかう運動ばかりなので、僕のような暮らしには、かなりいいかもしれません。
 最初、慣れないこともあってバランス年齢が「+13歳」で「げっ」と思ったけど、1時間ほど遊んでからもういちど測ったら「-14歳」と、一気に27歳若返った。ほんとかよ。(やる気を出させるためのおべんちゃらだろ)

 どうやら、静止時のバランスはほとんど完璧。意図的にずらしていくのは、けっこう苦手、片足立ちは軸足の左はいいけど、右だと不安定。
 重心の位置を中間位置で自分の思ったように思った精度で動かすのはなかなかむずかしいのだ。

 すでに自分のアバターに愛着を感じ始めています。(笑)

 しかし、デザインも大人向けにできていて、wii は、すごくいい商品だ。
 ソニーの Play Station に於ける戦略の間違いが、ほんとに力任せでダサイものだったということがわかってしまう。任天堂はまったく新しいホームエンターテインメントをいいかたちで産み出した。
 これは、かつてのウォークマンに匹敵する画期的な「発明」だと思う。
 鉄腕アトムの頃に描いた、21世紀の姿は、Play Station 3 よりも wii が体現していると思う。「生活のなかの先端技術のありかた」という視点。

 深夜から明け方にかけて、年賀状200枚の印刷。
 他に妻が150枚出すので、我が家の年賀状は合計350枚。
 妻と僕とは別人格なので、一人の方にそれぞれから年賀状が別に届くこともあります。(て、当たり前のことだと思うけど、意外にそういう受け取り方をした経験はないなあ)

 我が家はクリスチャンでも商売人でもないので、クリスマスイブのイベントは特になし。

 よく、「クリスチャンじゃないのに騒ぎすぎ」という人がいるけど、そもそもクリスチャンはクリスマスに騒がない。一方、宗教にかかわらず商売人ならあらゆる機会をうまく利用するのは当然だと思う。消費者としての自分はそれに乗るつもりはないけど、クリスマスは(宗教行事ではなくとも商売の機会として)騒ぐべきだ。
 イスラムのイベントもヒンズーのイベントも、どんどん掘り起こしてやったらいいんじゃないかな。

2007年12月14日

負の遺産を資産だと考える若者たち

 2005年まで、横浜の黄金町の大岡川沿いには売春宿が並んでいた。
 春を売るビジネスは行政により一掃され、小さな店舗が残った。
 国際的な観光都市であり、お洒落な町として人気の高い横浜市としては、その歴史は汚点であるらしい。

 もちろん法を犯していい筈がない。が、誰でも知っているその地域は2005年までたしかに売春宿であり、夜、そこを通れば小さな小さなそれぞれの店の前には、挑発的な服装をした外国人が、学園祭の芝居小屋のように、蛍光灯にピンクや青のセロファンを巻いた照明に照らされて立っていたのだ。
 15分とか30分とか、わずかな時間にセックスを売るその場所は「ちょんの間」と呼ばれていた。
 法律はなにも変わっていないが、2005年を境に、行政はそこを「再開発」することにしたのである。いまその歴史自体も消してしまいたい負の遺産であると行政は考えているらしい。

 往時には月70万円はしたといわれるそのあたりの空いた店舗は、いまは家賃5万円で、まがりなりにも飲食店の設備が施されているから、若者がわずかな資金で店を開くことができる。
 金はないけれど実現してみたいアイデアをもった若者が、「消し去りたい負の遺産」を「文化遺産」という「資産」だと考えた。
 この町の町おこしをしてやろうじゃないかと考えた若者がいた。

 そう、新宿ゴールデン街も、都橋商店街も、ほとんど同じ空気をもっている。あるいは新橋のガード下だってそうだ。僕はゴールデン街で飲んでいる億万長者を何人も知っている。何十億円の買い物をした人が、同じ夜、1500円の飲み代を奢られている場面だって目撃したことがある。
 もちろん、いかがわしい悪の巣窟などではないし、ただの貧乏人の巣窟でもない。
 猥雑な空気こそが資産であるというのは、そこに集まる人たちが多くいることが証明している。それを積極的に必要としている人間が少なからずいるということなのだ。

 画一的なクリーンさを求め、過去の歴史をできれば封印してしまいたいと考えた行政と、その町を面白いと思った若者たちは、どうやら、どこか相容れないところがあったようだ。

 夜の9時、僕はそんな若者たちに初めて巡り会い、午前3時まで語り合った。
 ものすごく楽しかった。
 彼らのやろうとしていることは正しい。
 どうしたら、あの町を本当の意味で守っていくことができるのか、僕の頭は回り出している。


以下、彼らの好意により、ちょんの間の中を撮影させてもらった

 建物はものすごくきれいだ。
 同じように以前は青線だったゴールデン街は売春防止法(1956年)施行から立て替えられていない木造建築であるため、かなり老朽化している。だが、黄金町は2005年まで現役の売春宿であり、現代の衛生観念にそってリニューアルされている。
 飲食店であるはずなのに、トイレにシャワー設備があるのが、「そのため」の店であったことを物語る。
 店の裏口も道路に面している。万一の時も逃げ出すことができる構造だ。
 今は月5万円の家賃も、かつてはこの狭さで70万円。つまり、それだけの「上がり」があったということだ。
 物件によっては、ひとつの店の、土地と上屋、さらにはカウンターと二つの部屋が、それぞれの別の所有者になっているという。さらには日本にいない外国人の所有になっていることもあるという。
 このような権利関係の複雑さは、女一人と部屋ひとつが、それぞれにビジネスユニットであったことの名残であり、またそれがこの地区の再開発をむずかしくしている。

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 短いスカートの女が客を伴って昇ったであろう狭くて急な階段

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 壁から壁まで人が横になるぎりぎりサイズのベッドで占められている部屋。
 もはや売春宿ではないので横になっている男性は「客」ではない。(念のため)

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 小さな窓の外は大岡川。春にはサクラが咲き誇る名所だ。

 昼間の外のようすは、こちらの関連エントリーで。

2007年12月05日

飛行機の座席の決め方

 今回の沖縄行き、いつものANA127便、席はいつもの76H(二階席前から6列目通路側)。帰りも同じ席をとっている。
 通路側の方が足下が広い。窓側を好きな人が多いおかげで、座席が3つ並んだ列の通路側を真っ先に予約すると、隣が空席になる確率が高い。
 空いているときには3つ独り占めにできる可能性も高い。もしそうなれば、肘掛けを跳ね上げると横になって眠れる。そうするとビジネスクラスよりむしろ快適だ。ただし、シートベルトをふつうのやり方ではできないので乱気流に注意。
 トイレも行きやすい。客室乗務員のサービスも受けやすい。頭上の荷物入れにちょうど手が届く。脱出用のドアから2列目で歩いて6歩くらいだから、いざというときの脱出の際も生き残りやすい。

 窓側は外が見えるという以外には何のメリットもない。そもそも、ほとんどの時間、見えているのは雲ばかりだ。でなければ暗闇。

 二階席は搭乗ゲートからも近いし団体客に遭遇しにくい。逆にデメリットは頭上の風切り音がうるさいこと。(対策は、ヘッドフォンステレオで耳を塞いで毒をもって毒を制す)
 ちなみに、ふたりで旅行するときは、真ん中を空けて通路側と窓側をとると、(他が空いているのにわざわざ真ん中を選ぶ人はいないので)3つの座席を独占できる可能性が高くなる。万一、真ん中に人が来たら、現場で代わってもらうように頼めば、ふつう拒む人はいないので問題なし。

2007年11月14日

売春飲食街 黄金町/初音町

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 次の次、第4作に予定してる小説の取材。
 横浜大岡川沿いの黄金町から初音町にかけて桜通といわれる場所があり、そこは2005年に排除されるまで、「ちょんの間」と呼ばれる売春宿街だった。

 聞くところによれば、15分3000円とか5000円とか。 (ながい歴史のあることだからたぶん調査時のちがいだろう)

 間口は自転車の長さほど。
 看板には「スナック」とあり、なかにカウンターはあるが、そこで酒を飲む人はいない。一番奥の狭い階段を登ると二階にセンベイ布団が敷かれた部屋があるわけだ。ドアの形は多少違うが、建築様式はきわめて似通っている。

 2002年ごろには、夜になると、白人女性(東欧系)が店の外に、ボディコンとか超ミニで立っていて、ピンクや青の蛍光灯で照らされていた。肌が白い彼女たちはそんな光で現実感のないSFかCGの世界の女みたいに見えたものだ。
 路地の向こうとこちらのエンドには用心棒と思しき男性がそれとなく立っていた。推測されるその役割は、狼藉者の排除、女の逃亡防止、警察の手入れの検知。
 女性はコロンビア人やタイ人が多かったという人もいる。

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 2005年、行政によって一掃された売春宿は、いわゆる再開発が起こっている。が、イメージの悪い街の狭くて小さな物件、つまり、安い家賃によって、若者たちにビジネスチャンスを生んでいる。
 新しい店の中を覗くと、かつての室内の構造がよくわかる。

 大岡川を隔てて二本ほど伊勢佐木町よりの通りを若葉町といい、そこはタイ人街である。
 10kg入りのタイ米が買える小さなマーケット。
 タイ料理の店が点々と並ぶ。
 そのなかの一軒に夕食に入った夜9時過ぎから11時前まで、店の中はタイ語しか聞こえてこなかった。
 大きなスタイリストバッグをふたつ、重そうに両肩にかけた女が、店の主人のところに、音の出るぬいぐるみを行商にやってきた。会話はやはりタイ語だ。
 しばらく彼女の顔をじっと見つめて話を聞いていた店の主人は、やがて顔の前で手を振って「いらない」と意思表示をした。
 一晩にいったいいくつ売れて、彼女の収入はいくらになるんだろう。
 午後10時現在、彼女のバッグははち切れんばかりだった。

「ちょんの間」の内部を撮影した関連エントリーは こちら

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2007年07月19日

ソニー iPod の周辺機器に本格参入

 ソニーが iPod の周辺機器に参入するらしい。
 平たくいえば、iPod が接続できるオーディオ機器を発売するということだ。

 ベータ、メモリースティック、ブルーレイ。
 ソニーの衰退は「自分の規格のユーザーへの押しつけ」の歴史によるものだった。

 新しいものを産み出すことと、それをユーザーに押しつけることはおなじじゃない。新しいものを産み出すことはリスペクトされることだけれど、ソニーは他のそういう人へのリスペクトがなかった。ユーザーへの親切心も持ち合わせていなかった。
 よいものを提供することで支持されようとするのではなく、囲い込むことで、ユーザーの自由を奪うことで、自分のポジションを作ろうとしていた。
 そんなソニーだったから、ユーザーが離れていったのだ。

 相互運用性、相互接続性、互換性、それらこそが時代に(つまりユーザーに)もっとも必要な、欠くことのできない「性能」なのだから。

 iPod のよさに対して、謙虚になれたことはソニーの大きな進歩だと思う。
 ウォークマンは、コンパクトカセットテープというオープンな規格の中で画期的な商品をだして成功したではないか。それがソニーだったのに、いつから独自規格の囲いこみに走る会社になってしまったのだ。
(多かれ少なかれニンテンドーの成功に影響されたのだと思うけれど)

 とにかくソニーがユーザー無視の囲い込み戦略から脱皮してきているのを喜びたいと思う。