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2011年11月30日

足かけ3年の「インバウンド」

 "STORY BOX" で連載している「インバウンド」は、もう10回以上、編集者とやりとりをして直している。
 最初に編集者と一緒に沖縄に取材に行ったのは2009年の4月の終わりだった。もう足かけ3年だ。

 今回もいろいろと意見交換の末、細かな修正。
 編集者の執念もたいしたものだが、こちらも意見を譲ったり譲らなかったり、お互いに真剣に向き合って、妥協をしないでいいものを作ろうとしている。

 もともと単行本で刊行する予定で始めたものだが、プロジェクトが長期になったこともあって、連載という形で世の中に出して、改めて単行本にまとめるという形に落ち着いた。

 小説家がどんなに精魂を傾けて書いていても、本にならないとまったく無収入なので、長い期間にわたって何度も書き直していても、それだけでは一銭も僕の懐に入ってこない。
 連載になれば、掲載の都度、原稿料が入ってくるし、それが本になった時点で改めて印税が入ってくるので、こちらとしては経済的に大変ありがたく、出版社としては先に一度商品化ができるということにもなる。

 そんなこんなでとても長く関わっている本作もそろそろ最終フェーズ。
 プリントアウトして第4章以降を見直しつつ手を入れているここ数日だ。

 来年の春には単行本の形になる。

2011年11月22日

短編小説「自販機少女」 発表

月刊「問題小説」12月号(徳間書店)が発売になりました。

阿川大樹の久々の短編(50枚)「自販機少女」が掲載されています。

午前3時半、新宿の自販機の前に立つ研介に足らない50円を差し出した少女との6時間ほどの物語。

2011年06月10日

お仕事のちょっと生々しい話

 午前10時過ぎ、枕元で携帯が鳴る。
 S社の編集Sさん。

 午後1時半に横浜駅近くで会って、連載小説のゲラを受け取る。
 7月6日発売の小説誌の巻頭に掲載と。ありがたいことです。
 ただし、原稿料は想定範囲内の下の方。
 連載、単行本、文庫、とこの長編には3度稼いでもらえるので、とりあえずそれがありがたい。
 小説家のビジネスモデルはこのパターンが基本。

 いままで、単行本から文庫、連載から文庫、と2回しかお金が入ってこない形だったので、やっと基本パターンに。

 ただし、これから着手するK社の長編は文庫書き下ろしなので、1回しかお金が入ってこないパターン。

 もちろん、重版がかかれば、その都度、印税が入るけれど、世の中の99.9%の本は初版だけで増刷されないので、ビジネスとしてリーズナブルにカウントできるのは初版だけ。重版印税は想定外のボーナスくらいに考えておかなくてはならない。

 ちなみに小説家の所得は実際にどれくらいの収入になるかが事前にわからず、場合によって上下にものすごく変動があるので、税法上は漁業者と同じ「変動所得」という区分になっている。
 船を出してもまったく魚が捕れないこともあれば、どんとニシン御殿が建ってしまうこともある、そういう業種だということです。

 僕くらいの知名度の作家の場合、単行本よりも部数が出る文庫はプレゼンスを上げるための媒体としてはよいのだけど、一方で、労働に対する収入という観点からは文庫書き下ろしばかりでは、生活が立ちゆかない。
 それでも、つきあいのある出版社/編集者の幅を拡げていくことも、小説家として生き残る為には重要で、つきあいのなかった出版社との仕事もできるだけ受けて、パイプを太くしていかなくてはならない。
 もし一社としかつきあいがないと、担当編集者が社内で異動になったり退職したりしたとたん、まるっきり仕事がなくなってしまうことだって考えられる。

 そんなこんなを考えるのも、書くのは自分一人で、書くことのできる量は限られているので、プロモーション/マーケティングと収入のバランスを常に考えておく必要があるからだ。
 
 それにしてもゲラは編集のコメントで真っ赤っか。
 着手するにはちょいと気を引き締めて勢いをつけないと、心が折れてしまう。

2010年11月07日

芸の肥やし

 先日来、肋骨骨折で不自由かつ痛い思いをしている。
 咳や笑いが激痛をもたらすので一番辛い。
 痰が喉にからんで苦しいとき、ふつうなら大きく咳をして喉から剥離させたりするわけだけれど、そんなことをしたら床に倒れ込んでのたうち回ってしばらく動けなくなるだろう。

 であるけれど、その不自由さも、痛さも、不自由さの中で細かな工夫でわずかな自由を獲得していく創意工夫も、すべてが新鮮で楽しくもある。
 ようするに、すべては小説を書くのに必ず役に立つ。芸の肥やしなのだ。

 小説家というのは得な職業だ。

 某有名作家が「拉致されてみたい」といって顰蹙を買ったということがあったらしいけど、その気持ちはとてもよくわかる。
 僕だって、(あくまで最後に助かるという条件つきだけど)乗っている飛行機がハイジャックされたり、タリバンに誘拐されたり、そんなことを心の奥底で望んでいたりする。

 こう公言することで、けしからんという人がいるかもしれない。

 しかし、実際、そう思っているという真実は動かすことができない。
 公言しなくても、僕はそう思っているようなけしからん人間なので、どうせなら公言してしまう。

 そんなわけで、平穏な生活よりもピンチに遭遇することを歓迎している。

 ちょうどいま、横浜みなとみらいはAPECのおかげで戒厳令の町になっていて、はなはだ迷惑かつ不便なのだけれど、やはり、そういう非日常は大好きなのである。

 子供の頃、台風が来るとワクワクしたあなた!
 もしかしたら、あなたは小説家に向いているかもしれませんよ。

2010年09月10日

京浜急行でいこう


 京浜急行品川駅の駅員さんだという女性が、スタジオにやって来たので、少し話をして、「D列車でいこう」を差し上げました。

「面白かったら、職場の人に宣伝してください。
 貸さないで、買ってと言ってくださいね」

 ちなみに「D列車でいこう」には京浜急行も登場します。

2010年05月27日

「歌クテル」に対談掲載

「歌クテルWEBマガジン」に、「アンダーグラウンド定点観測 feat. 阿川大樹」と題して、歌人・日野やや子さんとの対談が掲載されています。

 黄金町という町のこと、阿川大樹の小説観、創作の秘密(笑)なんかを、二回にわけて掲載。

2010年04月30日

連載小説「第三企画室、出動す」一周年

 昨年の5月11日から始まった「第三企画室、出動す」が連載1周年を迎えた。

 小説の連載は阿川大樹として初めてで、しかも、周期が週刊というヘビーな(当社比)連載ができるだろうか、と不安もあったけれど、編集担当者のサポートのおかげで、一年間で第52話まで迎えることができたのは感慨深い。
 すでに分量でいえば400字詰め原稿用紙換算で700枚になっている。
 その間、日経ビジネスオンラインという経済記事中心のメディアで、異色であるフィクションコンテンツであるにもかかわらず、読者のみなさんから愛想を尽かされることもなく、むしろ、固い支持をいただいてた。

 根が理科系なので数字があると分析してしまうわけだけど、第52話は掲載日のアクセス順位が2位、本日金曜現在の週刊ランキングでも8位と、著者も驚く検討ぶり。

 掲載日である火曜日の順位だけでなく、水曜日木曜日金曜日になっても20位以内に残っているということは、たとえ他の記事を先に読んでも、「第三企画室」は、あとからでも忘れず読んでくださっているということで、著者としては本当にうれしい限りだ。
 さらにいえば、午前0時掲載のコンテンツが、午前2時や午前9時台にアクセス3位以内になることが多い。午前0時の掲載を待って真っ先に読んでくださる読者や、オフィスに出勤してすぐに読んでくださる読者もまたたくさんいる、ということだ。
 
 本当ににありがとうございます。

 作者としては、少なくとも読者のみなさんのお仕事の妨げにならず、望むらくは、なにかしらの糧になってくれればと願うばかりだ。

 毎週小説の〆切がある、というのは、まだ駆け出しの阿川にとって、精神的にも肉体的にもなかなかシンドイことではあるのだけど、多分、小説を書くという行為に、慣れてしまったり楽ができてしまったりしてはいけないと思うので、これからも「慣れていなくて苦労する」状態を保ちつつ、がんばりたいと思っている。

 「第三企画室、出動す」は、こちら から

2009年12月08日

阿川大樹の原点

 本日、12月8日は、僕の小説家としての原点の日。
 粛々と原稿に向かいます。

 原点についてはこちらに。

2009年09月14日

『八月十五日の夜会』蓮見圭一 新潮社

 連載から書き下ろしに頭を切り換える緩衝の日。

 ゆっくり目に出勤。
 途中、桜木町の松屋で牛丼(並380円)。

 久しぶりに小説を読もうと思い、ちょうど先日、著者本人からいただいた「八月十五日の夜会」(蓮見圭一 新潮社・刊)。
 小説らしい小説。

 途中、伊勢佐木町へ出て、通帳の記帳。
 あと、ガムテープ(580円)。
 ローソンストア100で買ったのを使って、荷物を送ろうとしたら、10分ほどで段ボールからテープが剥がれてくる始末。
 100円ショップで失敗したことないんだけど。

 ちなみにローソンストア100のレギュラーコーヒー(85g 105円)が小口で使い勝手がいいうえに、けっこう美味しい。

 午後7時少し前、当の蓮見圭一さんと、T書店T編集長が来訪。
 近くの一流のB級中華料理店「聚香園」で食事。
 伊勢佐木町を歩いて吉田町まで。
 そこで正統派バーにて、午前2時前まで。
 小説論、アートについて、などなど、高校生のように語り合った。

 と、書いてみて、みんな高校生の頃にそういう話をするものなのだろうか、とふと疑問になる。
 僕が高校生の時の話題といえば、政治とアートとセックスのことばかりだったのだけど。

2009年02月18日

プロフェッショナルの試金石

 家に籠もって連載の原稿。

 午後、三重県の知り合いから大量の「サンマの一夜干し」が届く。

 原稿のほうは、全体のイメージが固まっていないままの現在の段階で、3日で1本書けている。まったく無理はしていないので、いまのままでも2日に短縮することはできそう。これなら回っていきそうな感触にはなってきた。慣れれば1日1本に近いペースで行けるような気もする。そうすれば小説の連載を同時に2本もちながら、並行して書き下ろしの長編を動かしていくこともできるような気がする。
 単行本に換算すると、年に4冊くらいのペースだ。
 継続的に執筆の依頼をもらえる、という根本的な前提が必要であり、経済状態が厳しい中、版元では「出版点数を絞れ」「売れない本は出すな」というかけ声が飛び交い、知っているだけでも編集部にいた人が営業へ異動になっていたりするので、いろいろな意味で楽観はできない。

 いままで連載を引き受けるのはかなり恐くて、いろいろ話をもらっても積極的には進めてこなかった。僕自身の能力としては、案ずるより産むが易し、か。
 連載のように、〆切さえあれば間に合わすようにやる、そういうテンションが出てくるであるともいえる。あとはそういうスケジュールの中に、どうやって取材や仕込みの時間を組み込んでいくか、という課題がある。
 このあたりは自分で見つけていくしかないのだろうと思うけれど、機会があったら先輩の作家にも聞いてみたいところだ。

 と、自分の力を計りながら、あるいは、計るために仕事をしている、今日の阿川大樹であった。

2009年01月29日

推理作家協会新年会

 予報では夜には雨。
 でも、出がけに降っていないので傘は持たない。濡れても死にはしない。

 と、ハードボイルド(?)に家を出るハードボイルド作家(ほんとか)の阿川大樹である。

 午後3時半、家を出る。
 渋谷で立ち食い蕎麦、冷やしたぬき。(440円)
 飯田橋ホテルメトロポリタンエドモント。
 エントランスを入ると、ロビーの椅子にかけていた男がこちらを向いて立ち上がるのが見えた。編集者だ。
 約束は午後5時だったが、まだ定刻には15分ほどある。
 ティールームへ移動。
 ゲラを受け取る。ずっしりと重い。
 タイトルの討議。 〈*****-*〉と仮決め。
 装丁のデザイナーの件、予定発売日など。
 別会社別媒体の連載のスケジュールなどのこと。

 午後6時、階上へエスカレータを上がると、知った顔、多数。
 推理作家協会新年会。昨年後半はあまり協会のパーティには参加していなかったので久しぶり。

 大沢在昌理事長、開会挨拶。
 すぐに乾杯。

 松村比呂美さんに発見される。ドラマ原作で売れっ子の新津きよみさん(直近では「トライアングル」フジテレビ系火曜夜放送中)も一緒。

 松村さんとはいままでネット上でおつきあいだけだったが、実はちょっとしたいきさつでデビュー前の拙作を読んでくださった数少ない読者だったらしいと判明。

 新津さんは、とても趣味のいい着物をお召しで凛とした目の人だ。(ちなみに旦那様はやはりミステリー作家の折原一さん)

 料理を取っていたら翻訳家の藤田真利子さんに発見され、最近の人権問題についての話など。近くでいい匂いを立てている「フォアグラ丼」を食べながら。お話ししなかったけど、同じテーブルには北村薫さん。

 会場にいつもよりも編集者が少ないけれど、景気のせいか。
 それでも「お手伝い」の銀座のおねえさま方は大勢。(笑)

 ビンゴのMCは石田衣良さん、そして回すのは楡周平さん。プレゼンターは大沢在昌さん。
 リーチになったのに、一等・ニンテンドーDSiに届かず。それどころか最後までリーチが増えただけだった。残念。

 寿司、蟹しゃぶ、オードブル系も、そこそこ、食べました。
 その上、ケーキにコーヒー。
 酒は、水割り4杯(リザーブ、チーバスリーガル、オールドパー)、ビール2杯、赤ワイン3杯。
 いつもよりも知り合い少なめのため、いつもはできない飲食も楽しめたかな。

 コーヒーサーバーのそばで、新津きよみさん、松村比呂美さん、それぞれとツーショット写真に収まる。(あとで、ちゃんと送ってくださいね)

 逢坂剛さんの周りにはソフトボール同好会の面々。(逢坂さん、少し前には銀座のおねえさまに取り囲まれていた)
 売れっ子携帯小説作家・内藤みかさんとはロボットを動かしているお子さんの話など。

 午後8時少し前、辞去して、新宿へ向かう。
 もちろんゴールデン街。まずU店、そしてA店、とハシゴ。

 ほらみろ、全然、雨なんか降らないじゃないか。

2008年12月17日

横浜気鋭作家協会

 午後5時半をまわって外出。

 野毛の Basil という立ち飲みイタリアン(?)の店で待機していると、作家仲間の山口芳宏さんから電話が入る。大崎梢さんも合流するという。

 2005年デビューの阿川大樹、2006年デビューの大崎梢、2007年デビューの山口芳宏の新進気鋭(?)
の作家三人で「萬里」に入って、中華を食べながら互いの創作の秘密に迫る。(笑)

 あと愚痴だの編集者の悪口も少し。(少しだってば)

 実は、3人は、デビューはるかに前である10年以上前からの知り合い。

 山口さんの新刊「豪華客船エリス号の大冒険」(東京創元社)には少しだけ情報提供をしたということで、新刊を手渡しでもらったので、さっそくサインしてもらう。

 昨年、山口芳宏さんは鮎川哲也賞という推理小説の世界では有名な賞を獲ってデビューした。小説家になるのは簡単ではないけれど、小説家であり続けることはもっとむずかしく、二冊目三冊目が出せない人も多いので、二冊目が出たのはデビューしたことよりも遥かにめでたいことなのだ。

 その後、都橋商店街の「華」へ移動して、終電まで飲んで話す。

 デビューの年次ではなんと僕が一番古いけど、大崎梢さんにはとっくに追い越されているし、山口芳宏さんには追いつかれてしまった。

 がんばろう、と一人誓った夜であった。

 あ、タイトルはただの冗談です。そんな団体はもちろんありません。


2008年10月29日

第三稿大詰め

 編集者の付箋とコメントのたくさんついた原稿を見直す作業。
 指摘事項はほぼ合意できる部分なので、まずは、それを反映させるところまで。
 およそ80枚削る。

 あとは、もっと面白くできないか最後の一押し。

 一部、知りたい中国語の単語があったので、夕方から、中国人のママがやっている行きつけの店へ。
 日曜までに調べてくれるという。ありがたい。

2008年08月18日

木立の中で小説を書く

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 山荘の主(妻の高校大学の先輩)が北軽井沢ダウンタウンへ出るのに便乗して出かける。
 いまはなき草軽鉄道の北軽井沢駅の在った周辺が小さな町になっている。
 僕だけそこで降ろしてもらい、町をくまなく探検して、野菜直売所の隣にプレハブ風の立食蕎麦屋を発見。僕は立食蕎麦屋を見ると試さずにいられない。
 たぬきそば(400円)、最初からいやな予感がしたのだけど、やっぱりおいしくなかった。(笑)

 町で唯一のコンビニで買ったアイス最中「モナ王」(山本モナとは無関係)を頬ばりながら、探検したり迷ったりして、50分かけて帰宅。4.2Km。最短距離なら2Kmちょっとだろうか。

 もどるとお昼時で、あらためて車で「古瀧庵」なる蕎麦屋へ出かけてざるそば大盛。こちらはもちろんおいしい。蕎麦は大好物なので何食続けてもOK。
 かつて福井にいったときなど、3日間で12食そばを食べたことがある。
 もともと、同じ食べ物を続けて食べるのを避けるという気持ちが自分にはまったくないし、他人のそれも理解できない。おいしいと感じる限り、食べたいものを食べればよいではないか。

 午後は、山荘の庭の木陰にデッキチェアを出して小説を書く。
 すごくいい時間。
 足下には蚊取線香。いろいろな虫が周りに寄ってくるが、意外と攻撃は受けない。

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2008年06月21日

身を削る

 沖縄から帰ってきたら2.5kg増えていました。
 運動しない(暑くてできない)で美味しいもの食べてましたから。

 で、昨日から今日の昼近くまで、徹夜でプロット書いてました。
 どのみち編集者と摺り合わせるので、あえて最後までは詰め切らないで、最後の落とし前は保留のままなのだけれど。

 昨日の着手時には30枚ほどだったものが、提出時には65枚。
 物理的に一晩で原稿用紙35枚分書いたのは新記録、パーソナルベストじゃないかなあ。

 プロットで35枚だから、完成原稿にすると300枚分くらいの中身を書いたことになる。

 風呂に入ろうと、給湯中に、体重測ったら1.9kg減ってました。
 よく身が削れたみたいです。(笑)
 体重落とすには、原稿書きがいいようです。
 ただし、脂肪が減らずに体重だけ減ったので、体脂肪率は「なんじゃこりゃあ」というくらいに高まっている。

 そうでなくても、フラフラになるまで仕事したので、あんまり健康的じゃないです。
 なんだか、目のピントが合いません。というか目が痛い。

2008年03月26日

編集者と過ごす時間

 家の近くまで編集長が来てくれて、駅前のお店で、先日わたした第3作の改稿について打合せ。

 かなり大幅に改稿することにした。

 王道はこっちだろうが……と意識しつつ敢えてちがうやり方にチャレンジしたところが、ほぼことごとく不評だったという感じなのだけれど、逆にいえば、指摘されているポイントはわかっていながらそうしているわけでもあるので、指摘については予想通りであり、納得できる。

 王道ではダメだと思っているわけではなく、ある種、創作者の意地みたいな感じでちがう方法をとってみたくなることなので、やっぱり王道の方がよいと言われれば素直に納得できるわけだ。
 このあたりは、編集者を信頼しているので、助言はほぼそのまま受け入れることにしている。

 あとは、それを実現する具体的なアプローチについて、フリーディスカッション。
 それがまた楽しいのですね。
 創作というのは孤独な作業なので、プロフェッショナルなパートナーと同じイメージを抱きながら語り合うことのできる時間というのはかけがえがない。

 というわけで、いったん書き上げた小説が振り出しにもどった。
 方向は見えている。またがんばりましょう。

 最後はビールをご馳走になりながら雑談をしてほぐす。

 ボランティア団体の月例世話人会へ、今年初めて参加。

2008年02月15日

歌について、言葉について

 昼間のうちは映画化関係のメールのやりとり。
 夜になって本気モードの執筆開始。


 すっかり川上未映子に影響を受けてしまってます。
 自分が執筆モードなので、彼女の小説はまだ読んでないけど、音楽の方で。
 そういう意味では川上未映子ではなくミュージシャン名義だから「未映子」の影響というべきか。
(さらにいえば「未映子」を名乗る前の「川上三枝子」名義のアルバムも、純正ロックでとってもいい)

 言葉自身のもつ力というか魂みたいなものについて考え込む。
 未映子の歌が滲みる。彼女の歌い方も言葉を音としてではなく言葉として(へんな表現だけど)送り出そうという歌い方なんだな。

 こういう風に、言葉に入り込んでしまうのは、エンターテインメント作家としてはたいへんよろしくないわけです。純文学へいってしまっては、僕の目指しているキャリアはまたリセットになってしまう。53歳でやっとここまできて、いまさらリセットしている人生の残りはないからね。
 なので、かなり困ったな、と思ったんだけど、ふと気づいた。

 そう、言葉を大切にするなら、歌の方でやればいいじゃないか、と。

 そんなわけで、猛烈に歌をつくって唄いたくなっている。
 いまの長編が書き上がったら、一曲、書こうと思う。

 ん? 確定申告? それもあるんだよな。まったく。 浮き世はままならぬ。

2008年02月13日

川上未映子

 午前5時就寝。
 午前8時20分、目覚ましが鳴ったが起きず。
 やばい! 8時48分、起床。
 午前9時2分、病院の受付に到着。
 同25分、診察終了。(手術後6ヶ月の「定期点検」)
 近くにプロントができていたので、380円のモーニングセット。
 スーパーに寄って日用品や食料品の買い物。
 午前11時過ぎ、帰宅。執筆開始。

 午後3時、近所の中華屋さんでランチ。
 その足でスターバックスへ出勤。室内が暑く眠くなりそうだったので、「本日のコーヒー」サイズはグランデ。
 午後5時近くまで執筆。
 疲れたところで、ブックカフェになっているので、芥川賞全文掲載の文藝春秋をテーブルまでもってきて、 川上未映子の受賞インタビューだけ読む。

 この人の顔、すごくいいと思うんだよね。
 自分ができている。簡単に凝り固まったのではなく、手を広げて辿り着いた顔をしている。などと人様の尊顔を批評するなんざ失礼至極なのだけれど。
 インタビューを読んでも、ブログ(というか公式サイト)を読んでも、セルフプロモーションをきちんと考えている。やっぱり音楽系の人であるということもあると思うけれど、衆目をきちんと集める、ということをきちんと意識している人だ。

 純文学系の人によくある悪いところは、全部、彼女の中では解決されていて、立ち位置というのができている。
 というわけで、小説の方はきちんと読まないといけないので、時を改めることにした。

 夜は夜で、また執筆。
 〆切のエッセイも書いてメールで送付。

 ヘッドフォン、都合10時間ほど鳴らしたと思うのだけれど、いい音になってきました。

2008年01月31日

書きたい小説と売れる小説

「売れる本と書きたい本のどちらに重きを置いていますか」

 と、まあ、そんなふうな質問を戴いたことがあります。
 ところが、僕の中で書きたい本と売れる本は対立概念じゃないので、「どちら」という感覚は全くないのですね。

 まず書きたいことはものすごくたくさんある、ということ。
 書きたいことが少ししかないと、それが売れなさそうってこともあり得ますが、書きたいことがたくさんあるから、そのなかには売れる可能性が十分にあるというものもたくさんある。したがって、売るために書きたくないことを書く、ということが生じるとはまったく思っていません。

 では、書きたいものの中で売れそうにないから書けないものはあるか。

 ある時点ではそれはあります。
 たとえば、修業時代が長いですから、書き上がった長編短編が何作かあります。それぞれ書きたかったものを書いた。でもって、まあ、いろいろな事情でいまは売り出せないということはある。

 先日の推理作家協会のパーティでも、とある編集者からこんな質問を受けました。
「**の小説、いまどうなってますか?」
 **というのは、デビュー前にその出版社に持ち込み、某賞の応募作としてその編集者に読んでもらった作品のことです。数年前のことですが覚えていてくれたんですね。
「いやあ、***だったりしてなかなか出せないんですよ」
「あれは面白いから、多少手を入れた上で何年かしたら出版できますよ」
 と、いうわけです。

 すべては基本的に阿川大樹のネームバリューの問題です。
 阿川大樹という名前で買ってくださる読者が増えれば、出版社の方からぜひうちで出版したい、というようなことを必ずいってくるようになる。
 どんなに売れっ子になっても、すべての出版社がなんでもいいから原稿をくれというわけではありません。
 5000部でも採算が取れるけど、どうせなら5万部、できれば50万部と要求水準もそれなりに上がっていきますから、「そっちじゃなくってどうせならこっちで行きましょうよ」ということになる。

 ですが「いい小説」という概念に沿うかぎり、どこかにそれを出したいと思ってくれる出版社はいる。そういう小説を求めている読者も必ずいる。
 しかし、そういう出版社にしてもリスクを負えないから、おいそれとは出せない。でも、阿川大樹という作家にネームバリューがつけば、少なくとも損をしないくらいには売れるようになる。つまり自分の力で出版社のリスクを減らすことができる。
 売れる作家になれば、(出して損をするほど)売れない小説というのはなくなるので、書きたい小説が(程度の差こそあれ)すべて売れる小説になる。

 作家は自分の力で「売れないと思われた本」を「売れる本」に変えることができる。なので、書きたいことがたくさんあり、それで売れていくことができれば、基本的に書きたい本はやがてちゃんと世に出せる。
 いま売れそうにない本は、それなりに売れる本に変えてから(つまり阿川大樹にネームバリューを付けてから)売り出せばよい。

 新製品を出すときには、製品を今の需要にマッチさせるか、あるいは、製品を売るために需要を創出するか、すればいいわけです。
「阿川大樹の小説」という新しい市場ができれば、そこで商品化が可能になる。市場のないうちに無理に新製品を出す必要はない。

 いかにも売れなさそうな小説しか書きたい小説がない、という作家の人はこれはかなり悶々とすることになるでしょう。自分の中で「売れる本」と「書きたい本」が対立しちゃいますし、編集者もそれを感じとりますから。

 阿川の場合は、さいわいそういうことはないので、とにかくどんどん書いて、実績を積むことが、さらなる自分の自由度を獲得する武器にもなる、と考えているわけです。
 そのために個々の作品毎に待ち時間ができることは全然問題ない。
 そもそも書きたいものというのは、たとえば中学生からもっていたものであったりするわけで、すでに四十年くらい体の中にしまってあるものだってある。この先十年余計に温めておいてもどうってことないですし、それまでのあいだ、別の「売れそうな書きたいこと」をどんどん書いていればいい。

 はたして、結果が思った通りになるかどうかは、すべて日々書いている作品の結果にかかっている。毎日がその戦いの一部であるし、もしかしたらそれは綱渡りでどっかでハシゴを外されてそのままお陀仏なんてこともあり得ますけれど。

 分野こそちがうけれど、イチローや松坂と同じプロの世界にいるわけだから、当たり前のことです。
 プロである以上、一打席一打席、一球一球が、勝負。
 そして書きたいことを書ききるまでこの世に生きているということ。

 あと、ついでにいえば、「根拠のない自信」というのも腕一本のプロフェッショナルに必須の才能だと思います。(笑)

2008年01月21日

「問題小説」2月号

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(クリックすると拡大します)

「問題小説」2月号(徳間書店)、いよいよ明日(1月22日)発売です。

   巻頭グラビア 阿川大樹・赤レンガ倉庫にて (合計3ページ)
  「ショウルームの女」阿川大樹 短編ミステリー 50枚

文芸雑誌(小説誌)初登場。巻頭グラビア独占(笑)ももちろん初。
売ってるところには普通に売っていますが、売っていないお店もかなり多いのです。すみません。

2008年01月13日

山場

 原稿用紙300枚を過ぎて、筆は止まっている。
 大きな枠は書き終わっている。
 その部分から読者に与える情報から、読者が自然に疑問に思うことを列挙する。
 読者は最後まで読むうちにそれらの疑問が解けていくであろうと期待する。
 その疑問と、解けるであろうという期待、それこそが本のページをめくらせる力になる。

 そして、最後に、読者が永らく持っていた疑問に答が与えられる。
 その瞬間にカタルシスを感じる。

 あるいは、答を途中で読者には与える。主人公には与えない。
 読者は主人公を天から見ている神になって、無知な故に危険を犯す主人公の行動を見ている。ハラハラドキドキして応援するのだ。
 最後に、主人公自身が取るべき道を見出し、自分の力であるべき行動をとり、難局を打開する。そこで読者がカタルシスを感じる。

 どちらにしても、いま与えられた状況が最終的に合理的なものにならなければならない。いま疑問が生じている理由をはっきりと作り出して、それをできるだけ自然に読者に与えなければならない。

 疑問の答が途中に合理的なかたちで読者に与えられず、最後になって関係者全員が集まる断崖絶壁の上で超越的な探偵役の人物によって与えられると、小説の世界では「2時間ドラマみたい」だと笑われてしまう。名探偵コナンで「おっちゃん」に語らせるアレのことだ。

 専門用語でそのような探偵を「機械仕掛けの神」(Deus ex machina)という。
 物語がこんがらかってわけがわからなくなったのを突然出てきた神様が説明してしまう、という紀元前5世紀頃のギリシャ悲劇の手法であり、21世紀の日本では「ご都合主義」と呼ばれる。

 できるだけ大きな謎を断崖絶壁のシーンを使わずに納得させるのが、小説の技術なのだけれど、突飛なシチュエーションほど、それはむずかしくなり、しかし、突飛なシチュエーションであるほど、物語は面白くなる。

 現実には理由があって事件が起きる。時に小説家は事件を起こしてから理由を考える。
 神様に語らせないと説明できなる危険と賞賛は紙一重。

 さて、事件は起きた。いま、その理由を考えている。

 主人公や読者が何故なのだと思うように、いま、作者も何故なのか、どういう背景ならいまの状況に納得がいくのか、それを考えている。
 だから、文字は埋まっていかない。
 一枚も書かない時間に、物語の重要な部分を作り出すのである。

 なんてことを書きながら、頭の中を整理して、そんな作業を実際にしている。
 ヘッドフォンで、ブラームスの1番とかベートーベンの7番とかを聴きながら。

 2曲聴き終わったくらいでは思いつかない。
 あと1分で解決するかもしれないし、何日、何週間かかるか、わからない。だから苦しい。しかしここが小説を書く楽しさのハイライトでもある。

 ダイジョブか、この物語。

 いまはまだダイジョブじゃない。でも、ダイジョブなはずだ。

2008年01月03日

物語の作り方

 途中、けっこう飛んでいるけど、最後までいったので、切れているところをつなぐためにも、いったん推敲を始めている。この時点で、自分の小説の全体像を把握するため。

 物語を面白くするには、順序立てて積み上げるより、「こうなった方が面白い」ということを書いてしまって、「こうなる」必然性はあとから頭をひねってなんとかつじつまを合わせるほうがいいことが多い。
 順序立てて積み上げると、当たり前のことしか起こらなくなるから、物語のダイナミクスが足りなくなる。

 ちょっとあり得ないようなことを書いてしまって、あとづけで、そういうことになるには、どんなことが途中で起きればいいのか、とか、この人物がどんな過去をもっていればいいか、とか、そういうことを後から作り込んでいく。

 かなり無理なことでも、3日くらい腕を組んで考えれば、たいていはなんとかなるものなのだ。神様は必ずやってくる。(はずだ、いや、たぶんそうなる、いや、お願いだからそうなってくれ)(笑)

 ドキュメント“考える”「ベストセラー作家 石田衣良の場合」(12月25日(火) 23:00~23:30 NHK総合)
という番組を録画で見た。

 番組の中で、石田衣良が「ガチョウ」「草書」「光学」の三つを必ず入れるというシバリで「自殺願望のある少女が読んで自殺を思いとどまるような童話」を48時間以内に書く、という「お題」を与えられ、そのプロセスをドキュメンタリーにした番組だ。
 こういう一見したところの無理難題というのは、小説家にとっては、それほどどうってことはなくて、むしろ、無理難題こそが物語が面白くなる原因のようなもので、むしろ自ら自分に与えた方がいいようなことだと思った。

たとえば、 無関係な単語を3つ並べてみる
 A) スコットランド
 B) 南極
 C) 離婚

少し言葉を膨らませると、こうなる。
 1)グラスゴー(スコットランド)の酒場で男が飲んだくれている。
 2)昭和基地に女性新聞記者が泊まり込んで取材をしている。
 3)地球最後の日に、東京で離婚する夫婦がいる。

 この3つが、ひとつの物語のなかで終盤になってつながってきたら、絶対に面白くなるぞ、という予感がする。遠く離れたものがつながるときには強いカタルシスが生じるからだ。

 ならば、この3つを書きはじめてしまい、じゃあどんなことが途中に起きればこれらがつながるかを必死にあとから考える。
 3つなら3つをリアリティをもたせて描いてしまう。
 300枚使ってそれを書く。しかるのちに、3日くらい腕組みして考えれば、のこり200枚くらいで、それらがつながり、500枚の小説がたいていできてしまう。
 もちろん、それは簡単なことではないのだけれど、「できる」ことさえわかっていれば、あとは精神と肉体をつぎ込めばいいだけの話だ。

 将棋のプロが現在のコマの配置から「詰む」という直感が先に働いて、それから実際の詰ませ方を読んでいくと、やっぱり詰んでいる、というのに似ているかもしれない。そして、「王将」から離れたところにあった、一見したところ無関係に見えた「歩」が大事な役割をしたときに、将棋の面白さが表に出てくるわけだ。

 フィクションによるエンターテインメントの作り方として、そういう順序を取る作家はけっこう多いと思う。石田衣良さんも、与えられた直後は何のプランもないとしても、それほど困りはしなかったのではないかと思う。


 関係ないけど、石田衣良の仕事場のイス(アーロンチェア)とキーボードが、僕のと一緒だった。
 同じイスを使っている作家を他にも何人か知っている。

2008年01月02日

280枚まで

 元旦は、妻の実家へ、お節料理をもって出かけた。
「イグレック」のお節は20種類以上のオードブルの詰め合わせで、しかも、そのどれもがちがう味をしているのがみごと。
 車なので、お酒が飲めないのが残念。逆に車で行くには道の空いている元旦がいい。

 帰宅後、少し気が抜けていて、深夜になってから執筆開始。
 長編は、280枚までできた。
 あと、50枚ほどでラストまでいったん書き上げ、途中、虫食いでつながっていないところを100枚か150枚書く予定。

 ちと夜型になっているのは、昼間用事があるのと、人と話をすると小説のテンションがまったく消えるのでしかたがない。(基本的に執筆には孤独な状態が必要)

2007年12月31日

2007年を振り返る

1月
 正月に予科練だった叔父が亡くなる。
 この月はほとんどずっと『D列車でいこう』の原稿を書いていた。

2月
『D列車でいこう』の改稿。引越の準備。

3月
 6日に引越。捨てるものが多くて、捨てるために体力の限界ぎりぎりで準備や後始末をした感じだ。新居のベッドに眠れるようになったのは31日。

4月
 20年前にNECの退職金(に貯金を足して)で買ったオートバイ Honda GB250 Clubman のレストアが完成。

5月
『D列車でいこう』、徳間書店から発売。
 さっそくTBSラジオ「森本毅郎のスタンバイ」で紹介される。

6月
 徳間書店から第三作の執筆依頼。やった。
 短編「ショウルームの女」に手をつける。
 NHK BS「週刊ブックレビュー」で『D列車でいこう』が紹介され、amazon で瞬間風速売上50位代に躍進。

7月
 いよいよ歩くのが困難になり、けいゆう病院の整形外科の脊椎の専門医を訪ねる。
「本の雑誌」において、『D列車でいこう』2007上半期ベスト10となる。
「ショウルームの女」脱稿。掲載未定。

8月
 某社から長編書き下ろしの打診。
 椎間板ヘルニア手術のため、人生で初めての入院。

9月
 退院。楽しい入院生活だった。
 別の某社から長編書き下ろしの話。

10月
 さらに別の某社から長編書き下ろしの話。

11月
 3作目のプロットにOKがでて、本格的に執筆開始。
 さらに別の出版社から長編書き下ろしの打診。
『D列車でいこう』の映画化の話、動きはじめる。
「ショウルームの女」の掲載が決定。「問題小説」2月号。

12月
「問題小説」巻頭カラーグラビア撮影。
 またまた別の出版社から長編書き下ろしの打診。
 たくさんいただいた仕事の分量に呆然としながら、必死で執筆マシンに変身を遂げる努力の年の瀬を送る。
 
 というわけで、来年は、ブレークします。
(その前にやらなくてはならないことはたくさんあるんだけど)

2007年12月29日

長編進捗状況

 三作目の書き下ろし長編は現在250枚まで。
 あと、150-200枚なので、道半ば、かな。

 今回はなんとか450枚くらいには収めたいのだけど、短い小説はそれだけ書くのがむずかしいので、どうしても長くなってしまう。
 多分、技術が未熟なのか、才能が不十分なんでしょうね。

 非日常的な出来事について、説明しなくても(理屈はわからなくても)読者が納得するのがいい小説、物語の中にそれなりに根拠を示すことで納得させるのはあくまで次善の策。
 現実の世界では起こりえないようなことを小説のなかだけで引き起こして読者に楽しんでもらえるのが理想だけれど、どうしても、「現実の世界にもありそう」に書いてしまう。その方が間違いがないから。リアリティがないと言われるのが恐いから。

 でも、小説っていうのはもともとフィクションなんだから、大法螺を吹いて、読者がそれを楽しんでくれるのがいちばん。

 あと20日くらいで初稿をあげる予定。時間がないなあ。もう少し集中力が欲しい。

2007年11月15日

悲鳴

 このところ、書き下ろしの引き合いをよくいただく。
 全部ひきうけると*冊になる。既刊の*倍だ。

 ありがたい。ありがたいが、戸惑っている。
 いままでの執筆ペースでは全部こなすのに何年もかかってしまう。それでは出版社も困ってしまうし、こちらも立ちゆかない。

 職業作家としての執筆体制を確立しなければならない。
 質を落とさず、マンネリに陥らず、それぞれに渾身の作品を、年に4冊書くことを目標値として決めた。
 資料集め、取材、打合せ、書くこと、ゲラ、など、かなり同時並行でやっていく体制にする必要がある。
 ちゃんと切り捨てるべきことは切り捨てて、日常生活を「戦う小説家」に改造して行かなくては。

「うれしい悲鳴」という言葉があるけれど、じっくり考えてみたら、ほんとに悲鳴を挙げたい気分になってきた。なんとなくニヤニヤ喜んでいる場合じゃなくて、むしろこれは本当にピンチだ。

 どうする阿川大樹。

2007年11月08日

短編小説50枚 詳細別途乞うご期待

 昨日会ったばかりの、某社編集長からメール。
 7月に預けてあった50枚の短編が1月発売の小説誌への掲載が決まったとのこと。
 詳細はしかるべき時期が来てからお知らせします。

 本日届いた本。
   『天使はブルースを唄う』 山崎洋子 毎日新聞社
   『黄金町マリア』 八木澤高明 ミリオン出版
   『白いメリーさん』 中島らも 講談社文庫
 いずれも、いま書いている長編の次、第4作になる予定の長編の資料。

 DHCのサプリメントとか、配達記録の郵便物とか、携帯電話の電池とか、いろいろ配達物が届く日だ。

 深夜、録画してあったドキュメンタリー『中国エイズ孤児の村』(2007アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門受賞作)を見る。これは歌舞伎町小説の資料として中国の田舎の景色や家の中のことを知りたかったためだが、他にもいろいろヒントになった。

2007年11月07日

歌舞伎町サスペンス キックオフ

 午後4時、渋谷のホテルで編集者と打合せ開始。
 準備していった、新作のコンセプトとプロットについて一発OKとなる。
 これで、第三作の発売スケジュールは、まずは僕の執筆スピード次第。(もちろん出版者側の都合というのもあるけど、それはだいたい書き上がってからの話)

 いろいろ、後ろもつまっているので、トップスピードで行こう。
 原稿を何年も待ってもらえるような大家ではないので、注文があるうちにどんどん書かないと。

 現在、5社から長編の書き下ろしの依頼を受けているけれど、文芸出版の世界は商慣習として基本的に口約束の世界であり、催促されないままこちらが書かなければ、そのまま作家生命が立ち消えになってフェードアウトしてしまうだけだ。
 出せば必ずたくさん売れる人気作家とちがって、阿川大樹の本が出せなくなっても、代わりに他の原稿が入れば出版社は全然困らない。僕のことを評価してくれている編集者が、社内で異動になったり退職したり組織変更があったりすれば、引き受けたつもりの執筆依頼がなかったことになる可能性だってある。
 ましてや新作も、映画やテレビドラマとのタイアップなどの話になれば、いろいろな先方都合で話がリセットされ、小説の話までなくなってしまうことだってふつうにありうる。
 とにかく、話が立ち消えにならないうちに確実に原稿を書き上げてしまう、というのが重要。
 逆に、来年末までに5本を書ききれば、おそらく小説家としての採算ラインに乗ってくるだろう。

 というわけで、第7作までをぼんやりと見据えながらの書き下ろし第3作目は、新宿歌舞伎町を舞台にした一風変わった女たちのハードボイルドサスペンスになる予定。これまで描かれていない視点での新しい歌舞伎町小説になるはず。

 一応、本格的な執筆にGOがかかったので、ここはやっぱり舞台になる歌舞伎町へ。
 まずは、鰻でも食って勢いをつけようと、新宿駅西口を出て、思い出横丁(別名しょんべん横丁)入口の「うな丸」へ。
 ここの鰻丼は最高ランクの松うな重(肝吸付2200円)まで6ランクあり、それぞれ身の丈に応じて注文する。かけだし作家は当然、最低ランクの並うな丼(吸い物付き670円)。載っている蒲焼きは小さいけれど、味はいい。安いけど、それでも横丁の反対側にある牛丼2杯分の値段だから、貧乏人の贅沢にはちがいない。

 そのあとは、まず、歌舞伎町のいくつかの地点の定点観測へ。
 そして、芸能の神様、花園神社を表敬訪問(小説は芸能なのかという疑問はこの際おいておく)。
 境内は、今週末からの酉の市のしつらえがすでにできていた。

 7時の開店時間になったところで、ゴールデン街の小さな和食の店「やくみや」を覗く。が、すでに予約いっぱいで入れない。
 聞けば、今週いっぱいでゴールデン街の店を畳んで、荒木町(四谷)へ移転するのだそうだ。
 名残を惜しむ人で閉店までずっといっぱいになっているらしい。ここは千葉大を出た才気煥発の女性オーナー料理長が、ゴールデン街らしからぬ凝った和食を出す店で、4年前の開店直後から行っているのだけれど、最近は予約しないとほとんど入れなくなっていて、ふらりと店を決めたい僕のゴールデン街気分では、すでに事実上幻の店みたいに敷居が高くなっていた。
 荒木町の店は広さが倍以上になるということで、めでたいことなのだけれど、僕としてはゴールデン街の行きつけがひとつ減ってしまうのは寂しいかな。
 もう二度と「ゴールデン街のやくみや」のカウンターに座ることはできないのか。
 広くなれば入りやすくなるけど、四谷では行く機会も少なくなる。
(そういや荒木町には出版社があって、何年か前、そこからデビュー作が出そうになったことがあったのだ)

 9時にオープンする別の店が開くまで、それでは、と、歌舞伎町案内人・李さんの「湖南菜館」へ。
 鰻の後ひとりで中華というのもヘビーだけど、2週間前に食べた「毛沢東の豚の角煮」をまた食べたくなったのと、今日は小説のキックオフの日なので、歌舞伎町ならこの人、ということで。
 料理を1皿と、紹興酒をグラスで2杯。
 会計をして、買えるところで「李さんによろしく」とお店の人に阿川だと名乗ったたら、「ああ、あの本の阿川さん」と言われた瞬間、エレベータ側の入口から李さんがちょうど現れて、二言三言挨拶。
「あの本の」とはどんな意味だったんだろう。前回、『D列車でいこう』にサインして置いていった本のことだとは思うのだけど、その従業員のコ(かなりかわいい)が読んでいたりするとか。

 次は、センターロードの大型マクドナルドで100円のアイスコーヒーを飲みながら定点観測のつづき。
 明け方、4時頃と、夜の8時半の客層のちがいを確かめておく。

 9時になるのを待って、ふたたびゴールデン街のA店へ。
 いつもの感じでまったりといろいろな話をして、11時過ぎに町を後にする。

 帰宅の時点で、万歩計は8000歩。手術後最高記録。徒歩で取材をするといきなり歩数が伸びる。
 帰宅後は、朝まで、さっそく執筆。

2007年10月31日

第一神様

 手がけている長編について、第一回目の小説の神様、いらっしゃいました。

 編集者とは年内にもう一冊出しましょう、ということになっていたのに、なかなか構想がまとまらず。何ヶ月も苦悶してたけど、やっと、自分の背中を押せるところまできた感じ。
(編集のOKが出るかどうかはまた別だけど)
 少なくとも、こんなのを書きたいのだ、と胸を張って言える気持ちになった。

 というわけで、一区切り。
 目の前が開けてきたお祝いに(笑)、午後11時を過ぎてから野毛へ出かけて呑む。
 なじみの店で、ゴキゲンになって帰ってきました。午後2時過ぎ、徒歩で帰宅。

2007年06月29日

鮎川哲也賞の山口芳宏さんと

 横浜駅近くで、某社編集と書き下ろしの打合せ。
 のち、みなとみらいで、最近、鮎川哲也賞(推理小説の賞のひとつ)を受賞した山口芳宏さんと飲む。
 山口さんは10年以上前からの小説仲間。
 彼の新作アイデアの検証にちょっと情報提供。
 その他、小説の書き方や構造について、小説家の業界話、経済のプランニング、などいろいろと同業でないと話ができないことをたくさん話しているうちに、午後11時半。5時間以上話し込んでいた。

2007年06月26日

推理作家協会賞贈呈式

 夕方から新橋へ。
 第一ホテルで推理作家協会賞贈呈式+パーティ。

 その前に、「本の雑誌」を買おうと思ったら新橋の書店2店とも売り切れ。パーティ参加者が買ってしまったのかも。(笑)

 脚の痛みがかなりひどくて、パーティ会場でスピーチを聴きながらウィスキーの水割りで痛み止めを追加ドーピング(スピーチ長くて贈呈式55分もあった)

 乾杯が終わって少ししたところで徳間のT編集長といっしょに、まず、『D列車でいこう』を読んで「面白かった」といってくれているという書評家のNさんのところに挨拶にいったら、なんだソフトボールをいっしょにやっていて、お互いに顔と名前が一致していなかったと判明。で、ふと横を見れば、なんと、となりに週刊ブックレビューで「おすすめの1冊」に取り上げてくれた吉田伸子さん。
 つぎにはおなじくブックレビューで誉めてくれた逢坂剛さんに挨拶。
「おお、会ったことありましたよねえ」
「ソフトボールご一緒してますから」
 て、やっぱり、顔は知っていても僕が阿川大樹だとは知らないわけだ。(笑)

 新発見は10年くらい前、某女性作家のパーティで名刺交換していた女性編集者が僕の担当編集長の上司だったことが判明。きゃ、知らずに新刊の案内なんかメールしていた。はずかしぃ。(昔の名刺だったので、所属が同じに見えなかった)

 1998年から知っているA出版のBさんが、向こうからやってきて、立ち話。
 最初にBさんに会ったのはサントリーミステリー大賞の候補になっているときに朝日カルチャーセンターで「ミステリーの書き方」みたいな講座を彼がやっていたので参加したのだった。(別にミステリーの書き方を勉強したかったからではなくA出版の編集者にコネを作るために参加したわけで、講師が作家だったら参加しなかった)
 で、その講座で、彼は「僕だったら2作目くらいまで様子を見ますかね」と新人作家とのつきあいかたについて語っていたのをよく覚えている。
 その後、様々な文芸系のパーティでBさんを見かけるたびに、ひとことふたこと会話をしたり年賀状を送ったり、忘れられないようにしつつ、都合10回やそこらは会っている。もちろん著作も全部送っている。
 で、昨晩、ついに彼の方から僕の処にやってきて、「こんど飯でも喰いましょうよ。いつでもいいですから」と耳打ちして去っていった。ほらね、ちゃんと9年前にいったように2作目までようすを見ていたわけだ。

 それとは別に、ブックレビュー放送を知って放映に先だってアクセスしてきたC社のD編集者とも立ち話で、近々、会って話をすることになった。

 そんなこんなで、営業的なことがほぼ片が付いたのが午後8時少し前。

 そこで、久しぶりにパーティでいっしょになった先輩作家のすがやみつるさん(現在早稲田大学の社会人学生で学業が忙しそうなので飲みの誘いを遠慮していた)と、新宿ゴールデン街へ移動。
 バー3軒と途中ラーメン屋1軒。

 久々に、始発まで飲んで、心すっきり。

2007年06月04日

原稿用紙1枚100円

 夕食後、近くの Blenz Coffee へ原稿書きに。
 午後10時で閉店なので、1時間しかない。
 40分で原稿用紙3枚書く。コーヒーが260円なので、執筆コストの変動費1枚あたり約100円か。(笑)
 この調子で400枚の小説を書くと4万円。
 そういう計算が成り立つとたいへんにうれしい。
 家にいると書けないときでもコーヒーショップに来ると必ず書けるので、最初から割り切って通えばいいんだけど。

2007年05月15日

ポップを作ってみた。

 中央郵便局の郵趣会へ、宣伝ハガキのための50円切手を買いに行きました。ご無沙汰している方に転居通知も兼ねて出すのですが、印刷の宣伝だけでは失礼な感じがするので、切手はきれいな切手で気をつかう。
 実は、常日頃、事務的な文書でも、値段同じなんだからきれいな方がいいし、と記念切手を貼って出しています。
 いろいろあったけれど、琉球紅型染の切手にしました。

 ついでに本屋をまわって、敵情視察。
 どんなポップが出ているかなと。

 というわけで、『D列車でいこう』のポップ、こんなのをつくってみました。 ( pdf ファイルなので、携帯ではご覧いただけません)

 書店様、ご自由にお使いください。ハガキサイズに印刷できます。

2007年04月25日

束見本 『D列車でいこう』

dtraincover2a.jpg

『D列車でいこう』の束見本(つかみほん:ページが白紙の製本サンプル)が届きました。
 カバーの著者ローマ字表記がまだ直っていないけれど。

帯は
表)
 国が見捨てたローカル鉄道をたった三人で再建!
 ドリームトレインに賭けよう!
 それまでのキャリアをうち捨てて、新しい人生にチャレンジする男女三人が、あっと驚くアイデアをひっさげて、田舎町に乗り込んだ!

裏)
 MBA取得の才色兼備銀行ウーマン
 町工場相手に良心的融資を実践する銀行支店長
 鉄道マニアのリタイア官僚
 廃線が決定したローカル鉄道を救うため、
 三人が株式会社ドリームトレインを興した

 奇想天外、破天荒な方法で田舎町に旋風を巻き起こす、
 ロマンチック・ビジネス・ストーリー。

なんて感じです。

2007年04月13日

『D列車でいこう』予約受付開始

 自分の名前を検索したら、新刊『D列車で行こう』がいくつかのネット書店で予約がはじまっていた。
 まだ、表紙画像がありません。(実はまだ表紙が決まっていないのです)

 セブンイレブンで受け取りたい方(送料無料)は こちら
 お近くの本屋さんで受け取りたい方(送料無料)は こちら

 予約の入り具合で初版刷り部数が増える(阿川の収入が増える)かもしれないので、ご購入予定の方は予約を入れていただけると、たいへんありがたく存じます。よろしくお願いします。

『D列車でいこう』は こんな本 です。

 amazon、紀伊國屋、有隣堂、ジュンク堂、八重洲ブックセンター、では扱いがまだのようです。

2007年04月11日

小説家であることの喜び

 まだ本決まりではないけれど、3作目になるはずの小説。改稿を重ねて去年の夏前に仕上げたバージョンをここ数日かけて読んでいた。
 編集者と打ち合わせしたのはもう半年以上前、その間に二作目に決定した別の小説を仕上げ、引越をしたりしてバタバタと日常に忙殺されていた。
 いよいよ完成させなければと思い、手をつける前に、そもそも物語を思い出すため(笑)、そして自分の心と体のビルドアップのため、読んだのだ。
 すごく時間がかかって、ゆっくりとしか読み進めることができなかったのだけれど、最後の3分の1を明け方にかけて一気に読み終わった。
 自分が書いた小説だけど、感動して心が震えた。(おめでたい。笑)
 登場人物たちの顔が思い浮かび、彼らが愛おしく感じられた。
 もちろん、直すべきところを、頭の引き出しにしまいながらだけれど、基本的なところで「いい小説」になることが確信できた。
 ここしばらく、小説を書くことから離れてしまっていて、なかなか手をつけられなかったのが、一気に解消されて、早く書きたくなった。早く仕上げて世の中に送り出したいと思った。
 いま、とても幸福な気分だ。

 今朝のBGMは Guns N' Roses.

2007年01月26日

読み切る

 将棋で言えば、「詰む」とわかった状態。

 最初の内、600枚の小説の全体を自分の頭が一度に把握しきれなくて、漠然と、最後までにはすべてがつながるという「予感」だけがして、それで書き進んでいくのだけれど、ここまできて、やっと、残り部分のことを全部頭に置いておくことができて、未解決の伏線が、引き出しに収まるように全部つながって……、完成した状態が完全にイメージできる、そんなところまできました。
 つまり、頭の中では完全にできあがった。
 あとは頭の中の図面通りに書くだけ。
 早ければ(バンバン手が動けば)、あと二日で完成するでしょう。

 やっと心安らかになった~。

 ここまで来ないうちは、「もしかしたらこの小説は完成しないんじゃないか」という思いがずっと胸の奥にある。
 苦しいところから抜け出た感じ。

2006年12月04日

編集者と打合せ

 午後2時、出版社編集長と打合せ。
 先月に提出した第一稿に対するフィードバック。
 物語性、カタルシスを高める仕掛け作りについての詰めなど、雑談含めて2時間ほど。
 第二稿の〆切を1月中旬とする。

 終了後、駅構内の行政サービスセンターで住民票。
 駅で、役所の窓口のかなりのことが済むのは本当に便利。

 コットンマムで買い物。
 野菜が新鮮で安いのがうれしい。
 調理パンがタイムセール(ようするにランチ向けの在庫の売り切り)で3個300円になったので、6個買いだめ。ここのベーカリーは安くて美味しい。
 コットンマムもスーパーとしてかなりこなれてきて、開店当初の気負いが抜けた感じで、使い勝手のいいお店になってきた感じ。
 それにしてもマーケット(商圏)が狭くて客が少ないのがかわいそう。
 いい店なんだけど、やっぱり市場に合っていないんだよなあ。
 みなとみらいから直通の橋が開通すれば、商圏は拡がるだろうけど、その頃にはみなとみらいにももう一軒スーパーができるので、なかなか前途多難だ。

 本日の「捨てキャン」
 雑誌や大型本30センチほど処分。
 その他、粗大ゴミ回収に電話をしたら、スキャナーや小型のコピー機など、50センチ以下のものは普通ゴミに出せばいいのだそうだ。へえ。
 というわけで、とりあえずスキャナーをゴミ置き場へ。

2006年10月22日

いったん立ち止まって

 数日前、370枚ほどのところまで書き上げた。
 そこで、ここのところ、3日ほどかけて、改めて頭からあらすじを抽出。まだ書いていないところを含めて、85枚ほどの「あらすじ」をいったん完成させる。

 目的は、
  1)つじつまが会わないところを洗い出しておくこと、
  2)残りの部分を書くにあたって勢いをつけるために展開をおさらいしておく、
  3)本格的な改稿の前に分量バランスやテンポなどを確認しておく、   など。

 ここから約100枚ほど書いて第ゼロ稿として、そこから改稿に入るという手順。

 これを含めて、もう1タイトル出版が決まっていながら未完成の書き下ろしがあるので、なんとなくどんよりとしたプレッシャーだ。少し前まで、だれにも頼まれもしない原稿を書いていたのだからして、こういうのにまだ心が慣れていないのだ。ありがたいことだけど。
 小説家の場合、忙しくても猫の手は借りられないので、自分でやるしかない。

2006年09月18日

推理作家協会会報8月号に

そういえば、お知らせしていませんでしたが、推理作家協会会報8月号に原稿を書きました。
下記でお読みになれます。

PCの方は こちら から。

携帯の方は こちら から(携帯用に変換して表示されます)

2006年08月02日

長編小説 受注

 横浜駅近く、オバサマ系エレガンスを備えたティールームにて、出版社編集長と会う。
『覇権の標的』はどのように面白かったか(笑)という編集者の観点からのヨイショからスタート。
 頃合いを見て、昨日つくった作品リストを見せながら、こちらからああでもない、こうでもない。

 で、プロットができていて売り先が決まっていなかった2本のうち1本、お買い上げ決定!
 まあ、本文はこれから書くので、どうなるかわかりませんが、順調にいけば11月には刊行できるのではないでしょうか。

『覇権の標的』を読んで、気に入ってくれて、プロットのさわりだけ読んで、「これで企画書は通しておきますので執筆にかかってください」ということで。

 できていないこれから書く小説を、阿川を見込んで注文していただいたわけで、初めてプロの小説家になった気がしましたよ。
(分量にして原稿用紙85枚のあらすじはできているけど、見せたのはその最初の25枚分)

 いままでは、誰にも頼まれもしない小説ばかり空振り覚悟で書いて、持ち込みなり、公募文学賞に応募したりしていたわけで、結果としてそれが本になっても、いまひとつプロだという実感はなかったのです。
 注文を受けて初めてプロだという、そういう感じ。

 とりあえず、年内2冊が目標なので、最低でももう1冊受注を決めなくては。

2006年07月24日

推理作家協会総会

 昼間、執筆の調子が出てきたので、本当は外出したくなかったけど、駆けだし作家としては営業も大事なのでムリをして外出。
 飯田橋ホテル・メトロポリタン・エドモントにて日本推理作家協会総会、それから懇親会なのだ。

 午後4時30分。
 初めてなので総会にも出てみたけれど、ずいぶん狭い部屋に四角く机を並べてあり、ほとんどが理事の人たちなので居心地が悪い、(意外とシャイなんです。ほんとに)
 議長の東野圭吾さんが遅刻なので真保裕一さんが代行。説明が終わった頃に東野さんが登場。やっぱり黒っぽい服装。中央に大沢在昌さん。北方謙三さんはいつものように葉巻を吸う。逢坂剛さんは盛んに軽口を飛ばす。会計報告が宮部みゆきさん、楡周平さんは着物姿、他には北村薫さん、福井晴敏さん(たぶん)、柴田よしきさん、などなど、名前は有名でも必ずしも作家の顔まで有名とは限らないので、名前のわからない人も多数。
 議事進行は、和やかな雰囲気ながらポイントを外さず、といって無駄もなく、やはり頭のいい人たちの集まりなのだなあと思った。予算、決算、60周年記念行事のことなど、いろいろ。
 早々に終わったのであとはロビーでパソコンを出して執筆。

 午後6時、懇親会開始。
 藤田宜永さんは背が高いなあ。
 知り合いは前回よりも少ないが、知っている編集者を見つけては話して回る。
 実績ある編集者というのは、話しをしてみて全然ちがうんだなこれが。駄目な人は雑談しているだけだけ。どうせつきあうなら、しっかりとした人の方が楽しいし、たぶん、仕事もうまくいく。
 やはり「おねえさん」は来ているのだけれど、場所が飯田橋のせいか、かなり水準が落ちるなあ。(笑)
 あまり親しい人はいないが、こういうときこそソフトボール仲間がいて助かる。(フットサルで痛めた足首にテーピングしてまでソフトボールに行ってほんとうによかったよ) ボーリング大会や温泉卓球大会、フットサル大会、テニス大会などの話題。(ん? 推理作家協会は何の団体だったっけ?)
 ビンゴの司会は真保裕一さん、くじを引くのは楡周平さん、商品をわたすのは大沢在昌さん。
 ディズニーランドのペアチケット、ホテルエドモントのお食事券、ときたあとは、思わず当たらないでくれと願うほどの冗談賞品のオンパレード。
 最後、角川書店提供のワインになったところで、僕がビンゴ!
 3人いたのでじゃんけんになり、じゃんけんに弱い僕が勝ってしまった。ブルゴーニュの新進メーカーの赤ワインでした。ラッキー。
 商品提供の角川の名物編集者にお礼がてら話しをしに行く。
 複数の編集者と今後につながる話もいろいろできて、来た甲斐があった。

 午後7時半、ほぼ見つけた知り合いとは話しし終わったところで、会場を後にする。
 渋谷に向かうつもりで電車に乗る。午後9時15分開始の映画を観るだめだったが、いつもより知り合いが少ない分、酒を飲んでいたようで、映画の途中で眠ってしまいそうなので、予定を変更して、新宿へ。
 ゴールデン街のなじみの店を2軒回って、終電で帰宅。

2006年06月27日

推理作家協会賞贈呈式とパーティ

 新橋の第一ホテル東京にて、日本推理作家協会賞贈呈式とパーティ。

 早めに出て出先で原稿を書くつもりが、いつもとちがう格好をしようと思うと、ワイシャツがどうの、ベルトはどこにしまったっけ、と結局ぎりぎりになったので、珍しくノートパソコンを持たずに手ぶらで家を出る。
 本日、お出かけの iPod は、スガシカオと宇多田ヒカル。

 入口ですがやみつるさんと合流。
 パーティでは次々にいろいろな人を紹介してもらう。駆けだし作家にとって、パーティは営業の場なので、料理を食べているヒマはない。が、すがやさんまで料理が食べられないのは申し訳ないけど、ここはすっかりお世話になることにする。
 オンラインでは十数年の知り合いでもある鈴木輝一郎さんにも初めて会う。修業時代にいろいろ教えてもらった人でもある。
「名刺たくさんもってます? 作品のストックありますね」
「もちろん!」
 というわけで、輝一郎さんにつれられて、まずは、理事長の大沢在昌さんに挨拶。
 田中光二さんと話しをしているとすぐ横にいる北方謙三さんの葉巻が匂ってくる。
 ソフトボールでいっしょだった人たちともあらためて名刺交換。
 宮部みゆきさんを遠くで見たり、あれ? やたら女性に囲まれているのは東野圭吾さん? などと、ミーハーしたり。
 というわけで、料理は一皿、お酒も4杯ぐらいは飲みましたが、編集者、作家、合わせて二十五人ほど名刺交換しました。

 ところで、こういう文壇系パーティには必ず銀座のきれいなおねえさんたちがたくさんいて、立ち話しているところへ、カウンターからお酒を持ってきてくれたりする。
 それはもうかなりきれい。もちろん彼女たちはそれぞれに営業に来ているわけだ。協会の重鎮がたくさんお金を使っている証でもある(笑)。
 彼女たちは別の意味で人を選別する能力に長けている。いわゆる職業的直感というやつ。観察していると実は瞬間瞬間に「客になるか」つまり「成功しているか」または「成功しそうか」を判定するための視線を配っている。そこで視線の動きを見ていると、彼女たちの視線の止まり方で、彼女たちの直感がなにを悟ったかがわかる。
 そんななか、本日の収穫としてかなりうれしかったのは、僕への視線が「成功しそう」判定の視線だったということ。
 彼女たちの人を見る目=直感が正しかったことを、僕も結果で示したいものだ。(笑) だからって、特別そういうお店に行きたいってわけじゃないけれどね。

 終了後は、すがやみつるさんと、新宿ゴールデン街へ。
 でも、よゐこは電車のあるうちに帰りましたとさ。

2006年04月10日

推理作家協会の秘密

 一般にはあまり知られていませんが(て当たり前だけど)推理作家協会には6つの同好会があります。

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2006年04月07日

日本推理作家協会

日本推理作家協会から書類一式が届きました。

・会員証
・定款および内規の冊子
・2006年の手帳
・会報のバックナンバー
・日本推理作家協会会員名鑑(設立50周年記念誌:平成11年)
・同好会のお知らせと申込み葉書
・会報への新入会員紹介の執筆依頼

名簿を見ると当然ながら、著名な先輩作家たちがたくさん。
ここの一員となったというのは、形式上のこととはいえ、身が引き締まる思い。

それはそれとして、佐川急便で送ってきた袋は「ビックカメラ」の手提げ袋。
経費節約してるなあ。立派。